第七十話:スライム国です。スラミンです
「ふふふぅ♪ 皆さん、見てくださいな。そろそろスライム国への国境が見えてまいりましたわよ」
墨花が扇で前方を指し示す。
ぴーちゃんを見送ってからしばらく、精霊国の豊かな森を抜けた先に現れたのは、これまでの「国境」という言葉から連想される殺伐とした検問所とは、あまりにかけ離れた光景だった。
そこには、威厳すら漂う巨大な石造りの門がそびえ立っている。
だが、その周辺には人影どころか、気配すらしない。
「あそこ、ですか。立派な門ですね」
はじめは、目を細め、その静寂に包まれた巨門を見上げた。
門の前に辿り着いても、門番の姿もなければ、通行人を検閲する兵士の気配すら一切ない。
「あのー、すみませーん。……どなたか、いらっしゃいませんかー。入国したいんですがー」
はじめが、恐る恐る門の横にある詰所らしき建物に向かって声をかける。
……返事はない。ただ、風が虚しく吹き抜けるだけだ。
「……あー。……不在、ですかね。お昼休みとか?……そういうレベルじゃなくて、もともと、誰もいない雰囲気が……」
「……はじめ様。……なんだか、不気味です。……罠、でしょうか。……これほど立派な門を構えておいて、誰もいないなんて……」
りりが杖を握り直し、冷たい瞳で周囲を警戒する。
琥珀も、はじめの裾をぎゅっと握りしめて、不安そうに門を見上げた。
「はじめ様、はじめ様……。ここ、静かすぎて。……なんだか、食べ物の匂いもしません……」
一行に流れる「???」という困惑の空気。
情報の全くない「自由旅」の洗礼に、はじめの思考回路が完全にフリーズしかけたその時。
「ふふふ、あらあらぁ♪ 皆さん、そんなに固まっちゃって」
墨花がくすくすと喉を鳴らし、驚くほど軽い足取りで門へと近づいた。
「墨花さん、危ないですよ! まだ安全の確認が……」
「いいのよぉ。……ここ、自由に、通れますの。……誰も、いませんわぁ♪」
「……え?」
はじめが呆然とする中、墨花は扇を閉じると、巨大な石門にぽんと手を置いた。
「ここは『自由の国』。……門番なんて元々いないのよ。……あ、でもはじめさん、この門、開けるのには少し『体力』が必要ですからぁ。……頑張ってくださいな♪」
墨花は、からかうようにウインクをしてみせると、さっさと門の隙間へ体を滑り込ませた。
「……あー。……つまり……セキュリティ意識ゼロ、ってことですか。入国審査。なんか、存在しないと」
はじめは深く、深く溜息をつき、重厚な石門に肩を預けた。
「よっ、と……うー……お、おも……」
ズズズ、と地響きのような音を立てて門が開く。
門をくぐった先、はじめの目に飛び込んできたのは、地面を埋め尽くさんばかりに蠢く、色とりどりのスライムたちだった。
赤、青、緑、黄色……パステルカラーのゼリーのような塊が、あちこちでプルプルと震えている。
「あー、あの、……すみません。……ちょっと道を、お聞きしたいんですが……」
はじめは、一番近くにいた水色のスライムの前にしゃがみ込み、控えめに声をかけた。
「…………(プルプル)」
返事はない。
スライムは、はじめの存在など最初から「定義されていないデータ」であるかのように、ただゆっくりと形を変えているだけだ。
「……あー。……あの。聞こえてますか?……返事がない。……死んでませんよね?」
冷ややかな視線でスライムを見下ろすりりの横で、琥珀が我慢できないといった様子でスライムを指差した。
「はじめ様! しかばねじゃないですよ! この子、ソーダの匂いがします! 食べていいですか!?」
「琥珀ちゃん。……ダメだよ。一応、この国の、国民なんだから……」
「ちぇーっ」
あっけに取られてたはじめ達に、1匹のスライムが近づいてきた。
「僕の名前は、スラミン。僕は、怖いスライムじゃないよ♪」
「ねえねえ、旅の人! 困ってるんでしょ? 僕がいろいろ案内してあげるよ! どこがいい? 美味しいお店? それともお城?」
楽しげに震えるスラミンを、墨花だけが扇で口元を隠しながら、相変わらず「あらあらぁ♪」と眺めていた。
「ふふふぅ、はじめさん。この子は特別なのよぉ。……スライム国で希少な『お節介焼き』さんなの」
スラミンが、はじめの足元で跳ねながら尋ねる。
はじめは、りりの鋭い視線と、琥珀のよだれを拭う手元を交互に見て、深く溜息をついた。
「……あー、スラミンさん。……まずは、拠点となる宿屋へ案内してもらえますか?」
「了解! 任せてよ、とっておきの宿があるんだ!」
スラミンに案内されて着いたのは、プルプルした質感の壁で作られた、これまた妙に立派な建物だった。
扉を開けると、カウンターの向こう側から、数本の「足」のような触手を持ったスライムが、器用にベルを鳴らして出迎えてくれた。
「旅人の宿屋へようこそ! 私は、主人のホイムンです。何泊のご予定ですか?」
「……っ!!……あー!!……ホ、……ホイムですか。……ミではなく?」
はじめは思わず、身を乗り出して叫んでいた。
かつて自分がいた世界の「伝説ゲーム」が、頭の中で、駆け巡る。
「はい。ホイムンですが??……お客さん、なんだか顔色が悪いですね。大丈夫ですか?」
「あ、いえ。何でもありません。ちょっと、記憶が錯綜しまして……」
はじめは、濁った瞳をさらに濁らせて、カウンターに突っ伏した。
「……はじめ様?ホイムンって、名前に何か心当たりでも?」
りりが、不安そうな目で、はじめを見ている。
一方で、琥珀は「ホイムン」という響きを口の中で転がしていた。
「ホイムン……ホイップクリーム……。はじめ様! この宿のご主人、甘い味がしそうです!」
「そ、それでは、お部屋に致します。……その、獣人の女の子、抑えといてくださいねぇ」
ホイムンに案内され、角の4人部屋を案内された。
「どうぞ、お寛ぎください。今回は、素泊まりということですので、お食事はございません。では」
「ふう」
と、ため息をつくと、はじめは、何やら、タンスを開け始めた。
「はじめ様。何をしてるのですか?お探し物ですか?」
りりは、怪訝そうな顔で、はじめの様子をうかがった。
「……あー。……何でもありません。確認しなきゃだめな気がして」
「おかしなはじめ様……」
こうして、宿の外は、夜のとばりに包まれていった……




