第六十八話:はじめての告白
トールの雷光が消え、森に静寂が戻った。
焼け焦げた大地の向こうから、必死な面持ちで駆け寄ってくる二つの影があった。
「はじめ様――っ!!」
「お姉ちゃん! はじめ様!!」
りりと琥珀だ。二人はトールの猛攻から離れた場所で待機していたが、あの凄まじい衝撃波と、その後に訪れた「異常なほどに澄んだ空気」を感じ取り、矢も盾もたまらず駆けつけたのだ。
「……あー、りりさん、琥珀ちゃん。……終わりましたよ。一応」
はじめが、煤汚れた顔で力なく手を上げる。
りりははじめの無事を確認すると、その視線をすぐさま地面に伏したレイラへと向けた。
「レイラさんっ! ひどい怪我!」
レイラの肩からは、いまだに血が滲み、トールの雷による火傷が痛々しく残っている。
りりは一瞬、複雑な表情を浮かべたが、すぐに意を決したようにレイラの側に膝をついた。
「はじめ様が信じた方ですもの。勝手に死なれては、私が叱られてしまいますわ」
少しだけ意地を張ったような言い方。けれど、りりの両手から溢れ出した聖なる光は、どこまでも温かくレイラの傷を包み込んでいった。
「っ、……すまない、りり、助かる」
レイラの顔から苦悶が消え、安らかな寝息のような呼吸に戻る。
その横では、琥珀がルナの手をぎゅっと握りしめていた。
「ルナちゃん、すごかったね! 森が、笑ってるみたいだよ!」
「うん……えへへ。あいつ、いなくなっちゃったね」
幼い二人の笑い声が、ようやく戦いの終わりを告げた。
「あらあらあらぁ♪」
数刻後。一行は、静まり返った精霊国の宮殿へと足を踏み入れた。
玉座で待ち構えていた巫女エルシーアは、戻ってきた「不純物」たちの姿を見て、幽霊でも見たかのように顔を蒼白にさせていた。
「う、うそよ。……トールが。……あの化け物が、敗れたというの?……このような、不浄な者たちに!?」
「……あー。特等席からの眺めは、いかがでしたか? 巫女様」
はじめが、死んだ魚のような目でエルシーアを見据え、一歩前へ出る。
その声は低く、そして凍りつくほどに冷たい。
「結局、貴女は、そこで見ていただけでしたね。何もされていませんよね?」
「なっ!? あなた、無礼よ!!」
「無礼なのは、どちらですか。自分の手に負えない『トール』を、放置して、それを処理した『英雄』を、不浄だと切り捨てるんですよね?」
はじめは溜息をつき、首を左右に振った。
「ご自分で、決められないのなら、また『精霊の声』とやらでも、聞きに行かれたらどうですか?」
エルシーアは唇を噛み締め、はじめを睨みつけた。だが、その瞳には明らかな動揺が走っている。
彼女は縋るような思いで、奥の聖域――世界樹へと向かった。
静寂が支配する聖域。
世界樹の前に跪き、エルシーアは祈る。……いや、答えを求めた。
「ユグドラシル様! お答えください!! 我が国の誇り、純血こそが至高のはず! あの不浄な者たちを受け入れろと仰るのですか!?」
風が吹いた。
世界樹の葉が、ざわめき、エルシーアの脳内に「意志」を直接叩き込む。
『血?そんなもの、大事だといった覚えはない』
「えっ?」
『精霊と共に歩める者。それができるものが、私達が求めるものだ』
エルシーアの膝が、折れた。
自分たち巫女が守ってきた数百年が、ただの一瞬で「ゴミ」として処理された瞬間だった。
しばらくして、エルシーアは抜け殻のような顔で戻ってきた。
そして、絞り出すような声で告げた。
「レイラ、ルナ。前へ……」
「……村に住むことを、許可します」
「わたくし、エルシーラの名で皆に命じます!」
「今後、この者たちを、不浄と扱うことを禁じます!」
「……あー。妥当な英断、お疲れ様でした。偉大なる巫女様」
はじめは、振り返りもせずに出口へと歩き出した。
夕闇が迫る宮殿の裏で、世界樹の葉が、誰にも聞こえない声で、そっと囁いた。
『……やっと、やっと……近くに住んでくれる。……待っていたよ。レイラ。ルナ。……ずっと前から……』
世界樹は、ただ、自分達を本当に愛してくれた者たちとの「再会」を、ずっと夢見ていたのだ。
村の喧騒から少し離れた、月明かりが差し込む村はずれの丘。
レイラは足を止め、振り返った。
「はじめ、……ちょっと来てくれ。二人だけで話がしたい」
はじめは無言で頷き、彼女の後に続いた。
木々のざわめきだけが聞こえる静寂の中、レイラが口を開く。
「今回のことは、……本当にありがとう。不器用な私には、何とお礼を言えばいいか。お前がいなければ、私とルナは今頃……」
そこまで言った時だった。
いつも冷徹で、感情の機微を見せないはずのはじめが、唐突に、そして強くレイラを抱きしめた。
「……っ!? は、はじめ……?」
驚きに目を見開くレイラ。その肩が微かに震えている。
はじめの腕は、折れそうなほど強く、けれど壊れ物を扱うように優しく彼女を拘束していた。
「あー、一目惚れっていうのは、本当にあるんですね。……逢った時から、ずっと、好きでした……」
システムのロジックではない、はじめ自身の剥き出しの告白。
レイラは一瞬、呆然としたが、やがてその大きな手をはじめの背中に回した。
「……そうか。ありがとう。私も、……お前が好きだ。なら……ずっと、この村に残ってくれないか? お前となら、……」
「……ごめん。……それは、できない」
はじめは静かに体を離し、レイラの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……俺には、……やらなきゃいけないことがある。……会わなきゃいけない奴が、……ケリをつけなきゃいけない事が、残っているんです……」
その「奴」とは、同じ現代人であろう。謎のネクロマンサー、しゅう。
レイラははじめの瞳の奥にある決意を読み取り、寂しそうに、でも力強く微笑んだ。
「……そうか。なら、止めねぇよ。お前はそういう男だ。……もし、全部終わったら……また、会いに来てくれるか?」
「……約束……します」
はじめは、レイラの唇に、羽が触れるような軽い口づけを落とした。
それは、再会を誓うための、静かな「契約」だった。
「あらあらあらぁ……♪」
木陰で扇を口元に当て、目を細めている影が一つ。
「はじめ様も、……やっぱり『男の子』だったのね。……うふふ、これはいいところ、拝見しちゃったわ……」
墨花は、夜の風に溶けるように笑みを深めた。




