第六十七話:トールです。撃破です
「……はぁ、……はぁ……っ!!」
安全な岩陰に逃げ延びた直後、レイラは膝をつき、肩から流れる血を必死に抑えていた。
「お母さん……! お母さん、大丈夫!? 血がいっぱい出てる……っ!!」
ルナが泣きじゃくりながら、レイラの無事な方の腕にすがりつく。
「……っ、泣くな、ルナ。……こんなの、かすり傷だ。お前さえ、お前さえ無事なら、私は……」
レイラは苦しげに顔を歪めながらも、母親としての強がりで、震える娘の頭を撫でようとした。
だが、その時。
『……なかないで……』
(――えっ?)
ルナが、ピタリと泣き止み、不思議そうに顔を上げた。
すすり泣く声だけが響く静寂の中に、風のささやきよりも小さな「声のようなもの」が混じったのだ。
「……だれ……? だれなの?」
はじめは、周囲を見渡したが、何もない。
だが、ルナの視線の先にいたのは、はじめでも墨花でもない。
宙に舞う灰や、焼け残った木の葉の影に隠れていた、微かな「光の粒」だった。
『……やっと……きこえた……』
『ぼくたちの声……。やっと……届いた……』
(――えっ?)
ルナは初めての経験だった。精霊たちが、うれしそうに、話しかけてくる。
姿は、ほとんど見えないが、たしかに、何かがそこにいる。
『……かなしまないで……』
『たすけたい……。ぼくたちも……あいつを……おいだしたいんだ……』
小さな光の粒たちが、おずおずと、けれど慈しむようにルナの周りを飛び跳ねる。
レイラには、はっきり見え、聞こえていた。
(精霊たちが、ルナを受け入れ、助けようとしてる……)
はじめには、何が起こっているか、はっきりとはわからない。
が、レイラとルナに、明らかな変化がおこっていた。
はじめは、怪訝そうに眉を寄せ、周囲の空気を探るように指先を動かした。
頬を刺していたトールの静電気が、いつの間にか消えている。代わりに、肌をなでるのは……どこか懐かしく、温かい湿り気を帯びた「気配」だった。
「……あー。何だ?……耳鳴りが消えて、空気が澄んでいく?」
はじめには、ルナたちに見えている「光」も、耳に届いている「声」も、一切感知できない。
そこへ、傍らで静かに様子を眺めていた墨花が、扇で口元を隠しながら呟いた。
「あらあら……。はじめ様、そんなに難しい顔をなさらないで。……見てごらんなさいな。なんだか、この森が喜んで、息を吹き返そうとしているように……見えませんこと?」
「えっ。森が、喜んでる……?」
はじめは墨花の言葉にハッとして、改めて周囲を見渡した。
言われてみれば、トールの雷で焼き尽くされたはずの焦土から、煙が消え、大気の淀みが急速に浄化されている。
はじめは、ルナを囲む「何もないはずの空間」に目を細めた。
「……精霊??……いや、まさか……。『不浄』とされた彼女たちに、この国の精霊が、応答しているというのか?」
はじめは自嘲気味に呟くが、彼自身の肌が、そして周囲の風景が、ルナを中心に森が変化してる事実を、静かに肯定していた。
「レイラさん。申し訳ないですが、その血を、少し分けてはいただけませんか? ここに……数滴で構いませんので」
はじめはそう言うと、小さな瓶を取り出した。
「ここに、入れりゃいいのか?変な奴だな……ほら」
レイラは怪訝そうな顔をしながら、はじめに言われた通り、血を瓶に流し込んだ。
「墨花さん。この血を先程の、墨と混ぜ、奴に吹き付けることは出来ますか?」
「できますわよぉ。どこに吹きかけるのぉ?」
「奴の口めがけて、御願い致します」
「わかったわぁ。じゃあ、合図をお願いねぇ」
はじめは、何かを確信した顔をしてる。
「さあ。デバッグの時間です」
その言葉と同時に、クレーターの中心でトールが激しく震えた。白光する瞳が、一点に――ルナへと固定される。
「……っ、おいおいおい!! 勘弁してくれよ!! 不浄な血の……『バグ』共がぁぁ!!」
「よりによって……精霊と対話するだと!? そんなの、僕の美学にはないんだよ!!」
「あーもう、汚い! 不純だ! 聖域を汚す奴は……この僕が、全力でデリートしてやるからなぁぁぁぁ!!」
トールが咆哮し、大火力を一点に集中させ、明確な殺意を持ってルナへと向けられた。
「今だッ、墨花さん!!」
はじめの鋭い合図。墨花が扇を翻した瞬間、レイラの血を混ぜた漆黒の墨が、弾丸のような速度でトールの口に直撃した。
「……ぐ、あ、ああああああッ!?」
完璧な純粋さを誇っていたトールの内側で、混血の血という「不浄なるもの」が毒となり襲い掛かる。
「ルナ――ッ!!」
隙を逃さず、レイラが叫ぶ。プライドも過去の恨みもすべて投げ捨てて、娘を守るために魂で叫んだ。
「おい、精霊ども!! 私をどうなぶってもいい、不浄だと笑ってもいい!! だから……娘を守る力を貸せッ!! 力を貸してくれぇぇッ!!」
その叫びに呼応するように、レイラの周りで、水があふれ出した。
『……やっと、よんでくれた……』
『ずっと、きみの声を、まっていたんだ……!』
「お母さん!私も!!精霊さん、力をかしてぇ!」
ルナの周りにも、黒いそして、純粋な闇が広がった。
『ぼくたちも、ちからをかすよ』
「チェックメイトだ。化け物」
はじめが冷たく言い放つ。
レイラの剣に、濁流のような「水」の精霊が、そしてルナの祈りに呼応した「闇」の魔力が混ざり合う。相反するはずの二つの力が、一つの刃となった。
「――消えろ、化け物!!」
精霊の咆哮と共に、レイラの一閃がトールを貫いた。
「――が、はッ……!? な、なんだ……この、出力は……ッ!?」
トールの全身を駆け巡っていた雷光が、内側から弾けるようにバチバチと霧散していく。
白光していた彼の身体が、まるで壊れたテレビの砂嵐のようにノイズを上げ、次第に薄れていく。
その消えゆく意識の中、トールは空を仰ぎ、声を漏らした。
「……う、嘘だろ……。僕が……こんな、わけのわからない攻撃に……負けちゃうの……?」
彼は、自分の身体が粒子になっていくのを呆然と見つめ、最後にポツリと、誰に聞かせるともなく呟いた。
「……あー、もう!! 最悪だ……。カッコつかないなぁ、もう。……しゅう様。ごめん、失敗しちゃった」
その言葉を最後に、物理と雷の化け物は、ふっと夜風に溶けるように消滅した。
あとに残されたのは、静まり返った焦土と、そこから芽吹き始めた、気の早い緑の双葉だけだった。




