第四十六話:手配書ですか?いえ別人です
巨大な針の塔が立ち並ぶ、大断崖の検問所。
はじめは、喉元に槍を突きつけられる覚悟で、黄金のフォルダを盾にするように掲げながら、恐る恐る門番へと近づいた。
「あ、あの、……怪しいものじゃありません!! 獣王陛下から正式なパスポートを……」
だが、待ち構えていた騎士の一人が、フルフェイスの兜をカチャカチャと鳴らしながら、手元の人相書きとはじめの顔を、執拗に往復して見つめた。その仕草は、どこか芝居がかっていて、ねっとりとした粘り気を帯びている。
「……んん~~。……あぁ~、これ。……これね。……うん。……これ、君? ……ほんとに君? ……いや、嘘は良くない。嘘を吐くと、僕の中の『公正な門番センサー』がね、びんびんに反応しちゃうわけよ。……見て、この写真。……聖騎士(笑)でしょ? ……それに比べて、君のこの……『明日から14連勤確定しました』みたいな、死んだ魚のような瞳。……解像度が低すぎて、僕の複眼が焦点合わせるのを拒否してるんだけどぉ」
「……。……。……あの。……解像度が低くて悪かったですね!! っていうか、その写真が盛りすぎなだけで、これが標準仕様なんですよ!!」
はじめが叫ぶと、もう一人の、岩を削り出したような威圧感を放つ騎士が、低く地を這うような声で一喝した。
「……黙れ。もういい。……本人だ。その救いようのないボヤき……。女王様から伺っていた通りの『林はじめ』という名のバグで間違いない。……開門。……不敬のないよう、王宮へ通せ」
フルフェイス越しでも分かる、鋭い眼光。はじめは、その眼力だけで自分のステータスが「石化」しそうな錯覚に陥った。
「……。……。……。……。……。
……あー。……門番の圧が強すぎる。……左の人は喋りすぎだし、右の人は目が合うだけでデリートされそうだし。……なんなんですか、この、……映画のポスターみたいな並び。……入国しただけで寿命という名のHPが半分削れたんですけどぉぉ!!」
はじめは、騎士の「……いやぁ、でもさぁ、これ女王様にお見せした瞬間に『返品』って言われない?」という不吉な独り言を背中に受けながら、フラフラと虫国の奥地へと足を踏み入れた。
ガチャン、と騎士たちが一斉に槍を引き、道が開く。
はじめは、差し出した黄金のフォルダ(パスポート)がいかに無力だったかを悟り、虚空を見つめた。
(……。……。……。……。……。
……あー。……パスポート、いらなかった。……っていうか、あの年増……いえ、女王様。……僕をどういう『設定』で指名手配してるんですか。……期待値上げすぎて、対面した瞬間に『解像度が低い!』ってデリートされたらどうしてくれるんですかぁぁ!!)
「あらぁ~、はじめさん。……女王様、貴方をそんなに美化して記憶してくださっているなんて、愛の演算能力がオーバーフローしていますわねぇ、うふふ」
墨花が隣で楽しそうに微笑む。一方でベアトは、「あの年増、はじめ様を勝手にキラキラに描いて……!! これはわたくしの『リアルな愛』への挑戦状ね!!」と、別の方向で闘志を燃やしていた。
「……アルトさん。……アルトさぁぁん!! 助けて!!
この廊下を歩くだけで、騎士たちの複眼から『……あ、察し』っていう無言のログが飛んできて、僕の精神がDDoS攻撃を受けてるんですけどぉぉ!!」
「はじめ様、……前を見てください。……貴方が干物の箱で顔を隠せば隠すほど、周囲の『不審者発見パッチ』が更新されて、騎士たちの槍がピクピク反応していますよ」
「無理ですよ!! さっきの門番さんたちの、あの『……返品?』っていう声が、脳内で無限ループ(再帰呼び出し)してるんです!! 女王様、あの盛りすぎな写真のイメージで待ってるんでしょ!? 実物の僕を見た瞬間、……絶対、『仕様と違う!』って言って、僕を大断崖からデリート(物理)しますよ!!」
「大丈夫ですよ、はじめ様!!」
ベアトが、はじめの背中をバシバシと叩いた。その衝撃で、はじめの腰から嫌な音がした。
「わたくしの愛があれば、解像度なんて関係ないわ!! ……あ、でも、あの年増の前でだけは、もうちょっと『聖騎士(笑)』っぽく、胸を張っておいてちょうだい!! わたくしの選んだ男が『カサカサの社畜』だなんて思われたら、わたくしのプライドが許さないもの!!」
「……。……。……。……。……。
……あー。……味方からのデバッグ(ダメ出し)が一番キツい。……ベアトさん、アンタの愛という名の負荷、今すぐ最適化してもらっていいですか」
通された控室は、虫国特有の、蜜の香りが漂う豪華な空間だった。だが、そこに座るはじめの心境は、さながらアップデート失敗直後のサーバー監視のような冷や汗に満ちていた。
「……はじめ様。皆様。女王陛下への謁見の準備をしてまいりますので、少々こちらでお待ちを」
執事アルトが、乱れ一つない仕草で一礼し、音もなく部屋を退出する。
扉が閉まった瞬間、はじめは堪えきれずに深い溜息を漏らした。
「……あー、ダメだ。胃が、僕の五十八歳の胃壁が『早期退職』を希望してますよ。あの手配書、見ました? なんですかあのキラキラした聖騎士は。実物を見た瞬間に、女王様が『注文したものと違う!』って言って、クーリングオフという名の処刑を執行したらどうしてくれるんですか……」
「ふふっ、大丈夫ですわ、はじめさん!!」
不安で膝を震わせるはじめに、ベアトが戦場に赴く将軍のような頼もしさで詰め寄った。
「もしその年増……いえ、女王様が不穏な動きを見せたら、わたくしがこの部屋ごと自慢の拳で更地にして差し上げますわ。はじめ様はわたくしの隣で、ただやさしく微笑んでいてくれればよろしいのですよ!」
「いや、アンタが一番余計なことしそうなんですよ。頼むからベアトさん、余計なことはしない。言わない。呼吸以外はスタティックな状態でいてくださいね。いいですか。……本当に、本当にお願いしますよ」
(……あー。……ダメだ。誰も僕の切実なリスク管理を分かってくれない。ベアトさんは物攻全振りだし、もし暴走なんてしようものなら、僕の首が飛ぶより先にこの国との外交ルートが物理的に断絶する……)
はじめが脳内で絶望のコードを書き連ねていると、そのやり取りを横で見つめていたりりが、透き通った瞳に言葉にできない重い感情を沈ませて呟いた。
「……はじめ様。……りりは、はじめ様がどんな姿でも、一番素敵だと思ってますのに……」
その声は、はじめの耳には届かないほど微かだったが、彼女の視線ははじめの腕を掴むベアトの指先に鋭く突き刺さっていた。
「はじめ様!! 琥珀、お腹空きました! あの門番さんの兜、なんだか美味しそうなメロンパンに見えてきましたぁぁ!!」
純真な声で、琥珀が緊迫した空気を物理的に無視して叫ぶ。その背後では、墨花が十本の触手を優雅に揺らしながら、深海よりも深い微笑を浮かべていた。
「あらあら……。どんな『再会』になるのか、楽しみですわねぇ……。ふふふぅ」
はじめは、控室のソファで何度目か分からない「座り直し」を繰り返していた。
膝を揃えてみたり、深く腰掛けてみたり、はたまた浅く腰掛けて背筋を伸ばしてみたり。だが、どの姿勢をとっても、五十八歳の体に蓄積された不安という名のバグが、筋肉をこわばらせ、落ち着きを奪っていく。
(……あー。……座高が高い。……いや、低すぎる。……何をやっても、自分がこの豪華な部屋の『異物』にしか見えない。……もしこのまま、女王様が僕のことを忘れていて、「誰、このおじさん?」なんて言われたら。……それとも、記憶の何十倍もキラキラした僕を期待されていたら……)
はじめの指先が、膝の上で微かに「デバッグ作業」のように、ありもしないキーボードを叩く動きを見せる。
隣では、ベアトが「はじめ様、先ほどから動きが挙動不審ですわよ?」と呆れ顔で見つめ、りりが「はじめ様、お茶をもう一杯いかがですか?」と、震える手でポットを握り直している。
琥珀が、ついには控室の大きな窓に張り付き、外を歩く巨大なカブトムシ型の騎獣を指差して「メロンパン……メロンパンがいっぱい歩いてますぅ……」と寝言のような呟きを漏らした、その時だった。
カチャリ、と無機質な金属音が響き、重厚な扉が内側から開かれた。
そこには、相変わらず髪一本の乱れもなく、完璧なまでの直立不動を保ったアルトが立っていた。その背後からは、今までいた控室の蜜の香りとは全く異なる、凛とした、どこか肌を刺すような冷たい空気が流れ込んでくる。
「――お待たせいたしました。謁見の準備が整いました」
アルトが、一歩脇へ退き、その長い腕で奥へと続く廊下を指し示す。
「陛下がお待ちです。……皆様、どうぞ、こちらへ」
その言葉は、はじめにとって、ついに「実行」ボタンを押されてしまったプログラムの開始合図のように聞こえた。はじめは、引きつった笑いをどうにか顔面に貼り付け、ギギギ、と錆びついた歯車のような音を立てて立ち上がった。




