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第四十話:至宝です。再生です

嵐の後のような静寂が、海底を支配していた。

 つい先刻まで海を埋め尽くしていた漆黒の毒霧は、神という名の巨大なデリーターによって、痕跡一つ残さず「完食」されている。


「……おい、グラトニー」

 はじめが、膝をついたまま、隣で腹をさすっている大男を見上げた。

「毒は……もう、ないんだな? 確実なんだな?」


 グラトニーは、パンパンに膨れた腹をボフン! と豪快に叩き、太陽のような笑顔で言い放った。


「アニキ、心配しすぎだって! この海、マジで毒の一滴も残ってねーから! 完璧にゼロ! オレの胃袋がそう言ってんだよ!!」


(……。……。……。……)

(……。……。……。……)

(……。……ヤッベ。……マジで、さっぱり覚えてねーんだわ……!!)


 グラトニーの脳内では、今さらながら冷や汗が噴き出していた。

(食い始めた瞬間、あまりの旨さに脳がバグっちまって……気づいたらこの腹だよ。食った記憶が1bitも残ってねぇ。……いや、でもオレが満腹ってことは、つまり完食ってことだよな!? そうだよな!? 頼む、そうであってくれ!!)


 内心の戦慄を微塵も表に出さず、グラトニーは「ガハハ!」と屈託のない笑い声をあげた。

「最高のあとしまつじゃん、アニキ!!」


「……。……その異様なテンションの高さ、逆に不安になるんだけど……」


 はじめが溜息をついた、その時だった。「陛下!! 黒耀様!! いい加減に起きなはれ!!」

 タイラの必死の叫びが、透明度を取り戻した海水の中を震わせた。彼女は、まだ意識の戻らない黒耀の肩を掴み、情け容赦なく揺さぶっている。

「魚人国の王が、いつまでも『苗床』の上で寝ててどうしますんや! 恥ずかしいと思わなはれ!!」


 愛ある(物理的な)喝が届いたのか。

 黒耀の長い睫毛が微かに震え、その瞳がゆっくりと開かれた。


「……。……タイラ……? 私は……」

「ようやくお目覚めですな、陛下」

 タイラが涙を拭いながら鼻を鳴らす。黒耀はふらつく体で立ち上がり、あたりを見回した。

「リヴァイアサン様は……? あの御方は、どこへ……」


「神様は、飽きたのでお帰りになりました」

 傍らでスマホのログをチェックしていたアルトが、事務的な声で告げる。

「『お掃除』は完璧です。……さあ、管理者オーナーがいなくては、システムの再起動リブートができません。黒耀様、出番ですよ」


 黒耀は、はじめを見た。

 泥にまみれ、息を切らし、それでも「ほら、さっさとやってくれよ」と言わんばかりの、実に冴えない顔をしたその「ひょろ男」を。


「……ふん。……あの方(リヴァイアサン様)を動かすとは、よほどの大嘘ハッタリを並べたと見えるな」


 黒耀は、はじめを射抜くような鋭い視線で見つめた。彼女の目には、はじめが「神のシステムすら書き換える稀代の詐欺師」に見えているのだ。


(……いや、なーんもしてないんだけど)

 はじめは、遠い目をしながら心の中で盛大にツッコミを入れた。

(あの人……いやあの神、ただ勝手にフラッと現れて、俺のハッタリとか聞く前に勝手にバクバク毒食って、勝手にお腹いっぱいになって帰っただけなんだけど。交渉もクソも、俺、ただ震えて見てただけなんだけど……)


 そんなはじめの「神に対する呆れ」を、黒耀は「底知れぬ余裕」と受け取ったのか、満足げに鼻を鳴らした。


「よかろう。はじめ殿。貴公が用意したこの真っ白な『苗床』に……私が、色を塗ってやるとしよう」


 黒耀が『始祖の真珠マザー・パール』を高く掲げる。

 管理者の正当な権限を感知した至宝が、脈動するように黄金色の光を放ち始めた。


「……琥珀。おい、琥珀。見てろ」

 はじめが、隣で固唾を飲んで見守る少女の肩を、そっと叩いた。

「今から、お前の一番好きな……『蒼』が戻ってくるぞ」


 次の瞬間、真珠から放たれた光の波紋が、海底を一気に駆け抜けた。

 光が触れた場所から順に、死んだように白かったサンゴが、鮮やかな朱に、深い碧に、そして吸い込まれるようなコバルトブルーに――。


「……あ。……あ、ああ……!!」

 琥珀が、震える声を漏らした。

 彼女の瞳に、宝石を散りばめたような極彩色の世界が、濁りのない蒼い海が、美しく描き直されていく。


 真っ白な死の静寂に、鮮やかな色彩が「侵食」していく。

 だがそれは、枯れ木に花が咲くような単純な復活ではなかった。

 

 黒耀が掲げた至宝の光は、海底に積もった「白いサンゴの骸」を激しく分解し、それを膨大なエネルギーへと変換していく。はじめが定義した通り、死骸は文字通りの『苗床リソース』となり、その骸を食い破るようにして、全く新しい、生命力に満ち溢れたサンゴの芽が、爆発的な速度で増殖していったのだ。


(……。……。……)

(……。……。……)

(……いや、実際はこれ、全部『新品』なんだけどな)

 はじめは、超高速で実行される「命のスクラップ・アンド・ビルド」を冷めた目で眺めていた。

(前のサンゴは全部死んで、それを肥料に新しいのが生えてるだけ。……でも、まぁ。見た目がこれだけ綺麗なら、野暮な説明はいらないか……)


 はじめが内心でそんなドライな「仕様確認」をしている横で、琥珀は、溢れ出す涙を拭おうともせず、蒼く染まっていく世界に手を伸ばした。


「……はじめ!! 生き返った……! 海が、生き返ったよ!!」


 琥珀が、弾けるような笑顔ではじめに抱きついてくる。

 彼女にとっては、この海こそが、自分が愛し、失ったと思っていた「あのお洋服」そのものだった。


「……ああ。そうだな、琥珀」

 はじめは、泥と脂汗でベタベタの顔を歪ませ、不器用な手つきで抱きついてきた少女の頭を撫でた。

「……お待たせ。……最高に似合ってるぞ、そのお洋服」


(……。……。……)

(……。……。……)

(……。……。……あー、良かった。適当なハッタリが物理的に解決してマジで助かったわぁ……。俺の胃袋理論、サンキューな、グラトニー)


 はじめが内心で、冷や汗混じりの安堵に浸っていた、その時。


「……自分ら、まーたええかげんなこというとるな?」


 氷点下の声が響いた。

 見れば、そこには腕組みをしたタイラが、般若のような形相で立っていた。


「ひょろ男はん。自分、さっきから『仕様』やの『新品』やの、夢のないことばっかり頭の中で唱えてはるやろ? 琥珀ちゃんがこんなに喜んどるんやから、もっとシャンとしなはれ!!」


「げっ、タイラさん……」


 さらにタイラの矛先は、満足げに腹を叩いていた大男へも向かう。

「それからグラトニー! 自分もや! 『完食した記憶がないけどお腹いっぱいやから大丈夫』? どんだけガバガバな報告しとるんや!! もし一滴でも残ってて陛下に何かあったら、その胃袋、ワタシが裏返して洗うたりますからね!!」


「ヒッ、ヒエェェ!! マジ勘弁してくださーい!!」

 グラトニーが絶叫し、はじめの後ろに隠れる。


 極彩色の海。泣き笑いの少女。

 そして、ひょろ男と怪物を一喝する女官長の怒号。

 

 皮肉なことに、その騒がしさが、魚人国に「本当の日常」が戻ってきたことを何よりも雄弁に物語っていた。


「……あー、もう。分かりましたよ、分かりましたって! タイラさん、もうその辺にしてください。俺のHP、とっくにゼロなんですから……」


 はじめは、タイラの止まらない説教に両手を上げて降参しながら、ようやく重い腰を上げた。

 視線を上げれば、そこにはかつての「死の白」を脱ぎ捨て、生命の奔流に満ちた『新しい海』がどこまでも広がっている。


「……陛下」

 タイラが、いつになく真剣な表情で、隣に立つ黒耀を見やった。

魚人国うちらの『あとしまつ』。……これにて、一応の区切り、ということでよろしいな?」


 黒耀は、掲げていた至宝『始祖の真珠』をゆっくりと降ろし、満足げに目を細めた。

「ああ。……見事であった。タイラ、そしてはじめ殿。……貴公らのおかげで、この国は再び息を吹き返した」


 黒耀の言葉に、琥珀が、そしてグラトニーが、晴れやかな表情で頷く。

 

「……さあ、いつまでもここで泥にまみれているわけにもいかぬ。一度、城に戻るとしよう」

 黒耀が凛とした声で号令をかける。

「はじめ殿、アルト殿。貴公らの労をねぎらわねばならぬ。……それから、今後の『お洋服』の管理についても、な」


「げっ、まだ何かあるんですか……?」

 はじめが露骨に嫌そうな顔をしたが、アルトがその背中をぴしゃりと叩いた。

「当然です、はじめ様。契約の完了クロージングまでが『お仕事』ですから。……さあ、行きましょう」


 はじめのボヤきを先頭に、一行はゆっくりと、色彩の戻った海底を泳ぎ出した。

 目指す先には、真珠の光を浴びて宝石のように輝く魚人城が、彼らを迎え入れるようにそびえ立っている。

 

 ――それが、さらなる「眠れない旅」の始まりになるとは、この時のはじめはまだ、知る由もなかった。


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