第三十九話:後始末です。スタイリッシュです
「……五十パーセント……。……アルト君、君の計算に……エラーはないんだな?」
はじめの声が、絶望に震える。アルトは無機質な瞳で「……事実です」とだけ答え、眼鏡を直した。ベアトの聖なる光をもってしても、海の底深くに根を張った毒の「核」には届かない。
絶望が一同を飲み込もうとした、その時。
「——おやおや。坊やたちは、まだそんなちっぽけな『数字』に囚われているのかしらぁ?」
深海の底から、海水そのものが「意思」を持って歌い出したかのような、艶やかで重厚な声が響き渡った。ブルーホールの闇が、突如として神秘的な翡翠色の光に染まる。
「なっ……、あ、あ、あああ……っ!!」
その声を聞いた瞬間、黒耀が目を見開き、膝から崩れ落ちそうになった。
「陛下!? しっかりしなはれ!! 意識飛ばしたらあきまへん!!」
タイラが慌てて女王の体を抱きかかえる。魚人族の頂点に立つ黒耀ですら、その圧倒的な存在感を前に、呼吸をすることすら忘れて硬直していた。
「……リ、リヴァ……イアサン……様……」
はじめ、りり、アルトの三人は、ただただその場に縫い付けられたように立ち尽くした。脳内の論理回路が「理解不能」というエラーを吐き出し、ただその神々しさに圧倒される。
「一気に消せないなら、手を出さない。……それがこの海の理だというのに。……そこの『ひょろ男くん』、君たちのハッタリは、少しばかり出力が足りないようねぇ」
リヴァイアサンは、はじめを「ひょろ男」と一蹴し、優雅に指先を毒の塊へと向けた。
「なによおぉぉッ!! この……トカゲ女ッ!! はじめ様のハッタリは世界一なんですのよッ!!」
空気を切り裂くベアトの罵声。だが、リヴァイアサンはそれすらも心地よい子守唄のように聞き流し、ただ微笑んだ。
「二回に分けるなんて、そんな野暮なことは致しませんことよ。……この海の澱みは、わたくしがすべて『飲み込んで』差し上げますわぁ」
リヴァイアサンがそっと手をかざした瞬間、世界から音が消えた。
アルトが「浄化しきれない」と断じた50%の毒が、まるで最初から存在しなかったかのように、翡翠の光の中に溶けて消えていく。
「……。……きれい……」
琥珀が、ただ純粋にその光景に見惚れ、ぽつりと呟いた。
そこにあるのは理屈ではなく、絶対的な「愛」という名の物理削除。
漆黒の闇だった大穴の底は、一瞬にして、一点の曇りもない清浄な水流へと書き換えられた。
リヴァイアサンが優雅に、そして恐ろしいほど無慈悲な愛で毒のコアを「完食」し、翡翠色の泡となって消えた後。
大穴の底に残されたのは、機能停止してプカプカと浮かぶ数万の幽霊軍の死骸と、あまりの神々しさに魂を半分ログアウトさせた女王・黒耀。そして、絶句するはじめたちだった。
「……終わった……のか……?」
はじめが呆然と呟く。だが、視界を埋め尽くす真っ白な「ゴミ(残骸)」は、一向に消える気配がない。
「……いいえ、はじめ様。……ここからが、本当の『作業』です」
アルトが、乱れた前髪を無造作にかき上げ、眼鏡をクイと指で直した。その瞳には、かつてないほどのプロフェッショナルな輝き……いや、どこか「手慣れた者」の余裕が宿っている。
「……アルト君。君、なんか急に顔つきが変わったな。……というか、その……『巨大なものの後始末』について、妙に前向きじゃないか?」
「……。……ええ。……巨大な怪獣が去った後の、どうしようもない惨状を片付けるのは……私の専門分野(既視感)ですから」
「……専門分野!? 君、執事だよね? どこでそんなスキル習得したんだよ……」
はじめのツッコミを涼しい顔で受け流し、アルトはタイラから『始祖の真珠』を奪い取るように受け取った。
「タイラ殿。女王陛下を安全な場所へ。……はじめ様、琥珀様。……見ていてください。……『お着替え』の総仕上げ、この私が代行させていただきます」
「……。……はじめはん。……アルトはん、なんか……別の映画の撮影入っとるみたいにノリノリやけど、大丈夫か?」
タイラが白目を剥いた黒耀を支えながら、はじめに耳打ちする。
はじめは、ただ引きつった笑顔で頷くしかなかった。
「(……いいんだ、タイラさん。……今は、この『あとしまつ』のプロに任せるしかないんだ……!!)」
はじめは、どこか遠い目をして自分に言い聞かせるように呟いた。
その視線の先では、アルトがまるではじめから用意していたかのように、懐から一通の「手順書」らしきものを取り出している。
「……はじめ様。巨大な質量を消去する際は、その後の『残留エネルギー』の処理が最も重要です。放置すれば、また別のバグ……いえ、別の『怪獣』を呼び寄せることになりかねませんから」
「……。……え、アルト君。君、いつからそんな……清掃業者のチーフみたいな顔してマニュアル読んでるの?」
「マニュアルではありません。……『処理計画書』です」
アルトは事も無げに言い放つと、迷いのない口調で指示を飛ばした。
「……。……アルト君。……君、今、なんて言った?」
はじめが呆然とする中、アルトは眼鏡をクイと押し上げ、迷いのない口調で指示を飛ばした。
「はじめ様、ボヤいている暇はありません。これより幽霊軍の完全消去、および海域の再描画を開始します。……ベアト様、りり様。前へ」
アルトが眼鏡をクイと押し上げ、計画書をパサリと翻す。
「……な、なんですの? アルト。私に、このトカゲ女(リヴァ様)の残飯処理をしろと言うのですか!?」
ベアトが不満げに聖剣を振り回すが、アルトはその切っ先を指一本で軽く受け流した。
「まず、ベアト様。その神々しいエネルギーを、りり様に流し込んでください。……流しながら、です。角度は右三十度、波長をりり様の魔力に同調させて」
「な、なんですの!? 私にそんな、精密機器のような真似をしろと!?」
「できます。……貴女様の『愛』なら。……次は、りり様。ベアト様のエネルギーを増幅器として利用し、最大出力の『範囲ヒール』を、浮遊する幽霊軍の死骸に向かって放ってください。私の計算では、二つのエネルギーが共鳴し、広範囲の洗浄が可能になるはずです」
「(……やっぱり洗浄って言ったよ、この執事……ッ!! アルト君、君の語彙がどんどん清掃業者寄りになってるぞ……ッ!!)」」
はじめの心のツッコミを無視して、現場は急速に動き出す。
「……わかりましたわ! はじめ様の嘘を、私が真実に書き換えて差し上げますわッ!! ……りり! 準備なさい! 私の『愛』は、並の演算能力じゃ受け止めきれませんわよッ!!」
「……。……はい、ベアト様……!! ……はじめさん、……見ていてください……!!」
ベアトの手が、りりの背中に添えられる。
瞬間、深海の底に、物理的な「熱」を伴う凄まじい黄金の奔流が巻き起こった。
はじめの戦慄をよそに、アルトの「あとしまつ」は無慈悲なほど完璧に、そしてスタイリッシュに開始された。




