第三十七話:魚人族の宝
静寂に支配された「白い更地」に、猛烈な勢いで水流を切り裂く影が一つ。
「——はじめッ!! 何をした、一体何をやらかしたのだ貴様ぁぁぁッ!!」
王としての威厳をかなぐり捨て、尾を激しく振るって現れたのは、水晶宮で待機しているはずの黒耀だった。彼女は現場の惨状を目にした瞬間、その場に凍りついた。胃を抑える手すら忘れ、呆然と、塵となったかつての森を見つめる。
「……あ、あはは。陛下、お早いお着きで……。いや、これはですね……」
「これが……これが実験の結果か!? 毒を消すために、海そのものを消し去ってどうする! はじめ、貴様、まさか……最初から、この地を破壊するのが目的だったのではあるまいな!?」
黒耀の瞳に、王としての鋭い光が宿る。
はじめは冷や汗を拭いながら、脳内のハッタリ・エンジンを再起動させた。
「……滅相もありません。陛下、先ほど琥珀にも説明したのですが、これは『お着替え』……いえ、不純物を完全に昇華させ、海を『白』の状態に戻したのです。……そう、ここからが真の……」
「……黙れ。その、耳に心地よいだけの空虚な言葉はもうよい」
黒耀がはじめのハッタリを鋭く遮った、その時。
背後で真っ白な灰を被り、胃を抱えてうずくまっていたタイラが、ようやく重い腰を上げた。
「……陛下。……はじめはんの言い分は、確かにデタラメの極致や。……自分でも、何言うてるか分かってへんと思いますわ」
タイラが、ボロボロの体で女王の前に進み出た。はじめは「あ、タイラさん、俺の味方してくれる……?」と期待と不安が混じった顔で見守る。
「タイラか。……貴様も、この惨状を是とするのか?」
「……陛下。わては、この男を信じてるわけやあらへん。……ただな、この男が『ドーン!』とやった後、あの毒の嫌な気配が、綺麗さっぱり消えたんも事実なんや」
タイラははじめを冷たく(でもどこか信頼を込めて)一瞥し、再び女王に向き直った。
「……死んでしもうたもんは、もう戻らへん。……でも、毒に侵されたまま腐るのを待つだけやったこの場所に、無理やり『更地』を作ったんは、この男や。……陛下。この真っ白な場所に、何か新しいもんを植えられるんは……百年の知恵を持つ、陛下しかおらへんのとちゃいますか?」
その言葉は、はじめのどんなハッタリよりも重く、黒耀の胸を打った。
「……タイラ。……わかった。……貴様がそこまで言うのなら、私も、魚人族の王としての仕事をつけねばならんな」
タイラさんの言葉に動かされ、黒耀様は静かに、でも力強く、その「再生のロジック」を語り始めます……。
「……はじめ。そしてタイラよ。……かつて、この海が熱に浮かされ、サンゴが次々とその色を失った時。我ら魚人族の先祖が、絶望の淵で見出した方法がある」
黒耀様は、真っ白な砂となったサンゴの残骸を、愛おしそうに指でなぞりました。
「……サンゴは、死してなお、次の命の『苗床』となる。……だが、ただの骸では足りぬ。……はじめ、貴様が放ったあの爆発的な光……あれは、毒という不純物を焼き払い、この地を**『もっとも純粋なカルシウムの基盤』**へと変えたのだ」
「(……お、おう。……なんか俺の適当なハッタリが、急に学術的な裏付けを持ち始めたぞ……?)」
「……これより、水晶宮に眠る**『始祖の真珠』**をここへ運ぶ。……その真珠が放つ微弱な魔力と、この清浄化された更地が共鳴すれば……死んだサンゴの『記憶』を核にして、新しい命が爆発的に芽吹く。……かつて、我が先祖が百年かけて成し遂げた再生を、私はこの『真っ白な大地』で、今一度再現してみせよう」
黒耀様の宣言が、静まり返った更地に響き渡る。
はじめは、内心で(……よっしゃあぁぁ! 帳尻が合ったぁぁ!!)と叫びながらも、表面上は不敵な笑みを崩さなかった。
「……フッ。流石は女王陛下。……俺がこのエリアを『完全な更地』にした意図を、瞬時に見抜かれるとは。……アルト、聞いたか。これがこの海の『再起動』に不可欠な手順だ」
「……左様で。……(はじめ様、後で詳細な言い訳のログを共有してください)」
アルトが無表情に眼鏡を光らせ、タイラが「わて」と言いながら、呆れたようにため息をつく。
「……はじめはん、あんたホンマに……。まあええわ。陛下、始祖の真珠を使うとなると、わてら近衛の守りも固めなあきまへんな。……あんなもん、狙われへん方がおかしい貴重品や」
「……うむ。タイラよ、手配を。……はじめ、貴様もだ。……『魔法の種』と言ったからには、その芽が出るまで、貴様にはこの海を見届ける義務がある。……よいな?」
「……。……ああ。……もちろんだ。約束したからな」
はじめは、琥珀の笑顔を思い浮かべながら、少しだけ本物の「責任感」が混じった声で答えた。
「……わかった。私は一度、水晶宮へ戻り、真珠の封印を解く準備に入る。……はじめ、タイラ。貴様たちは、この北の海域から、毒の『根』を完全に一掃しておけ。一滴でも残っていれば、真珠の魔力は反転し、海を腐らせる毒へと変わる……。よいな?」
「……。……ああ、任せておけ(……え、一滴でも残ってたらアウトなの!? めちゃくちゃハードル高くないか……!?)」
黒耀は、残った僅かな魔力を振り絞り、水流を纏って水晶宮へと飛び去った。
残されたのは、真っ白な更地と、脂汗を流すはじめ、そして呆れた顔のタイラ。
「……さて、はじめはん。陛下はああ仰ったけど、この広大な更地から『目に見えへん毒の残り』をどうやって探すつもりや? わての鼻でも、さっきの爆発で感覚がバカになってもうてんねん」
「(……やべえ。俺だって、バイオハザードのセンサーなんて持ってねえよ!!)」
はじめの視線が、無機質に浮遊するアルトと、何かを言いたげにしているグラトニーへと向けられる。
「……アルト君。……君の計測器で、毒の『残留濃度』を可視化することは可能か? ……グラトニー。お前、『毒の場所』……わかるよな?」
「…………。…………ピキピキ、ピキ、……。…………(しっぽを北の方へ向けて、小刻みに震わせる)」
「……はじめ様。グラトニーの反応を見るに、この更地のさらに『奥』……まだベアト様が焼いていない深層部に、毒の【中枢】が逃げ込んだ可能性があります。……これより、毒の特定と移動を開始しますか?」
「……。……ああ、いくぞ。……りり、琥珀、危ないから俺のそばを離れるなよ」
はじめは、りり、琥珀の手をギュッと握り締め、真っ白な砂塵が舞う「死の海」のさらに深部へと、重い一歩を踏み出した。
「……。…………ピキピキ、ピキ、……。…………(しっぽをさらに北、深い海溝の闇へと向ける)」
「……。……なるほど、あっちか。……よし、アルト、グラトニーの指し示す座標へ移動だ。……流石だなグラトニー、お前のその『毒を嗅ぎ分ける能力』、この国の宝だぞ」
「(……。…………ピキ?)」
グラトニーが、首をかしげて不思議そうな声を出す。
(……能力というか、あそこに俺が設置した『毒のタンク』があるだけなんだけどな……。なんでこの人、こんなに感動してるんだろう……?)
そんなグラトニーの困惑を、はじめは「謙遜」だと勝手に解釈し、頼もしく頷いた。
「……はじめはん。……グラトニーが優秀なんはええけど、あいつが指してる方向、どんどん海が暗くなってへん? ……あそこ、わてら近衛でもあんまり近づかん【大穴】の入り口やで」
タイラが、槍を握り直して警戒を強める。
はじめは、その「暗闇」を見つめ、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「……。……毒のコアが『逃げ込んだ』んじゃなくて、あそこが元々の【発生源】だったってことか。……ちょうどいい。一網打尽にしてやるよ」
はじめは、背中に嫌な汗を感じながらも、りり、琥珀の手を引いて闇へと足を踏み入れた。
そのすぐ後ろで、アルトが無慈悲に計測器を操作し、毒の「正体」を暴くためのログを収集し始めている……。




