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第百二十六話:静寂の間にて

教皇庁の最下層。

そこは、昼間の喧騒が嘘のように、絶対的な静寂と、肌を刺すような冷気に支配されていた。


一歩踏み込むごとに、はじめの吐く息が白く染まっていく。

前方には重厚な扉、そしてその周囲を固める数名の警備兵の影。


「……人数確認。墨花さん、お願いします」


「少し待ってね」


はじめの囁きに応じ、墨花が音もなく闇へと溶け込む。

数拍の後、彼女は何事もなかったかのように影の中から実体化した。


「……そうね。隠れているのも合わせて、計十二名、といったところかしら」


「隠れてるのも、いるのぉ……」


はじめが頬を引きつらせると、アイが冷徹な瞳を光らせて前に出る。


「場所さえわかれば、人形化できます。……もう、体力も完全回復していますので、問題ありません」


「人形化させた方がいいわね。……別に、わざわざ証拠を残す必要もないでしょう?」


ベアトの合理的な提案に、レイラも頷く。


「入ったという事実さえ残らなきゃ、別に問題ないしな」


「……全部殺す方が楽なのに。……まぁ、決定には従うよ」


まおの、淡々とした物騒な呟きに、はじめは内心で(夜のまおさんは、墨花さんより物騒だぁ……!)とのけぞる。

だが、その緊張感の中でもチームの歯車は、完璧に噛み合っていた。


「ヒールの準備はしておきますね」

「いよいよだね、はじめ様!」


りりと琥珀が、戦闘態勢を整える中、ケルちゃんだけが、(ワイ、なんでまた連れてこられてるんや? 『チームはじめ』に入ったつもり、ないんやけどなぁ……)と、一人、場違いな言葉を脳内で走らせていた。


「……では、いきます」


アイが静かに指を鳴らした。

パチンという、軽快な音が冷たい回廊に響く。

次の瞬間、十二名の警備兵は、声を上げる暇もなく、物言わぬ人形へと姿を変えた。


「……では、お部屋に入りますか」


はじめが重い鉄の扉に手をかける。

ギギギギィ……と、滅多に開かれることのなかった重厚な物音が、静寂を切り裂いて響き渡る。


扉の向こう側――

はじめたちは、さらに冷ややかで、青白い光が揺らめく未知の空間へと、一歩、踏み込んだ。


扉の向こうは、深海のような闇に包まれていた。

窓一つない広大な空間に、はじめは目を細めて必死に視線を泳がせる。


「暗くて、よく見えませんね……」


「人間てのは、不便なんだね。……僕は、夜の方がよく見えるけどね」


隣を歩くまおの瞳が、闇の中で獣のように鋭く発光した。


「……そりゃ。……猫だから……」


はじめが力なく返すと、後方からケルちゃんの呆れたような声が響いた。


「しゃあないなぁ。……ライト!」


ケルちゃんが短く叫ぶと、空間全体が魔法の光に包まれ、ほんのりと周囲が明るく照らし出された。


「もっと明るうできるけど、一応、潜入なんやろ? こんぐらいでええやろ?」


「十分ですわ。……ありがとう、ケルちゃん」


墨花が頷き、一行は慎重に歩みを進める。

そこは何もない、ただただ広い石造りのホールだった。だが、その静寂を切り裂くように、まおが不意に鼻をひくつかせた。


「……この先、何かにおう。……きっと、毒の香りだ。……あぁ……」


まおの表情が劇的に変わる。

頬を赤らめ、うっとりと恍惚の笑みを浮かべた彼女は、ふらふらと何かに吸い寄せられるように奥の扉へと進み始めた。


「……まお。一人で進むなんて、ダメな子ね」


墨花が瞬時にその肩を掴み、強い力で引き留める。

その声には、年長者としての厳しさと、妹を案じるような色が混じっていた。


「……墨ねぇ。……ごめん。つい、……わかんなくなったよ」


ハッと我に返ったまおは、名残惜しそうに鼻を鳴らしながら立ち止まる。

はじめはその様子を呆然と見つめながら、内心で戦慄していた。


(……まおさんにとって、毒の臭いって、またたびなの!?)


毒への耐性が、異常な快楽へと変換されるまおの性質。

その狂気じみた期待感が、扉の向こうに潜む『真実』の異常さを、静かに物語っていた。


まおの鼻が捉えた「毒の香り」に導かれ、一行は最奥の扉を開き、その中へと足を踏み入れた。


そこには、冷たい月光のような青白い光に照らされた一台の台座があった。

その横に直立していたのは、あまりにも精巧で、あまりにも無機質な『氷像』となった第2教皇ジョヴァンニの姿だった。


「……これは、……ゼロの仕業だ。あいつ、またこんなに無慈悲なことを……」


はじめは絶句し、その場に崩れ落ちそうになる。

一国の教皇を物言わぬ氷の彫刻へと変え、こんな地下深くに打ち捨てたという現実に、はじめの心臓は激しく軋んだ。


「これ、ルチさんに報告すべきなんだろうか。……この姿、流石に見せるのは……」


はじめの苦渋に満ちた問いに、仲間たちは返答に詰まり、一様にうつむく。

だが、その沈黙の中で唯一、まおだけがその氷像を射抜くような眼差しで見つめ続けていた。


「……ごめん、墨ねぇ。この氷像、なんか変だよ。調べていい?」


「ええ。……いいわよ、まお」


墨花の許可を得て、まおは氷像の表面に指先を這わせ、隅々まで走査していく。

一見すれば、ただの冷たい氷の塊。だが、まおの指先が、ある一点で止まった。


「これ、ほんの少しだけど、溶けかかっている。こんな、極寒の場所なのに」


「「まさか!?」」


全員の声が重なり、場に衝撃が走る。

外気の温度に関わらず、ゼロの毒ならば本来溶けない。

ゼロが意図的に『解けるプログラム』を仕込んでいたという証。


「……夜のまおは、やっぱりすごいですわね」


墨花の瞳に、鋭い光が宿る。


「アイさん、琥珀ちゃん。この氷像、丁寧に持ち帰りますわよ。……もしかしたら、まだ……」


「了解です」

「琥珀、頑張る!」


二人で氷像を優しく抱きかかえ、一行は『静寂の間』を後にした。

パチン、という指の音が鳴り響くと同時に、彼らの気配は、再び夜の闇の中へと完全に消失していった。


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