第百二十四話:ルチアーノ教皇の真意
保安局長室の瓦礫が静まり返る中、ルチアーノ教皇は、何かを決意したような瞳ではじめに向き直った。
「では、はじめ君たちには、申し訳ないが、一日待ってほしい。僕を、少しだけ『自由』に、させてほしいんだ」
「???」
はじめが、言葉の真意を計りかねて首を傾げた瞬間。
墨花が、扇を鳴らしてその間に割り込んだ。
「はじめ様。……ここは、お好きにさせてあげては? 実のお兄様のことですから……」
「……そうだね、墨花さん。……では私たちは、この後どうすれば?」
「そうだね。この際、ここで部屋を用意させよう。……そのくらいの力はあるから♪」
ルチアーノ教皇が、ふわりと浮かべた慈愛の微笑。
だが、はじめにとって、今の彼が見せるこの笑顔ほど、恐ろしいものはなかった。
「お言葉ですが、ここは敵陣。……ちゃんと休めるんですの?」
ベアトが、不信感を露わに唇を尖らせると、アイも、慎重に言葉を繋ぐ。
「面倒でも、一度離れて戻る方が、リスクがないのでは?」
「……まぁ、いざって時は。……はじめは私が、守るけどな」
レイラが不敵に笑えば、まおは、欠伸を噛み殺しながら呟く。
「……どうでもいい。……で、どうすんの?」
「はじめ様が決めてください。私は、それに従います」
「琥珀もー!」
(また、無茶振り……! もう、みんなの安全が担保されるかなんて、判断できないんですが……!)
はじめが、冷や汗を流しながら苦悩していると、ケルちゃんが、呑気な声で追い打ちをかけた。
「はじめはん。結果、どこ行っても一緒やで。……これこそ『風の吹くまま、気の向くまま』ちゅうやつやで♪」
「私たちはどこでも、はじめ様となら大丈夫ですわ。……はじめ様、ご決断を」
墨花の、確信に満ちた瞳に背中を押され、はじめは喉を鳴らして決断を下した。
「じゃあ、……熟睡はできないかも……ですが。……ここで、泊まりましょう」
はじめたちは、ルチアーノ教皇の忠臣に案内されるがまま、教皇庁内部の大部屋に止まることにした。
個人部屋に分かれるのは、各個撃破のリスクが高すぎると判断した。はじめなりの、必死の防衛ビルドだった。
重厚な石壁に囲まれた、静かすぎる大部屋。
外では、ルチアーノ教皇が独り、兄の痕跡を求めて、聖域の深部へと消えていった。
ルチアーノ教皇の忠臣、マルコに導かれ、一行は教皇庁の奥深くにある重厚な大部屋へと足を踏み入れた。
「こちらでお休みください。食事もすぐに運ばせます」
マルコが音もなく去ると、ほどなくしてワゴンに乗せられた豪華な夕食が運び込まれた。誰もが空腹を感じていたが、ここは敵陣のど真ん中。まおが黙って前に出ると、指先を微かに光らせて一皿ずつ丁寧に毒鑑定を始めた。
「……シアン、テトロド、各種合成毒ログ。……なし。食べれるよ」
まおの淡々とした報告を経て、ようやく一行は静かな夕食を終えた。
窓の外は深い闇に包まれ、琥珀が心地よい疲労感に身を任せ、りりの膝の上でうとうとと船を漕ぎ始めている。
だが、はじめの心臓は未だに爆速のままだった。今日目の当たりにした教皇の変貌が、網膜に焼き付いて離れない。
(無理。……こんなところで、熟睡なんて絶対に無理だよぉ……!)
自分が眠れない不安に耐えかね、はじめは唐突に、自分でも驚くほど身勝手な提案を口にした。
「あの、みんな。……もしよかったら、少し雑談……しないかい?」
( That's 自己中!)と内心で自分を罵倒しつつも、はじめは仲間の輪の真ん中に座る。
墨花がその意図を、優しく見通したようにふふと笑い、ベアトやレイラも苦笑しながら腰を落ち着けた。琥珀を毛布で包み込み、深夜の、だが極めて重要な雑談会が幕を開けた。
はじめは、ルチアーノ教皇が見せた異様な激情や、残り2日となった猶予について、心に溜まっていた不安を一つ一つ吐露していった。
内容は決して明るいものではなかったが、仲間たちは誰一人としてそれを否定せず、一晩中、静かに耳を傾けていた。
やがて話し疲れたはじめがふっと息を吐くと、部屋には再び重厚な静寂が舞い戻った。
(あぁ。……結局、一秒も眠れなかった……)
結局、はじめはろくに横になることさえ出来なかった。
だが、隣で小さな寝息を立てている琥珀や、静かに武器の手入れを続ける仲間たちの気配。そして何より、自分の我儘(不安)に朝まで寄り添ってくれた彼らの存在が、唯一の支えだった。
窓から白亜の街を照らす朝の光が差し込み始めた、その時。
……コツ、コツ、と。
部屋の前に、静かな、だが確かな足音が近づいてきた。
扉が静かに開き、朝の光を背負ってルチアーノ教皇が姿を現した。
その足取りは昨日までの荒々しさが嘘のように優雅で、それでいてどこか、この世のものとは思えないほど透き通った気配を纏っている。
はじめは椅子から立ち上がり、寝不足で重い瞼を擦りながら彼を見つめた。
―― ゼロ撃破から、残り1日 ――
「おはよう、はじめ君。一晩中、『お喋り』をしていたようだね」
ルチアーノ教皇の視線が、部屋に散らばる雑談の痕跡、そして寄り添って眠る琥珀たちへと向けられる。その瞳は慈愛に満ちているようでいて、奥底には消えることのない冷徹な炎が静かに燃え盛っていた。
「ルチ教皇。……何か、見つかったんですか?」
はじめの問いに、ルチアーノ教皇はふっと微笑み、懐から一通の古びた封書を取り出した。
それは教皇室の隠し棚の奥底に眠っていたであろう、兄からの「最後のログ」だった。
「あぁ。兄さんは待っていたよ。私が『ここ』に辿り着くのをね」
教皇がその封書を、はじめの前に差し出す。
そこには、震える文字で、だが明確な意志を持って綴られていた。
『ルチアーノへ。……』
はじめはその手紙に記された衝撃的な事実、そして残り24時間を切るカウントダウンの加速に、思わず息を呑んだ。




