第百二十三話:保安局長のその後
粉砕され、無残に転がる扉の残骸。
立ち込める土煙を優雅に払いながら、ルチアーノ教皇は、デスクの奥で腰を抜かしている保安部局長へと歩を進めた。
「こ、これは。……ルチアーノ教皇様。……本日は、その、お日柄も良く……」
「……お前。分かってんだろ?」
ルチアーノ教皇の口から漏れたのは、これまでの温和な響きとは正反対の、鋭く冷たいナイフのような声。
彼は局長のデスクに、細く美しい指を突き立て、獲物を逃さない猛禽のような瞳で、男を射抜いた。
「……第4教皇であるこの『俺』に―― 喧嘩売ったんだよな? ……あぁん?」
(な、なにこれ。……ヤクザ映画か何か? 怖い、怖すぎるんですけど。……この教皇様……!)
背後で控えるはじめは、あまりの変貌ぶりに冷や汗が止まらない。
守るべき聖者だと思っていた男が、今や誰よりも、暴力的なオーラを放っているのだ。
はじめ以外のメンバーは、何やら分かっていたかのような笑みを浮かべていた。
「と、とんでもございません!……私の部下が、何らかの不始末をしでかしたようで。後で、厳重に処罰いたしますので!」
「……あぁ、あいつか。……もう、こっちで『処分』しておいたから。心配しなくていいよ」
ルチアーノ教皇は、ふっと目を細め、死神のような微笑を浮かべた。
「……で。……次の処分対象は。……『君』だよね? バルド局長」
「な、何を仰っているのですか! ここは、神聖なる第2教皇様の聖域。第4教皇である、貴方の権限外のはずだ!」
必死に上下関係で身を守ろうとするバルド局長に対し、ルチアーノ教皇は、喉の奥で低く、残酷な笑いを漏らした。
「……面白いことを言うね。……君は。……第2教皇は、私の『兄』だ!」
(うそーーん! だから、あんなに怒ってたのね。……!)
はじめは心の中で、天を仰いだ。
肉親を、コピーにすり替えられた男のブチギレモード。
それは、論理も権限も、全てを焼き尽くす絶対的な激情だった。
「な、……」
バルド局長は、絶句したまま、金魚のように、口をパクパクと動かすことしかできない。
第4教皇と第2教皇が、そこまで深い繋がりを持っていたなんて計算外だったのだ。
ルチアーノ教皇は、ゆっくりと腰を落とし、恐怖に固まるバルド局長の顔のすぐそばに、その美しい、だが死を予感させる顔を寄せた。
「……さて。『お喋り』の続きをしようか……」
はじめの隣で、琥珀がその服の裾をギュッと握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でガタガタと震えている。
「……は、はじめ様。あの『天使の教皇様』 中身、別の人に入れ替わっちゃったの?」
「しっ! 声が大きいよ、琥珀ちゃん! 今のルチさんは、『怒れる神様』なんだよ。目を合わせちゃダメだ……!」
はじめは、琥珀を庇うように抱き寄せながら、二人して石像のように固まる。
その横で、墨花が「ふふ。……良いお顔ですわね」と、敬愛ともとれる恍惚な表情を浮かべていた。
ルチアーノ教皇は、デスクに突き立てた指をゆっくりと離し、バルド局長を見下ろした。
「……では、まず。……第2教皇の現状を教えてもらおうか。……バルド君」
(あ、やっと、いつもの口調に戻った。怖かった、……怖かったよぉ……!)
はじめが、安堵の溜息を漏らしたのも束の間。
「……そこの『はじめ』が、教皇を連れ去りました。……以上です」
バルド局長の。居直るような回答。その瞬間、ルチアーノ教皇の顔から、再び全ての温度が消え失せた。
「あぁん?……お前、そんなこと聞いてねぇんだよ。どこまで『調べてんだ』って聞いてんだよ。……あぁ?」
(また変わったぁ!。……もう、耐えられませんよぉ……!)
はじめは、白目を剥きそうになりながら、怒れるルチアーノ教皇の影に隠れるように、縮こまった。
「し、失礼いたしました! ……はじめが訪問した日、局員たちが戻ると窓が開いており、痕跡が全くなかったため、はじめ、めぐみの両名による……窓からの誘拐と断定いたしました!」
「……つまり。状況証拠も、物理的な確証も何もなく『訪問したから』という理由だけで、あそこまで暴れ回ったってことだな?」
「で、ですから!……第4教皇様には、……ご迷惑が掛からないようにと……!」
「お前、どの口が言ってんだ?……我が聖域である教会の、シスターの家族を拉致しただろうが……!」
ルチアーノ教皇の、低い怒声が、粉砕された室内に、爆音のように響き渡る。
「し、……しかし……!」
「しかしも、カカシもねぇんだよ。……おい!マルコ!」
ルチアーノ教皇が、短く鋭く呼ぶと、背後の影から、一人の忠臣が音もなく姿を現した。
「……こいつを『教皇裁判』にかける。……だが、『生きてりゃ』それでいい。……分かってるな?」
「はっ」
マルコの、無機質な返事と共に、バルド局長は、抵抗する暇もなく、……ずるずると闇の奥へと連れ去られていった。
静寂が戻った室内。
だが、目の前の敵を排除したところで、根本的な解決には至っていない。
第2教皇という、重要ポストが『偽物』であったという状況は、依然として、天使国の深部を侵食し続けていた。
「では、はじめ君。次の段階に移るよ――この教皇庁、全ての『調査』だ」
ルチアーノ教皇は、やさしい笑みを浮かべ、今まで通り慈愛に満ちた態度で話しかけてくる。
だが、はじめにはもう、その表情で安心することは出来なかった。




