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第百十六話:裏切り者のシスター

一行は、質素だが栄養バランスの計算された、夕食を終え、各自部屋でくつろいでいた。

用意された大部屋では、各自布団に寝転ぶと、うとうとしだす。無理もない。

山越えを行い、約四日ぶりの布団のぬくもり。

疲労もあり、深い眠りに落ちていった。はじめも例外ではなかった。


セイント・ベルナルド教会の夜は、驚くほど静かだった。


ただ、一人。

窓辺の月明かりの下で、一人の少女だけが膝を抱え、古びた本を読み耽っていた。


「眠れないのですか?」


背後からかけられた声に、まおは視線を本に落としたまま答える。


「僕は猫だよ。夜行性なだけ。……朝方には寝るから、気にしないで。墨花さんこそ、寝ないの?」


「私は烏賊魚人だもの。……私たちも、あまりガッツリとは寝ないのよ。……まあ、目を開けたまま寝てることもあるけどね♪」


墨花の茶目っ気たっぷりの告白に、まおは「そうかぁ」と短く呟き、窓の外に広がる銀世界の天使国を見つめた。


「まおさんは、いつ、猫又になったの?」


墨花の問いに、まおはしばし沈黙した後、本をゆっくりと閉じた。


「……言ってなかったね。今日は気分がいいから、話してあげる」


それは、……二十年以上も昔の記憶。


「僕が生まれたのは、……今から二十年以上前のこと。猫だった頃のことは、正確には覚えてないんだ。……魔人族のある、老婦人の飼い猫だったみたい。で、その主人も亡くなって、……たぶん、十数年は野良猫をしてたんだと思う」


「そうだったんですね。……それで、どうなったの?」


「ある朝、突然。しっぽが二つに割れて。……後で聞いた話だけど、二十年以上生きた猫は、猫又になることがあるんだって。……それで人語や人化ができるようになって、今に至るのさ。……だから、正確な歳は知らないんだ」


「そうだったんですね。……まおさんも教えてくれたので、私も話しますね。今から……」


異端の魚人と、長生きの猫。

種族を超えた二人の語らいと共に、聖域の夜は深く、静かに更けていった。


―― ゼロ撃破から、残り7日 ――


一方、静寂に包まれた教会とは対照的に。

天使国保安庁では、何やら慌ただしさがピークを迎えようとしていた。


天使国保安庁の執務室。そこでは、夜通しではじめ達の追跡を続けていたであろう兵士たちが、殺気立った空気を纏っていた。


「ご報告申し上げます! 昨日、第四教皇閣下の元に、怪しい老夫婦が謁見に訪れたとの情報をキャッチしました!」


報告を受けた上司は、苦虫を噛み潰したような顔で低い声を漏らす。


「第四教皇か……。厄介だな。変わり者と噂されるあのお方だ。だが、我々でも直接は、……証拠もなしに聖域へ踏み込むわけにはいかん」


彼は苛立ちを押し殺すように、部下を鋭く睨みつけた。


「閣下に悟られぬよう、慎重に調べろ! 些細な違和感も見逃すな。逐一、報告するんだぞ」


「はっ! 了解いたしました!」


―― ゼロ撃破から、残り6日 ――


天使国保安庁の執務室。そこでは、昨日から続く老夫婦の追跡調査が、ついに一つの結末を導き出そうとしていた。


「ご報告申し上げます! その老夫婦の足取りが掴めました! おそらく、セイント・ベルナルド教会に潜伏している模様です!」


部下の報告に、上司は苦々しく机を叩いた。


「セイント・ベルナルド教会だと……。あそこは第四教皇の直轄地。くそっ、あそこも証拠なしには踏み込めん……」


苛立ちを隠せない上司だったが、すぐにその瞳に狡猾な光を宿した。


「第二班、三班を教会の監視につけろ! 逃亡ルートを完全に封鎖するんだ」


「了解しました!」


「あと、あそこで務めるシスター達を片っ端から調べろ。その家族を脅しに使えそうな奴がいたら、スパイとして送り込め! いいな、手段は選ばん!」


上司の非情な命令が下る。

聖域という名の防壁に守られていたはずのはじめ達。しかし、天使国の無慈悲な包囲網は、徐々に、確実に彼らを追い詰め始めていた。


―― ゼロ撃破から、残り5日 ――


天使国保安庁の執務室。そこでは、冷徹な追跡調査が音もなく進行していた。


「報告いたします! スパイとして潜り込ませたシスタールチアから、第一報が入りました。山田と名乗る老夫婦は、教会には訪れていないとのことです。近隣住民の証言からも、教会に入った姿は確認できておりません」


部下の報告に、上司は指先で机を叩き、鋭い眼光を放つ。


「教会の門前まで辿り着きながら、忽然と姿を消した老夫婦か。……ますます怪しいな。教皇閣下には決して気取られぬよう、細心の注意を払いながら監視を続けろ。ネズミ一匹逃がすなよ」


「はっ! 了解いたしました!」


―― ゼロ撃破から、残り4日 ――


焦燥の色が濃くなる執務室に、再び部下が駆け込む。


「シスタールチアからの報告です! 山田と名乗る老夫婦は、いまだ教会には姿を現しておりません。もしや、情報はガセなのでは?」


「……シスタールチアの家族をさらに締め上げろ。そして彼女に伝えろ。本気で探さなければ、『次』はないと。最後通告だ」


上司の冷え切った声が、執務室の空気を凍りつかせる。


「はっ! 了解しました!」


聖域の内側で、家族の命を天秤にかけられた少女の悲鳴が、静かに響き始めていた。


静まり返った教会の祭壇前で、一人の少女が崩れ落ちるように膝をついていた。

シスタールチア。その頬を伝う涙は、月明かりに濡れて痛々しく光っている。


「神父様。……懺悔させてください。これ以上、耐えられません」


駆け寄った神父が、その肩に優しく手を置く。


「どうしたんだい? シスタールチア。訳を話してごらん?」


「実は。数日前から、保安庁に家族を人質に取られ。……山田という老夫婦が来たら報告しろと、スパイのようなことをさせられていたのです。……けれど、急に『最後通告だ、嘘を吐くな』と脅されて……」


「それは困りましたね。シスタールチアは、全く嘘など言っていないのに。ご家族が心配ですね」


神父のどこまでも穏やかな声。

だが、そのやり取りを、影から静かに聞き届けていた者がいた。


「私たちをかくまったばかりに、ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」


影の中から現れたのは、墨花だった。

彼女は絶望に沈むルチアを見つめ、静かに、けれど揺るぎない口調で告げる。


「でも、シスタールチアさん。あと一日だけ。……我慢してくださらない?」


「どういう。……ことでしょう?」


「今日、これから。ご家族の状況を調査します。その上で作戦を立て、明日の夜には、必ず取り返します。だから、……調査の時間を、私たちにください」


裏切っていた自分を責めるどころか、救おうとする言葉。

ルチアは「裏切っていたのに」と謝罪の言葉を漏らしながら、その場に泣き崩れた。


「どうか。……どうか。……家族をお救いください……」


「任せて。チームはじめ。……救出作戦、開始よ!」


口にした言葉こそ軽快だったが、墨花の瞳の奥には、深淵のような激しい怒りが渦巻いていた。


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