第百十七話:救出作戦会議
真夜中の静寂を、墨花の切迫した声が切り裂いた。
「まお。……まお、いる?」
窓辺で月を眺めていたまおが、音もなく着地する。その瞳には、すでに夜の狩人のような鋭い知性が宿っていた。
「墨ねぇ。どうしたの、そんな怖い顔して。……嫌な予感がするよ」
「みんなを起こして。一刻を争うわ。食堂に、全員集合よ」
墨花の瞳に宿る、普段の彼女からは想像もつかない「静かな意志」。まおはその異変を瞬時に察し、「わかった。僕に任せて」と短く答えた。
そこからは、「優雅で強引な」目覚ましの時間だった。まおが猫のような俊敏さで、半ば強制的に全員をベッドから引きずり出す。熟睡していたはじめは、首根っこを掴まれるようにして覚醒させられた。
「ふわぁ。……まおさん、こんな時間に何事ですか? 明日に響きますよぉ」
「まおさん。……何かあったのですか? 墨花さんの声が聞こえたような……」
「ん。……うるさいわねぇ。今、起きるから。せっかくいい夢見てたのに……」
半分寝ぼけ眼のはじめ、目をこすりながら不安げに現れたりり。不機嫌そうに長い髪をかき上げるベアト。琥珀はレイラに抱えられたまま、まだ夢の続きにいるようだ。アイだけは、乱れ一つない凛とした佇まいで最後に食堂へ姿を現した。
食堂に全員が集まったその時、室内を支配していた微かな安らぎは、墨花から放たれる凍てつくような殺気によって霧散した。
墨花の冷徹な怒りが、静かな食堂に響き渡る。
「シスタールチアのご家族が捕まって。……脅されて、スパイをさせられていたみたいなの。幸い、天使国保安部は『山田』という老夫婦を探しているから、私たちの正体はバレていないわ。けれど……」
墨花の拳が、みしりと音を立てて握りしめられる。その静かな怒りに、夜の知性を宿したまおが即座に同調した。
「なるほどね。……つまり、捕まっているそのご家族を救出したい。ってことだね。……でも、墨ねぇがここまで怒るなんて、珍しいね。あの優しかったシスターが泣いてたの?」
「その通りよ。……夜のまおは、さすがに冴えているわね。あの子の涙、見過ごせなかったの」
墨花が愛おしそうに手を伸ばし、まおの喉元を優しく撫でる。まおは、目を細め、「ゴロゴロゴロ」と、安堵したように喉を鳴らした。二人の間に流れる、過去を共有したことによる濃密な空気。
「ちょ、ちょっと! あなたたち、いつの間にそんなに仲良くなったのよ!? 昨日の今日で、距離感バグってない!?」
ベアトが、信じられないものを見るような表情で声を上げる。その驚きを余所に、自分も撫でてみたそうに、琥珀がそっと小さな手を伸ばした。
だが、次の瞬間。まおの安堵の表情は消え、鋭い瞳が琥珀を射抜く。低く「シャァァ」と、威嚇の唸り声が漏れた。
「琥珀ちゃん、まおさんは猫です。気を許した相手にしか、その場所は触れさせませんわ。急に手を出したら、引っかかれますわよ。……ねぇ、まおさん?」
アイが、涼やかな声で制すると、レイラも深く頷いた。
「そうだぞ、琥珀ちゃん。あれは心を許し合った者同士の、信頼関係があってこそできる業だ。付け焼き刃では無理だぞ」
「ゆっくり、信頼関係。築いていきましょう? まおさんも、きっと琥珀ちゃんを認めてくれますよ」
りりの、穏やかな正論に、琥珀は「はーい」と残念そうに手を引っ込めた。
「で、墨花さん。具体的にどうするおつもりなんですか? 時間に余裕はないはずですよね」
はじめの問いに、墨花は迷いのない瞳で地図を見据えた。
「まず、今夜中にご家族の現状を調査します。監禁場所の特定と警備状況を確認しないことには始まらないわ。そして明日、ルチアーノ教皇に会い、救出後の助力を求めます。逃げ場所の確保ね。その後、夜の闇に紛れて救出。一気呵成に決めるわよ」
墨花は淀みなく、各員へ担当を言い渡していく。
「私とまおで、まずは調査に向かいます。夜の隠密なら私たちの独壇場よ。ケルちゃんも、……万が一のために連れて行くわ。そして、アイさんとはじめ様で、ルチアーノ教皇に会ってきてもらいます。最後は全員合流して、救出作戦開始。いいかしら?」
(これ。まさかのフラグ回収なんか。ワイ、生きて帰れるんかなぁ。一応精霊やし、簡単に死なんけど。……でも、墨花はんの怒り方は尋常やないし、拒否権なさそうやなぁ)
内心で冷や汗を流すケルちゃんを余所に、はじめが慌てて身を乗り出した。
「墨花さん! 待ってくださいよぉ! なんで面会が、僕なんですかぁ。……僕は指定手配中なんですよぉ。…… 別に、墨花さんでいいじゃないですかぁ。……完全な無茶ぶりですよぉ!」
「はじめ様と二人きりですから。喜んで♡ きっちりと役目をはたして見せますわ」
アイが、はじめの腕にそっと寄り添い、蕩けるような微笑みを浮かべる。
ベアトが、「なぜ……」と言いたげに唇を噛んだが、言葉は発せなかった。アイの人形化能力の重要性を理解しているからだ。レイラとりりも不満そうだが、墨花の決定に異を唱える隙はなく、妥協の表情を浮かべていた。
「では、決まりね。時間は一秒も無駄にできないわ」
はじめの必死のぼやきを、鋼のような無慈悲さで完全スルーした墨花が、短く、けれど力強く宣言した。
こうして、家族を人質に取られたシスターを救うための、「チームはじめ」による、決死の救出作戦が幕を開けた。




