第百十五話:セイント・ベルナルド教会
教会の重厚な扉に近づく、はじめと墨花。すると、後ろから穏やかで、優しい男の声が響いた。
「おやおや。……こんな古びた教会に、ようこそ。お祈りですかな?」
振り返ると、そこには一人の神父が立っていた。優しそうな佇まいで、その眼差しには慈愛が満ちている。
「ルチアーノ・デ・メディチ教皇様から、ご紹介を頂きました。これを渡すようにと、仰せつかっております」
墨花がそう告げ、ルチアーノ教皇から預かった手紙をそっと神父に差し出した。
神父は手紙を受け取ると、柔和に微笑む。
「ルチアーノ教皇様のご紹介でしたか。では、まずは中にお入りください」
案内されたのは講堂ではなく、こじんまりとした一室だった。
すぐにシスターがお茶を三つ用意し、二人の前に置いてくれる。
神父はそのお茶をすすりながら、静かに手紙を読み進めた。
「なるほど。……お話は分かりました。それで、お仲間はお二人を含め、何人でしょうか?」
「私達を含め、八名です。中に子供が一人おります」
墨花の答えに、神父は深く頷いた。
「了解しました。シスター、この方達のお部屋を用意してあげてください」
「分かりました。では早速……」
シスターは会釈すると、足早に部屋を立ち去った。
「では、表向きは、女性の方々は、シスター見習い。男性の方々には、清掃スタッフとして働いてもらいます。あ、表向きですので、実際は、何もしなくて結構ですよ」
神父はにこりと微笑んだ。その言葉には、彼らを受け入れる深い包容力が宿っている。
「では、お部屋を用意する間、先にお仲間を呼んできていただけますか? もうすぐ、夕食ですから」
「本当に、ありがとうございます。では、連れてきますね。墨花さん、行こう」
「ええ」
はじめと墨花は足早に教会を出て、待たせている仲間たちの元へと向かった。
墨花は、おもむろに懐から小型の発信機を取り出した。
「一度、そちらに合流します。アイさん。タイミングを合わせて、門番たちの人形化をお願いしますね」
『了解しましたわ。いつでもどうぞ。合図お願いします』
通信機の向こうから、アイの涼やかな声が返る。
はじめと墨花は、厳重な警備が敷かれた門へと静かに近づいた。
「今よ」
墨花の合図が飛ぶ。
その瞬間――パチン、と。指を鳴らすような乾いた音が響いた。
刹那、門を守っていた全ての兵たちが、まるで魂を抜かれたように、精巧な人形へと変貌した。
「さあ、はじめ様。通りましょう」
「これこそが、チートって奴では? アイさん、凄すぎます……」
はじめが驚愕を隠せないまま、二人は悠々と門を通過した。
アイ達と合流した直後、再びパチン、と合図が鳴り響く。
兵たちは何事もなかったかのように、再び動き出した。
仲間たちと合流した墨花は、教皇庁で繰り広げられた出来事を事細かに説明した。
その間、はじめは顔を真っ赤に染めたまま、一言も発さず下を向いていた。
一通りの説明が終わり、重苦しい沈黙を破ったのはレイラだった。
「……つまり、はじめは。……偽の元妻にデレデレして、結婚承諾をもらうかのように震えていた。……ということだな?」
レイラの声には、氷のような静かな怒りが宿っていた。その殺気を感じ取ったのか、ウィンディーネが、右のピアスよりふわりと実体化する。
「レイラ。落ち着きなさい。はじめさんだって、悪気はなかったのよ。……ただ、騙されていただけだわ」
ウィンディーネが優しくフォローを入れる中、イフリートは相変わらず実体化せず、左のピアスで傍観を決め込んでいた。
「ウィンディーネ。あんた、相当はじめを気に入ったみたいやな。こんなんの何がええのか、……ワイには理解できんわぁ」
ケルちゃんが呆れたように鼻を鳴らした瞬間、室内の温度が急降下した。
「黙れ。はじめ様を悪くいうなら、二つに引き裂いてあげるわよ」
ベアトが冷酷な視線でケルちゃんを射抜く。
「そうですよ、ケルちゃん。悪口は、自分に跳ね返りますよ」
りりが静かに、けれど逃げ場のない正論を説き、
「そうだそうだ!」
と、琥珀も精一杯の威嚇をして続いた。
(今の、もしかして、フラグ? いや、ちゃうちゃう、気のせいや……)
自らの失言を察したケルちゃんが冷や汗を流す中、まおが淡々と口を開いた。
「で、どうすんの?」
空は燃えるような朱から、深い群青へと染まり始めていた。
夜の帳が降りるにつれ、それまで気だるげだったまおの瞳に、冷徹な知性の光が宿り始める。夜は、彼女の本領が発揮される時間帯だった。
「行くなら、早くしよ。夜にうろうろすると、余計に怪しまれるよ」
まおの静かな催促に、墨花が深く頷く。
「まおさんの言う通りね。……さあ皆さん、移動準備をして」
墨花の指示が飛ぶ中、ベアトがふと、疑問を口にした。
「でも、墨花ねぇ様。はじめ様が顔バレしていないのであれば、堂々と通っては駄目なの? 隠れる必要なんて、ない気がするけれど」
その問いに、墨花が答えるよりも早く、まおが口を挟んだ。
「却下だね。……ベアトさん、よく考えてごらんよ。堂々と通るってことは、入国記録が残るってことだろ? どこに足跡を残したか、後から辿られない保証なんてどこにもないんだよ」
淡々とした、けれど逃げ場のない正論。
ベアトはぐうの音も出ず、まおの冷徹な判断力に息を呑んだ。
「まおさん、さすがね。天才錬金術師の肩書き。伊達ではないわ」
墨花の称賛に、まおはふいっと視線を逸らした。
「……別に。褒めても、……何も出ないよ」
照れ隠しのようなまおの呟きを合図に、アイがそっと指を構える。
「では、いつもの手はず通り。兵士の方々には、しばし眠っていただきましょうか」
パチン。再び響いたアイの指から発せられる軽やかな音。
門を守る兵たちは、一瞬にしてその意識を物質の檻へと閉じ込められ、ただの人形へと成り果てた。
一行はその隙を突き、影に紛れるようにして門を突破する。パチン。と音と共に、一行はその場を離れる。
そして、静寂に包まれたセイント・ベルナルド教会の門前に、ついに辿り着いたのだった。




