第百十三話:変わり者の教皇
教皇庁の門番に、はじめ達が扮する老夫婦が近づいて行った。
「私たちは、『山田』というものなのですが、教皇様に『お布施』を持ってまいりました。是非、ご相談もかねて、謁見の許可を頂けないでしょうか?」
墨花扮する老婦人が、丁寧な挨拶と共に、対応する門番に、そっと『そでの下』を渡す。
「敬虔な信者だな。ついてくるがよい」
門番に案内され、教皇庁の内郭、静謐な回廊に、二人の老夫婦の足音が乾いた音を立てて響く。
はじめの膝は、変装による演技以上にガクガクと震えていた。
トントントン。教皇の部屋を門番がノックする。
「教皇様。信心深い老夫婦が、ご相談したいと尋ねてまいってます」
「お入りなさい」
目の前には、貫禄こそあるが、どこか優し気な教皇が立っていた。
「相談とのことですが、どのようなことですか?」
「まずは、これを……お布施でございます」
そういうと、老婦人は、重厚で立派な奉書紙をそっと、教皇の前に差し出した。が、受け取らない。
「これは、お話を聞いてからにしましょう」
この反応を見た墨花は、試すように話を切り出した。
「教皇様。……不躾な願いだと思うのですが……身内の恥な話……人払いをお願い出来ないでしょうか」
墨花の、老いた、けれど凛とした通る声。
その言葉に、「変わり者」と目される教皇は、しばし沈黙した後、左右の衛兵たちに下がれと手で合図を送った。
重厚な扉が閉まり、完全な密室が完成する。
はじめは帽子を取り、両手で握りしめ、震える声で、涙ながらに切り出した。
「教皇様。……巷で騒がしている『はじめ』という指名手配犯は……私の愚かな息子なのです……!」
はじめは、床に膝をつき、縋り付くような勢いで言葉を重ねる。
「教皇を攫うなどという大それたこと、あの子ができるはずもございません!……何かの間違いです。
教皇様、どうか息子を、はじめを助けてやってはいただけませぬか!」
(ええい、もうどうにでもなれぇ! 僕は設定では80歳、58歳のはじめの父親だぁ! 息子可愛さのあまり理性を失った親父、……完璧だろぉ!)
はじめの必死の、そして「往生際の悪さ」が滲み出た渾身の演技に、教皇の瞳が、底知れぬ静けさを湛えて光った。
「……ほう。指名手配犯の、……父親か。……では聞くが、お前の息子は『毒の調合』も嗜むのかね?」
はじめが「えっ?」と顔を上げると、教皇は机の引き出しから、一通の鑑定書のような書類を取り出した。
「あの日、現場に残されていた茶器からは、強力な麻痺毒が検出されている。だが、三つあったはずの茶器の内、毒が入っていたのは二つだけだ。これはどういうことか、分かるかね?」
教皇からの静かな、けれど逃げ場のない問いかけに、はじめと墨花は言葉を失う。
「しかも、茶器には口をつけた跡まである。本来なら、謁見に来た『はじめ』と『めぐみ』は、その場に倒れ伏しているはずだ。なのに現場から二人は忽然と消えた。……誰かが助けたのは明白だね」
教皇は、はじめたちの本当の目的を既に見透かしているかのように、淡々と話を続けた。
「ここは、事件のあった教皇庁とは目と鼻の先だ。……さあ、そこの窓を開けて見てごらん? 何が見えるかな」
はじめと墨花は、心臓の鼓動を耳元で感じながら、恐る恐る重厚な窓を開け放った。
そこには、あの日、はじめが毒に沈み、墨花が突入した教皇の部屋が、真正面に位置していた。
「あの日、私は偶然にも景色を眺めていてね。まあ、ただの日課。……趣味なんだよ。でね?窓から飛び出す二つの影を目撃してしまったんだよ。……だから、君たちが誘拐犯ではないことは知っているんだ。ねえ、はじめ君?」
教皇の穏やかな微笑みが、はじめの心臓を、今度こそ本当に止めるかのように真っ直ぐに突き刺さった。
(やばい……この人、ただもんじゃない。……誰だ、変わり者っていったの。……切れ者の間違いでしょ……心臓が、喉から飛び出しそうだ……)
「そろそろ来る頃だと思っていたよ。……さあ、はじめ君。そんな変装は解いて、真実を話してもらおうか。私が信じるに値する内容だと思ったら、そのお布施は頂こう」
教皇の、穏やかな、けれどすべてを見透かしたような促し。
はじめと墨花は顔を見合わせ、観念したように変装の魔法を解いた。
「……分かりました。……隠さず、すべてをお話しします」
はじめは、自分の震える手を見つめながら。……あの日起きた真実を語り始めた。
教皇庁に招かれ、疑いもせずに出された茶を飲んだこと。
その場にいた「めぐみ」が本物ではなく、ペインターの能力で見せられていた『幻影』であったこと。
そして、教皇さえも、ミラーが用意した精巧な「コピー」だったこと。
「コピーだと指摘した瞬間、偽物の教皇は砂のように崩れ去り、チリとなって消えました。私を助け出したのは、隣にいる墨花さんです」
本来なら、もっと言葉を飾って嘘で塗り固めるはずだった。
けれど、目の前の教皇から放たれる静かな威圧感か。あるいは墨花の、「この御方には真実こそが最短ルート」という鋭い勘によるものか。
はじめは、かいつまんで、丁寧に、ありのままの事実をコードを綴るように伝えた。
「……今、教皇庁で指名手配されているめぐみは、もうこの世界のどこを探しても存在しません。あれは、ペインターの描いた幻想に過ぎないのです」
はじめの言葉が、静まり返った部屋に重く響き渡った。
教皇は、暫くの沈黙の後。
「うん。私のつかんでる情報とほぼ同じだね。信じるよ、はじめ君。まずは、お布施を受け取ろう。その後に、本当に君たちが望むことは、なんなのかな?」
教皇の顔は慈愛に満ち、どこか人間離れした静けさを帯びていた。




