第百九話:解毒薬の効果
「じゃあ、僕は行くから。これ、借りていくね」
まおが、おもむろにケルちゃんの尻尾をひっつかんだ。
「ま、待てぇ! さっき説明したやん。あれ以上、教えられることは何もないでぇ!」
「完成形を知ってるのは君だけだよね。いいから、来て」
「ぎゃああ! 誰か助けてー!」
ケルちゃんの悲鳴も虚しく、まおは足早に宿から姿を消した。
猫又とケルベロス。最強に騒がしい調合合宿の始まりだった。
その日の夕食の時間。部屋に並んだ豪華な料理を前に、はじめが顔を引きつらせた。
「こんな豪華な食事、みんなしてたのぉ? お金はぁ? というより、ずるくない? ずるいよねぇ」
「はじめ様。ぼやいてばかりだと、冷めちゃいますわよ。毒を止めることができるとはいえ、体内の血は勝手に増えないのですから。いっぱい食べて、少しでも元気になってくださいな」
墨花が、慈愛に満ちた笑顔で促す。
「はじめ様。……あーーん♪」
ベアトが、スプーンを差し出すと、アイが対抗するように身を乗り出した。
「はじめ様。では、私も……あーん♪」
「みんなずるい! 私も……!」
りりまでもが参戦し、はじめの口元は、 渋滞していた。
「な、なんだ。みんな、本当に本物なのか? 墨花が言ってた、コピーじゃないのか?」
「通常運転ですわ♪」
レイラが、戦慄する横で、琥珀だけは無言で、嬉しそうにフォークを動かし続けていた。
―― ゼロ撃破から、残り15日 ――
まおが調合を開始してから、四日目の朝のことだった。
宿で待機していた墨花の懐で、ケルちゃんに預けていた通信用の魔道具がけたたましく鳴り響いた。
「たすけてー!! 死ぬぅ、……死ぬでぇー!!」
「どうしたの? 何かあったの?」
墨花が、慌てて通信を繋ぎ、眉をひそめる。
スピーカーから漏れ出すケルちゃんの声は、もはや掠れて消え入りそうだった。
「こいつ、おかしいんやぁ……!! さっき、ほとんど成功したってのに、『気に入らない』とかぬかして。……また一から作り始めよった……!!」
「あらあらあら♪」
「笑い事やないで!! こいつ、変人やない。……狂人やぁ……!! もうずっと寝かしてくれへんねん。……たすけてーや!!」
あまりの惨状に、宿の面々が苦笑いを浮かべる中、背後から冷徹な、だがどこか恍惚とした声が割り込んできた。
「うるさい。……切る」
「ぎゃっ――!?」
ブツッ、と非情な音を立てて通信は途絶えた。
ケルちゃんの受難は、どうやらまだ続くようだった。
―― ゼロ撃破から、残り13日 ――
調合開始から六日目の昼頃のことだった。
客室の扉が音もなく開き、ボロボロの姿になった、まおがふらりと姿を現した。
「疲れた……。できたよ」
その手には、七色の淡い光を放つ小さな丸薬が握られていた。
まおは反対側の手で、ぐったりとして動かないケルちゃんを掴んでいる。
「こいつ、使えない。昨日から眠りっぱなし。全然、起きない。いらない」
まおはゴミでも捨てるかのような無造作な動作で、ケルちゃんを墨花へと投げ返した。
慌てて受け止める墨花。
「できたんですのね。ありがとうございます、まおさん」
「じゃあ、寝る。ご飯できたら、起こして……」
まおは返事も待たず、空いている布団に潜り込むと、一瞬で健やかな寝息を立て始めた。
そのあまりの自由奔放さに、一行は顔を見合わせる。
「あらあら、お疲れ様でしたわね。皆さん、静かに。起こさないであげて。夕食ができたら起こしましょう」
墨花は、熟睡するまおに優しく毛布をかけ直した。
「今日、一名宿泊追加ね♪」
鼻歌混じりにフロントへと向かう墨花。
こうして、過酷を極めた調合の一週間(実質六日間)は、唐突な静寂とともに幕を閉じたのである。
フロントから戻ってきた墨花が、満足げに頷いた。
「ケルちゃんも、まおさんも熟睡されているようですから。……はじめ様の解毒は、夕食後にしましょう」
「二人とも、本当によく眠っているわね。まあ、ずっと徹夜だったんだし、仕方ないわね」
ベアトが呆れ顔で見下ろすと、アイが隣で微笑んだ。
「そうですわね。でも、とても幸せそうな寝顔ですわ♪」
「ヒール、こっそりかけておきますね」
りりの献身的な魔法が、眠る二人に淡い光を灯す。
「いいけど、起こすなよ。……あいつら、頑張ってたんだからな」
レイラが釘を刺す横で、琥珀が弾んだ声で話題をさらった。
「今日の夕食、何かなぁー♪ ずっと泊まってるのに、毎日違うの出してくれて、すごいよねぇ!」
「確かにな。普通はせいぜい三日までだ、食事のメニューが代わるのは」
「そうねぇ。ひどい宿だと、一週間ずっと同じ内容ですものねぇ」
盛り上がる夕食の話題。だが、そんな中で一人、ベッドの上で取り残されたはじめの心境は、複雑極まりなかった。
(えーっと。……別に大丈夫なんですが。……僕、まだ治ってませんけど? 皆さん、僕よりお食事の話題で盛り上がってますよね。ええ、大丈夫なんですけど……)
はじめのささやかな不満は、楽しげな会話の波にかき消され、部屋には香ばしい夕食の予感が満ちていくのであった。
「お夕食をお運びいたしました。本日、最後のご宿泊とのことですので、精いっぱいおもてなしをさせて頂きます」
中居の丁寧な挨拶とともに、次々と運び込まれる豪華な料理の数々。
その芳醇な香りに誘われるように、死んだように眠っていたまおとケルちゃんが、ガバッ、と跳ね起きた。
「僕。……お腹空いた。食べる」
「……飯? 飯なんやな!?」
もはや、一座の関心は一点に集約されていた。
魔人国・最高級宿の「本気」のディナー。誰もが、はじめの毒のことなど、一瞬で意識の隅に追いやっていた。
(あのぉ。……皆さん? 僕、まだ腹部が『人形』のままで。……毒の進行が止まってるだけの状態なんですが。……え、……何そのお肉、美味しそう……)
はじめの心のぼやきも虚しく、豪華な夕食は賑やかに、そして無情にも終わった。
「ふぅ。……美味しかったわね。……あ、そういえば。まおさん」
墨花が思い出したように、食後の茶を啜りながら言った。
「あ。……これだよね」
まおは、ポケットから虹色の丸薬を取り出すと、よろよろと立ち上がってはじめの側へ寄った。
そして、丸薬を爪でカリカリと削り、はじめの腹部にパラパラと振りかけた。
「……はい、終わり。……治ったよ」
「え? これで終わりですの?」
ベアトが拍子抜けした声を上げるが、はじめの腹部に浮かび上がっていた黒い紋様が、見る間に消えていく。
「……本当だ。……痛みが、引いていく……」
「ヒール!」
りりの回復魔法が、はじめを包み込む。
毒は完全に消え去り、傷跡だけがうっすらと残る程度にまで回復していた。
「……終わったんやな。なんや、 えらいあっさりしてるな」
ケルちゃんの呆れた呟きが、平和すぎる部屋に響いた。




