第百八話:解毒薬の作り方
高級宿の一室。静まり返った空気の中で、まおは不満げに眼鏡の奥の瞳を尖らせた。
「言ってた人はどこ?」
「目の前にいますわ。その人形です」
墨花が指し示した先には、ベッドに横たわる無機質な人形の姿があった。
まおは、二股の尻尾を不機嫌そうに揺らし、踵を返そうとする。
「お姉さんたち。僕を馬鹿にしてるの? なんで、人形が毒に侵されるのさ。からかってるんなら、帰るね」
「お待ちになって。ほら」
アイがパチンと指を鳴らす。
魔法の粒子が弾け、人形だった器が、肉感を持った一人の男へと変貌を遂げた。
「ん? また、場所が変わった。……ここ、どこ?」
目を覚ましたはじめに、レイラが濡れた布を差し出す。
「はじめ、これで顔を拭いて。……人形メイクをしてたから、顔が汚れてる」
その声は震え、レイラの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
変わり果てた姿で運ばれていた恋人(?)が、ようやく「人間」として目の前にいる安堵が、彼女の心を揺さぶったのだ。
「これ、どういうこと? 何がどうなってるの?」
困惑するまおに。墨花はかいつまんで事情を説明した。
天使国で刺され毒に侵されたこと。アイのスキルで人形化して進行を遅らせ、ここまで運んだこと。そして、この未知の毒を解毒できるのは貴女しかいないということ。
「……じゃあ、そのお腹。ちょっと見せて。動かないでよ」
まおは、はじめの腹部を覗き込むと、猫のように鼻をひくつかせ、くんくんと匂いを嗅ぎ始めた。
「あ――。……嗅いだことのない、この香り。……素晴らしい」
(この子、なんだか近所にいた猫みたいな子だなぁ……)
はじめが呆然とする中で、まおは恍惚とした表情で、はじめの傷口をそっと指でなぞる。
「……美味しそう♪」
無意識に、毒が付着した指が彼女の口元へと運ばれる。
「危ない!!」
「ひっ……!?」
墨花が咄嗟にその手を掴み、まおを引き剥がした。
「貴女、死にたいの!? いきなり舐めようとするなんて!」
「あ、ごめん。あまりに美味しそうだったので、つい。……もう大丈夫だよ」
まおは正気に戻ったようにボサボサの頭を掻いた。
「美味しそう??」
「それで、舐めるの?」
ベアトやりりが絶句する横で、琥珀が目を輝かせて身を乗り出した。
「美味しいの? なら、琥珀も……」
「めっ!!」
「ごめんなさい……」
りりに叱られ、琥珀がシュンと耳を垂らす。
「聞いてた通り、かなりの変人やな。うけるわ」
ケルちゃんの呆れた声が響く中、まおは再び眼鏡を光らせ、はじめの毒をじっと見つめ直した。
まおは採取した毒の小瓶を愛おしげに眺めると、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「毒の採取は終わった。で、これをどうすればいいの?」
「まずなぁ。……『万能解毒草』を、細かくすりつぶすんや」
ケルちゃんが、浮遊しながら専門的な口調で教え始めた。
「でな。それを温めんねん。ゆっくり、焦がさんようにな。そうすると、段々色が変わっていくんやけど、ポイントは『魔力を注ぎながら、温めすぎんこと』や。普通の人で約一日はかき混ぜ続けなあかん。虹色に光る瞬間が来たら、温める工程はしまいや」
「……魔力の充填と、熱量管理の並列処理か」
まおがボソリと呟き、脳内でシミュレーションを回し始める。
「次に、そのあったまった液を、魔力をかけながらゆっくり冷まして、最後や。丸薬に固める。これも大体一日かかるな」
ケルちゃんはまおに向かって指を立て、挑発するように笑った。
「合計二日間、一瞬の油断も許されん作業やけど……やれるか? メガネ娘」
まおは不敵に微笑んだ。その口角は、獲物を前にした猫のように吊り上がっている。
「……『睡眠不足』なら、僕の得意分野だ」
二十年以上、夜の闇を歩き続けてきた「猫(僕)」にとって、二日程度の徹夜など日常に過ぎない。
まおはボサボサの髪をかき上げ、その細い指先に静かな、だが膨大な魔力を宿らせた。
「丸薬にするってことは、それをはじめに飲ませればいいんだな」
レイラが、少しだけ希望に満ちた声を上げた。だが、ケルちゃんが呆れたように鼻を鳴らす。
「あほか、慌てんな。丸薬にするんわ、持ち運べるようにするためや。最後は、その丸薬にしたものを削って、患部に直接塗り込む。これで毒が中和されるちゅうわけや。どや! ワイ、すごいやろ!」
「すごぃー。わかんないけど」
琥珀の無垢な賞賛に、墨花が実務的な視点で頷いた。
「なら、その採取した毒で、実際に試せますわね」
「そうだね。僕も初めてだから、失敗するかもしれない。だから、その草を何個かに分けて試すよ。毒ももう少しもらっていくね」
まおが、淡々と実験のプランを練る。
「で? どのくらいでできますの?」
ベアトの問いに、まおは指を折って計算した。
「そうだね、大体一週間、もらえるかな? 一度で成功すればいいけど、失敗がわかるまで二日かかるみたいだし」
「それは構いませんが……。では、報酬はどうしたら?」
墨花が商人の顔で尋ねると、まおは眼鏡の奥の瞳を妖しく光らせた。
「なら。……残った分の毒は、僕にくれる? それでいいよ」
「え? それだけで?」
全員が絶句する中、まおは尻尾を機嫌よさそうに揺らした。
「うん。この毒、気に入っちゃった♪」
「よ、よく見たら、尻尾、二つに割れてない?」
はじめが、ようやく気づいて声を上げる。
「ああ、よく猫獣人に間違われるけど、僕は『猫又』っていう妖怪だよ」
(よ、妖怪? この異世界、何でもありだな……)
「そういえば、アイさん。先程から黙って、何を考えてるの?」
墨花が、ふとアイの様子に気づいて声をかけた。
アイはハッとしたように顔を上げ、少し照れくさそうに指先を動かした。
「あ、はい。実は、私の『人形化』。部分的にできないかなって……少し、試してたんです」
「部分的に?」
「ええ。毒の侵食されている箇所だけを『人形』に変えることができれば、そこだけ進行を完全に止めることができるんじゃないかって思って」
アイの画期的な発想に、一行に衝撃が走った。
「それは凄いわね。……もしできたら、はじめ様の意識を飛ばすことなく時間を稼げるわ。まあ、腹部だから、食事の時などは解除が必要でしょうけれど」
「少しだけ時間をいただければ。……できそうですわ」
アイの言葉に、レイラがその両手を握らんばかりに詰め寄った。
「アイさん。頼む!」
「アイさん。貴女って、本当に頼りになりますわ!」
ベアトの、素直な賛辞に、アイの頬が朱に染まった。
かつての彼女は、このように仲間から必要とされ、心からの言葉を向けられた経験がなかったのだ。
「まずは、ヒール!」
りりが、祈るように手をかざし、はじめに回復魔法を注ぎ込む。
光に包まれながら、はじめの表情からわずかに険しさが消えていった。
「では、宿に頼んで、一名の追加と一週間の連泊をお願いしてきますわ」
墨花が軽やかに立ち上がると、はじめが慌てて手を伸ばした。
「墨花さん。……僕たち、そんなにお金ないでしょぉ。贅沢は無理ですってぇ、地裏の安い宿でいいんですから」
「はじめ。大丈夫だ。……心配するな」
レイラが、真剣な顔でその肩を叩く。
はじめは目を瞬かせ、感銘を受けたように声を上げた。
「レイラさんが、もしかして持ってきてくれたんですかぁ! 流石だー!」
「うふふ。はじめ様がこんなに話せるなんて、りりさんのヒールの効果が出ていますわね」
墨花の微笑みに、一同は静かに頷き合う。
実は自分たちがこの国の『超大富豪』であり、一泊100リグという破格の生活を送っていること。
そして墨花が渡した釣り銭だけで、この宿の番頭が一生遊んで暮らせるほど震えていること。
それらの事実は、はじめの精神衛生上のために(?)、今はまだ、内緒にしておく一行であった。




