第百七話:錬金術師の猫(まお)
ピンク色に染まった顔を拭いながら、一行は自称錬金術師に教えられた小さな建物の前へと辿り着いた。
周囲の賑やかさとは一線を画す、どこか静謐で、それでいて異質な魔力を放つその工房を、レイラが鋭い目で見上げる。
「ここか。……少し変わった錬金術師の工房は」
「精霊様の言うことを信じて、入ってみましょうか」
墨花が、意を決して扉をノックした。
コン、コン、コン……と、乾いた音が響く。
だが、返ってくるのは、耳が痛くなるほどの沈黙だけだった。
「誰も、いませんの? もしもーし!」
ベアトが、痺れを切らして声を張り上げるが、やはり反応はない。
「聞こえないんじゃないの?」
琥珀が、不思議そうに首を傾げる。
「そうですね。もし、中が高度な防音設備で覆われているのなら、聞こえなくても変ではありませんね」
りりの推測に、アイが頷き、もう一度扉を叩いた。
「では、念のため、もう一度」
コン、コン、コン…… やはり、返事はない。
「ここまで、礼は尽くしたんやし。勝手に開けたらどうなん?」
ケルちゃんの、ぶっきらぼうな提案に、墨花も覚悟を決めた。
「そうですわね。……失礼しますわよ」
ぎぃぃ……と、重厚な木の扉を静かに押し開ける。
「こんにちはー? どなたかいらっしゃいませんか?」
墨花が、中へ足を踏み入れた、その時だった。
「帰って!!」
奥から、鋭い拒絶の叫び声が響き渡った。
「怪しいものではありませんわ。少し、お願いがあって……」
「帰っててば! 何も、いりません!」
姿は見えないが、その声には明らかな警戒と、そして深い拒絶と怯えが混じっていた。
「押し売りか何かと、勘違いされてるんじゃありませんの?」
ベアトの呟きに、アイが琥珀へと視線を向けた。
「そう、……ぽいですわね。ここは、琥珀ちゃんが適任なのでは?」
「ん?」
「琥珀ちゃん、『おねぇさん。お薬作ってほしいの』って、叫んでみてくださる?」
りりに促され、琥珀は大きく息を吸い込んだ。
「わかったよぉ。……おねぇさーん! お薬作ってほしいのー!」
幼く、真っ直ぐなその声が、工房の静寂を真っ二つに割った。
「……え?」
奥から、驚きに満ちた、小さな声が漏れ聞こえてきた。
「子供? なんで……?」
奥から聞こえてきたのは、感動の溜息などではなく、底知れない恐怖に震えるような、怯えた声だった。
「ひっ……!! 嫌だ、来ないで!! 子供なんて……子供なんて、一番理屈が通じないじゃないか!!」
「えぇっ!?」
ベアトが、思わず素っ頓狂な声を上げた。
扉の隙間から、ガタガタと何かが崩れるような音が聞こえてくる。
「大人なら……大人なら『おもてなし』のルールで追い返せるけど、子供は『なんで?』攻撃をしてくる!! 僕の計算式にない不規則な動きをする!! 恐ろしい……!!」
「これは、 相当重症ですわね」
墨花が、呆れたように額に手を当てた。
彼女にとっての琥珀は、心を溶かす救世主ではなく、自分の理論を破壊しにきた「未知の生命体」だったのだ。
「こまったわね。とりあえず出ますか。お邪魔みたいだし。また、日をあらためましょう」
墨花が、溜息をついて扉の方へ体を向ける。
「ま、まて! はじめはどうするんだ! こうしている間にも、奴に毒がまわってるんだろ!」
レイラの焦燥に満ちた叫びが、工房の冷えた空気を切り裂いた。
その瞬間、奥でガタガタと震えていた気配が、ぴたりと止まった。
「え……? 毒?」
「そういっても、しかたありませんわ。他の方法を模索するしか……」
諦めムードを漂わせるアイの肩を、背後から突如伸びてきた細い手が、がっしりと、そして恐ろしい力で掴んだ。
「今、毒っていった?」
「ひっ……!?」
振り返れば、そこにはボサボサの髪の隙間から、獲物を見つけた猛獣のような、眼鏡越しに爛々と輝く瞳を覗かせる少女が立っていた。
「どんな毒? 系統は? 致死性は? 症状は? ……見せて。……今すぐその『毒』を見せてよ!!」
さっきまでの怯えはどこへやら。
彼女の頭脳は、未知の解析対象を前に、完全に「変人モード」へと切り替わっていた。
その豹変ぶりに、墨花は冷静な商人の顔を取り戻し、ゆっくりと口を開いた。
「落ち着きなさい、天才さん。実は、私たちの知り合いが、未知の毒に侵されているのですわ。材料はあるのですが、私たちが扱える代物ではなくて……」
「未知の……毒……」
彼女がその言葉を、陶酔したように反芻する。
「僕は、猫。その毒を直接見せてくれたら、考えてあげるよ。データが、足りない。脳内のシミュレーションには!」
「……わかりましたわ。では、私たちの宿まで来ていただけますかしら? その方は今、そこで休んでいますの」
まおは、玄関先で一瞬だけ「外の世界」と「琥珀」を交互に見て、顔を引きつらせた。
だが、それ以上に『毒』への好奇心が勝ったのか、ボサボサの頭を振り乱しながら頷いた。
「行くよ! 早く案内して! 毒が、毒の鼓動が僕を呼んでいる!」
道中、まおは琥珀が近づくたびに「ひっ……!!」と奇声を上げて距離を取っていたが、『毒』の情報を聞き出そうとレイラや墨花に詰め寄る姿は、まさに狂気の沙汰だった。
やがて、一行は今朝出たばかりの高級宿『月影亭』へと戻ってきた。
番頭のサイクロプスが驚きに一つ目を見開く中、一行は足早に、はじめが横たわる最奥の客室へと辿り着く。
「……ここですわ。はじめ様は。この部屋に……」
墨花が静かに扉に手をかける。
まおは、ゴクリと唾を飲み込み、獲物を待つ獣のように、その扉の先を睨みつけた。




