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第百五話:魔人国でのおもてなし

―― ゼロ撃破から、残り20日 ――


天使国を脱出し、一座が足を踏み入れたのは、両国を分かつ険しい山岳地帯だった。

天使国の整然とした美しさはどこへやら、見上げるような巨岩と、淀んだ紫色の雲が空を覆っている。荷車を押し始めて三日。


「天使国国境から、魔人国国境の境に、こんな山々があるなんて、聞いてないわよ!」


ベアトが泥だらけになったドレスの裾を忌々しげに払いながら愚痴を零す。

虫国の子爵領主である彼女も、魔人国の険しい自然の前には形無しだ。


「本当ですね。あれから、約3日も歩かされるなんて、思いませんでしたわ」


アイも普段の態度すら影を潜め、疲労困憊の表情だ。


「空飛べれば別だろうが、通常ルートは、山越えって……な」


レイラが、荷物持ちとして大量の荷を背負いながら、淡々と現状を告げる。彼女だけは、この過酷な環境でも顔色一つ変えていない。


「はぁ、はぁ……」


りりは、琥珀に手を引かれながら、必死に足を動かしていた。治癒の魔法は使えても、体力は年相応の少女だ。


「魔人国、どんなお菓子あるかなぁ」


琥珀だけは、この状況でも食欲が勝るらしい。


「はじめは人形のまんまで、動かんですむから、楽やろうなぁ?」


ケルちゃんが、美術品箱の上でぬいぐるみに徹しながら、恨めしげに呟いた。その言葉に、全員の視線が箱へと集まる。


「はいはい。愚痴はそこまで。国境が見えてきましたわよ。みんな配置について」


墨花が一座を鼓舞し、扇子で前方を指し示した。


目の前には、魔人国の大きな門。

その前には、赤鬼と青鬼が、恐ろしい形相で一座を待ち構えていた。


天使国を脱出し、一座が辿り着いたのは魔人国の巨大な正門だった。

重苦しく、毒々しい紫の煙が立ち込めるその門の前には、筋骨隆々の赤鬼と、鋭い眼光を放つ青鬼が武器を手に立ち塞がっていた。


「私たちは、天使国から参りました、『メサニフタサーカス』という旅人形一座なのですが……」


墨花が慇懃無礼に指示を仰ごうとした、その瞬間だった。


「天使国から? そうですか、それは大変だったでしょう。青鬼さん。この方達に、我が国自慢の温泉宿にご案内してあげて」


赤鬼が、これ以上ないほどにこやかに笑いかけたのだ。


「わかりました、赤鬼さん。皆様、ご案内いたしますね。お疲れでしょうけど、もう少しだけ頑張ってください。こちらです」


青鬼までもが、慈愛に満ちた仕草で道を開ける。

容姿とは180度違う、あまりにも懇切丁寧な対応に、墨花は完全に毒気を抜かれてしまった。


(魔人国は、容姿とは異なり親切だとは聞いてましたが、ここまでとは……)


一座は呆気にとられながらも、青鬼の案内で国一番の温泉宿に到着した。

青鬼は、宿の番頭である巨大な一つ目玉のサイクロプスに事情を説明する。


「この方達は、天使国から来られた人形一座です。精いっぱいのおもてなしをしてあげてくださいね」


「ようこそいらっしゃいました! ささ、こちらへ。ほら、みんな、お客様だよぉ!」


番頭の号令で、従業員の魔物たちが一斉に動き出す。


「荷物はこちらに」

「こちらの人形もお部屋まで、お運びしますか?」


「え、えぇぇ……」


墨花は思わず、はじめ(人形)を奪われそうになって変な声を上げた。

あまりに感じのいい接客。一座は困惑したまま宿帳を記入し、案内された豪華な部屋でようやく一息つくことになった。


豪華な客室の重厚な扉が閉まり、サキュバスの仲居が「ごゆっくりお休みくださいねぇ」と、妖艶な容姿で去っていった。室内に、ようやく静寂が流れる。


「……なんだよ、この歓迎は」


レイラが困惑を隠せずに呟いた。あの天使国の、殺気立った検問とのあまりのギャップに、耳の奥がキーンとするような感覚すら覚えている。


「冤罪国家。噂には聞いてましたが、想像以上ですわね」


墨花が警戒の糸を緩めきれずに、窓の外を眺める。

常に周囲の国から疑われ、攻撃されても防戦のみを貫く。そんな不条理の中で生きる彼らは、皮肉にも世界で最も「慈悲深い鬼たち」となっていた。


外の喧騒をよそに、部屋に用意されたのは、温かい茶と色鮮やかな菓子。そして、はじめ(人形)を休ませるための、ふかふかの特注ベッドだった。


「はじめ様……。今はゆっくり休んでください。絶対に、私たちが治してみせますから」


りりが、人形の姿をしたはじめの手にそっと触れる。

はじめは意識を落としているため、その温もりを感じることはできない。だが、この部屋に満ちる穏やかな空気は、ボロボロになった彼らの心をも、少しずつ溶かしていくようだった。


「さて。感傷に浸るのもここまでですわ。ケルちゃん、例の『錬金術師』はどこに?」


墨花の、逃げ場を許さない涼やかな問いかけに、ケルちゃんは短い手をわなわなと震わせた。


「せ、正確な場所までは、さすがにしらんねん。怒らんといて。かんにんしてぇな」


「まあ、この場所ですもの。正確な情報は遮断されているのでしょう。精霊だからこその貴重な情報。わたくし、感謝してますのよ?」


墨花が優雅に微笑む。だが、ケルちゃんはその笑顔の裏にある「何か」を感じ取り、密かに戦慄していた。


「あ、ありがとうな……」

(アカン、この墨花って女、なんか怖いねん。精霊の勘が、逆らうなと警告しとるわ……)


「では、皆様。わたくしの密偵としての勘も、この情報は信じていい、と言っております。ですから、今日は旅の疲れを癒して、明日から捜索いたしましょう」


墨花の宣言に、一行の顔がパッと輝いた。


「やったぁー!」


琥珀やりり、そしてアイまでもが歓声を上げる。

その傍らで、レイラだけが「……本当にいいのか? 私たちは、逃亡の真っ最中だぞ。なのに、こんなに緩んで……」と、一人だけ不安げな表情を浮かべていた。


だが、そんな彼女の懸念をよそに、魔人国のおもてなしは止まらない。


湯気の立ち込める広大な天然温泉。

肌を刺すような毒煙を忘れさせる、滑らかな湯の感触。

そして、テーブルを埋め尽くす魔人国特産の豪華な山海の幸。


一座は、数日前までの殺気立った逃亡劇が嘘のように、のんびりとした贅沢な一日を過ごした。

ふかふかの特注ベッドで眠る「はじめ人形」の静かな寝顔(?)だけが、これから始まる波乱の捜索劇を、密かに予感させていた。


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