第百三話:万能解毒草の使い方
「あー……ばれてしもたやんけ。お前ら、口かるすぎや」
朝の澄んだ空気の中、誰にともなく吐き出されたその声は、ひどく投げやりだった。
墨花に抱かれた「ライオンのぬいぐるみ」が、心なしかぐったりと項垂れているように見える。
精霊の言葉は、契約による『パス』が繋がっていなければ、ただの風の音にすらならないからだ。
(……なるほど。今の断片的な会話で、だいたい察しがついたわ)
墨花が、得心がいったように小さく頷く。
「何を仰っているのですか? レイラさん、突然、独り言を?」
一人取り残されたベアトが、不思議そうに小首を傾げた。その困惑に応えるように、レイラが一つ息を吐き、居住まいを正して告げる。
「すまない、ベアトさん。……実は、精霊国から精霊を二人、連れてきているんだ」
「精霊を、お二人も……?」
「ああ。だが、パスを繋いでいない君たちには、彼らの声は聞こえないし、姿も見えない……」
言い淀むレイラを遮るように、真横で水滴が集まり、一人の女性の姿を形作っていく。
「レイラ、実はそうでもないのよ」
実体化したのは、蒼の髪をなびかせた水の上位精霊、ウィンディーネだった。
彼女が具現化したことで、その透き通った声が、その場にいる全員の耳に直接届く。
「下級精霊の声はリンクがないと聞こえないけれど、私たちが実体化すれば、こうしてみんなに声を届けることができるの」
ウィンディーネの穏やかな微笑みに、一行は言葉を失う。
だが、その光の輪の中に、もう一人の気配はない。
(……私は、レイラとケルベロス様以外と口を利くつもりはない)
イフリートは、頑なに実体化を拒み、レイラの影の奥深くで静かに焔を揺らしている。
「もう一人、イフリートという火の上位精霊もいるのだけれど……少し偏屈だから、出てきてはくれないみたい」
ウィンディーネの苦笑混じりの説明に、ベアトたちはようやく現状を把握した。
自分たちの旅路には、目に見えない、そして一筋縄ではいかない強力な守護者たちが同行しているのだということを。
「とりあえず。まずは、はじめの所へ案内してくれ」
しびれを切らしたレイラが、逸る気持ちを抑えきれずに言葉を急かした。精霊たちの自己紹介もそこそこに、彼女の意識は既に、愛しいはじめに向けられていた。
「こっちよ。ついてきて」
墨花は感情の読めない横顔で、静かに歩き出した。その足取りに迷いはない。
だが、彼女がふと足を止め、振り返って告げた言葉に、レイラは耳を疑う。
「えっと……掘り起こすから。みんなも、手伝って」
「???」
レイラが呆然とした声を漏らす。掘り起こす? 一体、何をだ。
はじめは生きているのではなかったのか。不吉な想像が脳裏をよぎるが、墨花はそれ以上語らず、ただ無言で歩き始める。全員が言葉を失ったまま彼女の背中を追った。
集団墓地のある墓標で、墨花は立ち止まった。
「ここよ」
墨花が指差した地面には、簡素な石碑に『すすむ』とだけ刻まれていた。
「……すすむ? 誰だそれは。はじめはどこにいるんだ」
レイラが掠れた声で問う。彼女の瞳には、恋人の無事を祈る切実さと、最悪の結末を拒絶する恐怖が混ざり合っていた。
「はじめ様よ。アイさんの魔力で姿を変えて、ここに眠っているわ」
墨花はそう言うと、持っていた鍬を地面に突き立てた。
「さあ、……時間がないわ。掘り起こすわよ」
「はじめが埋められてるのか?そ、そんな馬鹿な!?」
レイラが沈痛な面持ちで一歩前に出た。
「レイラさん。はじめ様は、死んでなどいませんわ。ただ、死んでいるように作られているだけですの」
ベアトの言葉に、レイラは息を呑んだ。
信じがたい。だが、墨花の迷いのない瞳と、ベアトの確信に満ちた声が、それが真実だと告げている。
「わかった、私も手伝おう」
レイラが剣を置き、手渡された鍬で土を掴んだ。
それに続くように、アイ、琥珀やりりも、丁寧にやさしく、鍬で掘り進める。
やがて、湿った土の中から、重厚な木箱の蓋が姿を現した。
「開けるわよ」
墨花の声とともに、数人がかりで蓋が押し上げられる。
ギギィ……と嫌な音を立てて開いたその中には、深い皺を刻み、白髪に覆われた「老人」が、静かに横たわっていた。
「……これ、が……はじめ……?」
レイラが震える手で、その冷たい頬に触れようとした、その時だった。
アイが、パチン、と小気味よく指を鳴らした。
それを合図に、はじめを覆っていた老人の偽装が、陽炎のように揺れて解けていく。箱の中に横たわっていたのは、見慣れたはじめの姿だった。
「ふはぁぁ……。よく寝た……。おはよう、みんな……。あれ? レイラさん?」
はじめは、ひどく間の抜けた調子で挨拶を零す。
だが、その声は掠れ、毒に侵された体は限界に近い。言葉の軽さとは裏腹に、その顔色は青白く、額には苦悶の汗が滲んでいた。
「は、はじめ……っ。生きてて、本当によかった……!」
レイラは堪えきれず、膝をついてはじめの細い肩を抱き寄せた。
再会の喜びと安堵に、レイラの瞳から涙が溢れ出す。その光景に、りりも琥珀も、鼻の奥をツンとさせて静かに涙ぐんでいた。
「これ……『万能解毒草』だ。これで、はじめは助かるんだな」
レイラは宝物のように大切に持っていた葉を、そっと墨花へと手渡した。
受け取った墨花は、その瑞々しい緑の葉をまじまじと見つめ、首を傾げる。
「さあ、ケルちゃん。材料は揃ったわ。……これ、どうすればいいの? すり潰して、そのまま飲ませればいいのかしら?」
「なにいってんの、自分ら」
肩の上で、ぬいぐるみのケルちゃんが鼻で笑った。
「薬ちゅうもんは、きちんと『作らな』でけん。当たり前やろ」
「そ、それはそうね。で、どうやって作るの? 作ってちょうだい」
墨花が素直に促すと、ケルちゃんはこれ以上ないほど威風堂々と胸を張って言い放った。
「また、なにいってんの? ワイは作り方は知ってるど、作れへんで?」
「!?!?!?」
全員の動きが、完全に静止した。
感動の涙も、再会の喜びも、ケルちゃんの「意味不明な自信満々の拒絶」によって、一瞬で凍りついた。
「……なら、作り方を教えて頂戴。私が作るわ」
墨花が、精一杯の理性を保って手を差し伸べた。だが、肩の上のぬいぐるみは、その差し出された手をあざ笑うかのように、短い腕を組んでのけぞった。
「ど素人に作れるわけないわぁ。あほやなぁ、自分ら」
無邪気で、残酷な笑い。
その瞬間、墓地の空気が一変した。
再会の感動で潤んでいた全員の瞳から光が消え、鋭い殺気が一点へと収束する。
「……イフリート。こいつ、焼けるか?」
レイラが、低く、地を這うような声で呟く。
「……とりあえず、蜘蛛の糸で、締め上げましょうか」
りりが無表情に指先を動かし、粘着性の糸を編み始める。
「これ、私の爪で、ひっかいていい?」
普段、温厚なはずの琥珀にさえ、殺意が芽生えていた。
さらに、アイとベアトが左右からケルちゃんの短い手足をロックするように詰め寄った。
「ベアトさん。右手、持って頂けますか? 私は、左手を……」
「ええ、アイさん。いいわね、いきましょうか。中身の綿、全部ぶちまけて差し上げますわ……」
「ひ、ひえぇぇ!? 待て待て待て!! 暴力反対!! ぬいぐるみ愛護団体に訴えるど!!」
阿鼻叫喚の地獄絵図が、展開されようとしたその瞬間。
墨花が、スッと扇子を広げ、全員の動きを制した。
「……まあまあ、皆さん。お気持ちは痛いほど分かりますが……」
彼女の顔は、今までに見たことがないほど、美しい微笑みを浮かべていた。
だが、その背負うオーラは、言葉とは裏腹に、底知れぬ殺気を孕んでいる。
「一度……いえ、もう一回『だけ』ちゃんとお話を聞きましょう。ね?♪」
墨花の、『慈悲深い最後通牒』が響き、墓地には再び、奇妙な静寂が降りた。




