第百二話:困惑だらけのレイラ
教皇庁の巨大な門の前に、一人の少女が立っていた。
狂気の色を帯びた瞳をさらに濁らせるのは、偶然、門のすぐそばで執り行われていた、しめやかな葬儀の光景。
「……お姉様の話は、本当だった。……」
ペインターの唇が、歪な形に吊り上がる。
死を悼む香煙が鼻腔をくすぐるたびに、胸の奥の渇きが激しさを増していく。
「はじめぇ!……どこいったぁ!!」
その絶叫は、葬列の静寂を無残に切り裂き、空を朱く染めていく。
はじめを求めるその声は、呪詛そのものだった。
一方、その頃。
レイラは、天使国の境界にまで辿り着いていた。
「ずっと走り通しで、やっと、天使国か。……待ってろ、はじめ」
乱れる呼吸を整える間もなく、再び地を蹴ろうとした、その時。
右のピアスから、ウィンディーネの諌めるような声が響いた。
『レイラ、少しは休みなさい』
『そろそろ、我慢の限界だ。休まぬなら、力づくで止めるぞ』
左のピアスからは、イフリートの熱を帯びた警告。
二つの精霊の言葉を受け、レイラはようやく足を止めた。
「……ちっ。わかったよ。……もう一日あれば、確実に会える距離まで来た。少し、休むか」
大樹に背を預けたレイラの視界を、漆黒の闇が塗り潰していく。
だが、その闇の奥底には、確かな夜明けが潜んでいた。
―― ゼロ撃破から、残り23日 ――
朝の清冽な光を浴び、レイラは再び歩みを開始した。
集合墓地――はじめが眠るその場所から、目と鼻の先にある宿を、彼女たちは堂々と取った。
追われる身でありながら隠れることをやめたその佇まいは、もはや強者のそれだった。
「さて、そろそろレイラさんが来る頃。私が監視するから、みんなはここでこのまま休んでて。でね? 『私が!』とかは言わないでよね?♪」
墨花が茶目っ気たっぷりに釘を刺す。
昨日までなら反発が起きていたかもしれない。けれど、今の彼女たちに迷いはなかった。
「わかってるわよ、墨花ねぇ様♪」
ベアトが柔らかな微笑みで応える。
己の役目を把握し、信頼を預け合う心地よさが、部屋を満たしていた。
「墨花さん、お気をつけて」
「何かあれば、すぐ連絡くださいね」
「いってらっしゃーい!」
りり、アイ、そして琥珀。
三人の温かな声に見送られ、墨花は「うふふ、じゃあ、いってくるわ」と涼やかな顔で、おもむろにケルちゃんを掴んだ。
「なんで、ワイもなんやぁー! 鬼か、お前はぁっ!!……」
ジェットコースターから真っ逆さまに落ちるような断末魔の絶叫を引きずりながら、二人は飛び去っていった。
茜色の空が、集合墓地の無機質な石碑を長く引き伸ばす頃。
その一角に、泥を跳ね上げ、息を切らしたレイラの影があった。
「えっと、待ち合わせは、……このあたりのはずなんだが……」
周囲を警戒しながら足を止めた、その瞬間。
音もなく、濃くなった地面の影から一つの人影が這い出した。
「待ってたわ。……レイラさん」
「ッ!?。どこから出てくるんだよ。……たくっ!!」
心臓を跳ねさせたレイラは、現れた墨花を睨みつける。
だが、その驚きはすぐに、どこか納得したような溜息へと変わった。
「ま、前から怪しいとは思ってたけど。それが、あんたの本職なんだな?」
「ご名答♪」
墨花が『隠密』であることなど、レイラは聞かされていない。
だが、死線を幾度も超えてきた戦士の勘が、彼女の正体を薄々感づいていたのだ。
「はじめはどこだ!? 早く、この薬草をっ!!」
レイラが懐の解毒草を握りしめ、血相を変えて詰め寄る。
一刻を争う、その焦燥を。墨花は涼やかな微笑みで受け流した。
「はじめさんは大丈夫。まずは、今のメンバーを紹介するから。こっちに来て」
「な、何を言ってるんだ!? そんな悠長なっ!」
はじめの命が、砂時計の最後の一粒のように零れ落ちようとしているはずなのに。
なぜ、この女はこれほどまでに、余裕でいられるのか。
レイラは知らない。
墨花たちがすでに『毒の進行を止める手段』を手に入れていることも。
半年の命だったはじめの時計が、十年でも引き延ばせることが判明したことも。
「いいから 来なさい♪」
困惑し、憤るレイラを半ば強引に促し、墨花は悠然と宿への道を歩き出した。
宿屋の一室に招かれたレイラを待っていたのは、打ち合わせがあったわけでもないのに、申し合わせたように始まる奇妙に整った自己紹介だった。
「お久しぶりね、レイラさん。また、逢えて嬉しいな」
最初に微笑んだのは、りり。その慈愛に満ちた瞳に、レイラは思わず気圧される。
「あ、……あぁ……」
(あれ? あんな子だったか? 前はもっと、嫉妬に狂った感じだったのに……)
戸惑うレイラの足元に、小さな影が飛び込んできた。
「レイラお姉ちゃん。ひさしぶりー!」
「こら、急に……。でも、琥珀ちゃんは変わらないな」
無邪気な琥珀の体温に、ようやく少しだけ肩の力が抜ける。だが、レイラの視線はその奥に控える見知らぬ二人へと向けられた。
「あとは、知らないメンバーか……」
「自称はじめ様の正妻。ベアトです。これでも、虫国の子爵ですの」
「レイラだ。……『自称』ってちゃんと付けてるの、凄いな……」
(墨花さんからの手紙の印象と違う。……盛ったのか?)
そして、最後に一歩前に踏み出したのは、圧倒的な存在感を纏った女だった。
「ついこの間、仲間に入れて頂きました。アイです。隠していてもバレるので先に言いますが、元オクタ・エラーでした。が、はじめ様の愛に触れ、『アイ』になりましたの」
「お、おぅ……。よろしくな」
(なんだこの説明。……分かったような、分からないような……)
混乱し、呆然と立ち尽くすレイラ。そんな彼女の肩を叩き、墨花が楽しげに声をあげた。
「ようこそ、レイラさん。『チームはじめ』に♪」
レイラは震える手で、懐の万能解毒草を握りしめた。
一刻も早く、あの優しすぎる男にこれを届けなければならない。
「で、はじめはどこだ?!」
悲痛な叫びが部屋に響く。
だが、返ってきたのは墨花のどこまでも涼やかな声だった。
「はじめ様は……土の中で、ぐっすり眠られてます」
「なっ……。ま、間に合わなかったのか……っ!?」
レイラの顔から血の気が引く。
膝から崩れ落ちそうな彼女を余所に、りりもアイもベアトも、不自然なほど顔を伏せている。
肩が細かく震えているのは、悲しみのせいではない。必死に笑いを堪えているからだ。
「自分ら、ほんま性格悪いなぁ。……かわいそうやん」
呆れたように、墨花の影からライオンのぬいぐるみが顔を出した。
「そ、……そのお声は、まさか、ケルベロス様?」
水の精霊・ウィンディーネの声が震える。
「かれこれ、三十年ぶりではありませんか?」
炎の精霊・イフリートまでもが、驚愕に、身を硬くした。
「ど、どうしたんだ? ケルベロス様って、……ユグドラシル様の妹君の??」
絶望していたはずのレイラが、目を丸くして、ぬいぐるみを二度見する。
そこには、歴史から消えたはずの神話の断片が 鎮座していた。




