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境界異常観測録《Re:Genesis》  作者: マチフクとーる
File3 失楽園の少女

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FINAL 明けの明星

 物語は少女の静かな足音とともに終幕へ。

 絶望的な戦力差を前に、それでも諦めることなく抗い続ける名取達。

神に挑む人間の意志。 父を越え、自らの未来を選ぶ少女。

長い夜の終わりに待つものは、救済か、それとも新たな試練か――。

 本堂の祭壇の奥、割れた硝子のさらに向こう。そこに隠された部屋の壁に飾られた短剣。


 その柄はトキの頭部を模した形をしており、純銀に輝く刀身には象形文字が刻まれていた。


 ルシェルはゆっくりとその銀の装飾枠へ手を伸ばし、短剣を手に取る。


 月明かりに照らされた純銀の刀身は光を反射しルシェルの顔を鏡のように映し出す。

 剣を握れば直感する。

 この剣には何か神秘的な力を秘めている。


 ルシェルは振り返り、名取のそばへ駆け寄り、短剣で自身の腕に切り込みを入れ、そこから流れ出る血液を一滴もこぼさず名取の口へと流し込む。


 ルシェルの血液が名取の喉を通ったその瞬間、名取の止まっていた心臓が再び脈動を始める



 ◇ ◆ ◇ ◆



「……オイ」


「……オイ起キロ」


 真っ暗な闇の中、 ガサツな声が耳奥をつく。

 名取が目を覚ますと、仰向けの名取を見下ろすようにサリエルが怪訝な表情で腕を組んで立っていた。


「ナンダ結局オマエガクタバリヤガッタカ」


 ガッカリしたようにため息混じりにサリエルがそう言う。


「俺は……死んだのか?」


「いいえ、まだ終わってないわ」


 名取が問いかけると闇の奥から小夜が姿を現し答える。

 小夜は名取の前を横切り、名取を横目で見ながら呟く。


「そう、まだ終わってない。あなたはまだ……負けてないのよ」


 小夜の言葉と同時に脳内に響く声。

 名取はこの声を知っている。


「名取……」


「「名取のお兄ちゃん!」」


 そう、新橋やギルとデスの声だった。

 頭の中を反響する声の振動がやがて全身に広がり、心臓の鼓動へと変わる。


「そうだ、まだ終わってない」


 名取はゆっくりと上半身を起こす。

 真っ暗だった世界の奥から、対極とも言える眩い光の世界が広がっていく。

 そして光の先には黒に染まってなお、美しく大きな翼を背に生やした銀髪の少女、ルシェルが立っていた。


「お願い……名取起きて」


 その言葉に触発されるように名取は立ち上がろうと足腰に力を入れる。1人では立ち上がることが困難であっても、その両肩をサリエルと小夜が支え、名取はようやく立ち上がる。


「私達は信じてる」


「ソウダ、イッテコイ!」


「ああ、やってやるさ」


 名取はゆっくりとルシェルの待つ光の方へと歩き出し、二人の信頼を背に受け、名取は光の先へと走り出した。



 ◇ ◆ ◇ ◆



 名取が目を覚ますと、黒焦げに焼けた体は所々に斑点のような跡が残っているものの、大体の部分には元の肌色が戻っていた。

 目の前にはまるで目を覚ますことを確信していたかのように不安の色が一切見えないルシェルの姿があった。


「何度受けても思うけどやっぱりルシェルの力は凄いな」


「そんなのいいから耳貸して」


 ルシェルの能力に改めて感心する名取を冷たくあしらいルシェルは名取に耳打ちをする。

 名取は話を聞きながらルシェルが手に持っている短剣に目を落とす。

 それはニア本部長に任務の目標として指定されていた「柄がトキの頭のような形の短剣」であることに気が付く。


 ルシェルの耳打ちが終わると、名取と目を見合わせる。


「本当に、やるんだな?」


「うん、この戦い……ルシェルが自分の手で決着をつけたいの。手伝ってくれる?」


「当たり前だ。ヤツは俺が押さえる。とどめはルシェルがその手で決めろ」


 名取とルシェルは互いに頷き、硝子の向こうを見据える。

 先では光の当たらぬ場所で微かに見える漆黒の触腕をくねらせ、隙間から見える数々の触手が電気をバチバチと放つ黒い影。

 頭部の中心にある三つの赤色の光は硝子越しに二人を待ち受けているかのようであった。


「これが全ての望みをかけた乾坤一擲ラストアタックだ」


「キヒヒ! 人ガ神ヲ下スッテカ? オモシレェ! 俺達デ天地ヒックリ返スゾ!!」


 名取は立ち上がり、全ての邪眼を解放する。橙・紫・黄とそれぞれ輝きを放つ瞳は、邪悪な力を宿しながらも、大切なものを守る為に恐れることなく神へ立ち向かう不退転の心の強さを表していた。


 ちょうどその頃、ギルとデスは新橋もやられてしまった状況で、闇をさまようものと対峙するも敵う相手であるはずもなく、ただ「動かない」のではない。「動けない」という方が正しかった。


 本来、絶体絶命な状況であるがギルとデスは違和感に気が付く。


 ゆっくりと二人に迫っていた闇をさまようものが動かない。

 何故かは分からないが、闇をさまようものはその場でジッとしたまま微動だにしなかった。


「あれ? 動かないね?」


「き、きっとデス達に恐れ慄いたなの」


 二人は不思議に思いながらも闇をさまようものの周囲を観察していると、あることに気が付いた。

 それはギルとデスの二人と闇をさまようものを分け隔てるように、ギルとデスを照らす本堂の照明の光が境界線となっていた。

 そこである仮説が二人の頭で立つ。



 ――闇をさまようものは光に弱い。



「やーい! お前の弱点わかっちゃったもんね!」


「神様も案外大したことないなの!」


 二人はこれ見よがしに挑発をした。

 すると狙い通りに闇をさまようものは微動だにしない。

 思わぬ発見をし、時間稼ぎには絶好だと二人はその場に留まり、挑発を繰り返す。

 依然として闇をさまようものはギルとデスのいる光の当たる場所へ入ってくることはない。

 その隙にデスは床に倒れ伏していた新橋を影渡り《シャドウダイブ》で素早く移動し、光の当たる場所へ移動させた。


 まさかの安全地帯を見つけた二人の時間稼ぎは完璧だった。

小さな発見から始まった二人の奮闘は、絶望的な戦況を覆すほどの大きな意味を持ち、最後の瞬間まで仲間達を繋ぎ止めてみせた。


 二人の背後、硝子の割れた穴から名取が勢いよく飛び出し闇をさまようものに飛びつく。

 闇をさまようものの特徴的な赤い三つの光めがけて獣が爪を立てたような名取の右手が襲いかかる。

 名取の右手は頂点の赤い光にそのまま突き刺さり、その勢いのまま名取が上に乗り、床に叩き落とした。


「うおぉぉぉ!!」


 名取は上に乗ったまま凄まじい勢いで荒々しく何度も拳を打ちつける。

 そんな名取を背後から電気を帯びた触手が襲いかかるが、名取はその触手を掴み、身体に流れる電流もお構いなしに引っ張り上げ、ハンマー投げのようにぐるぐると闇をさまようものを引きずり回した。


 名取が最後の力を振り絞り、闇をさまようものに向かっている中、遅れてルシェルが姿を隠し部屋から姿を現し、気を失っている新橋を能力で回復させ、気が付いた新橋にあるお願いをした。


「ねぇ、気配の消し方を教えて」


「なに? 気配の消し方だと?」


 新橋が不思議そうな表情を一瞬みせるが、ルシェルの手に持つ「トートの短剣」を見て察したのか納得したように「そうか、わかった」とルシェルの方に手を置く。


「言っておくが簡単じゃないぞ」


「分かってる」


 ルシェルの覚悟をしかと受けとめた新橋は気配を消す技である「伊賀流忍体術 影断かげたち」をルシェルに伝授した。

 ルシェルは新橋の助言を元にゆっくりと闇をさまようものへ向けて歩き始める。

 魔力、敵意、存在感、自身の身から放つ全ての情報を消し去り、徐々にルシェルの背に生えていた黒い翼は消え、視認していなければ何処にいるのかも分からないほどに隠密を極めていた。


「凄いな……たった一回やり方を教えただけでここまで完成度の高いものへ仕上げるとは。まるで"山道の蛇"のようだな」


 静かに、それでいて全くの気配を絶ったルシェルはスルスルと物音一つ立てずに闇をさまようものに近づいていく。


「よし、ギル、デス。俺達も名取に続け! この一瞬に全てを賭ける! 俺達は全力でヤツの注意を引くぞ!」


「うん! 分かった!」


「これがラストバトルなの!」


 新橋達は名取に続きルシェルが気付かれないように反対側から雄叫びをあげて走り出す。


「おらぁぁ!!」


 名取が引っぱり回していた触手を床に叩きつける。

 名取を中心に円を描き宙を舞っていた巨体は大きな音を立てて地面を揺らす。

 畳み掛けるように名取は邪気を纏った右手で押さえつけようとするが、その瞬間、闇をさまようものは闇と一体となるように姿を消した。


「どこだ? どこに行った?」


 邪眼をギョロギョロと動かしながら名取は闇をさまようものを探す。

 そして何の前触れもなく背後に現れた闇をさまようものが、触手で襲いかかる未来ビジョンを捉えた名取はすぐに回避するかと思いきや、なんとその場から動かなかった。


 先見眼が描く通り背後に現れた闇をさまようものは、名取に向け触手を伸ばすがその時、あるものが闇をさまようものの前に投げ込まれた。


 それは四角い硝子の入れ物に入った中心が明るい光を放つ物体――本堂の照明であった。


 闇をさまようものは照明を避けるように名取から遠ざかる。


「キャハハ! お兄ちゃんに手出しはさせないよ!」


「かんぜんぼーぎょなの」


 名取の背後には蝋燭の火とどこからか持ってきた非常灯を手に持ったギルとデスがふんぞり返っていた。


 光が弱点ということを知ったギルとデスは闇をさまようものが近づけない光の当たる場所から明かりになるものを向けて闇をさまようものの動きを制限していた。


「やるじゃないか! お前達!」


 名取はギルとデスの思わぬ活躍を褒め、光を避けていく内に、光に気を取られ大きな隙を見せた闇をさまようものに一気に距離を詰める。


 名取は殲滅眼によって極限にまで高めた邪気を両手に集中させた。

 周囲に漂っていた邪気が、まるで意思を持つかのように彼の両腕へと集まり始め、黒き奔流が腕を這い、掌へと収束していく。

 禍々しいオーラを纏った両手は邪気を圧縮し黒く燃え上がるように渦巻く。


 両手を構え、邪気を圧縮した双つの掌撃は闇をさまようものの胴体の中心に向けてまっすぐに伸びる。


 ――殲邪双掌ツイン・デストラクション!!


 名取の全身全霊の一撃が叩き込まれる。

 直撃した瞬間、両手の邪気が内部で炸裂する。闇をさまようものの内部から邪気が暴れ出し、黒き奔流となって体外へ噴き出す。


 強烈な一撃が命中し、いくら神格といえど大ダメージは必至であろうと名取は確信していた。



 ――だがその確信は一瞬にして打ち砕かれた。



 闇をさまようものは動きを止める素振りは一切見せない。

 触腕と触手は依然として活発に動き出し、まるで今までがお遊びであったことをアピールしているかのようだった。


「神格って……本当にバケモノなんだな」


 あまりの絶望感に名取の表情が歪む。

 触腕を見上げ、もう万策は尽きたと視線を落とす名取の視界の隅には闇をさまようものの背後から音も気配もなくゆっくりと近づくルシェルの姿があった。

 ルシェルは名取と目を合わせることなく、獲物を狩る蛇のようにただまっすぐに闇をさまようものを見つめていた。


「だからといって死ぬまで諦めるわけには行かねぇよな!」


 名取は胴体に埋まっている両手の邪気を操り、再び内部から破壊を始めた。

 全ては命をかけて囮役を務めるため、少しでも気を引き、ダメージを与え闇をさまようものの動きを止める。

 今、名取の考えることはそれだけだった。


 名取目掛けて左右から太く鋭い触腕が振り下ろされる。

 今や名取に回避する手段はない。

 名取は覚悟を決めたように目を瞑ったその時――


「「うおりゃぁぁぁ!!」」


 突如として名取の背後から銀色の長槍が飛び出し、左右の触腕を重ねて貫き、穂先は頭部にまで突き刺さる。

 長槍を握っていたのは白いローブを纏った双子の姉妹、ギルとデスだった。


「もう! いい加減止まってよ!」


「しつこい奴は嫌われるなの!」


 ギルとデスの必死な叫びが背後から聞こえる。

 双子の姉妹が一本の槍を力を合わせて握り、触腕が動かないように力一杯に踏ん張っている。

 そんな二人を払うかのように電流を帯びた触手が伸びていく。

 今度こそ回避手段のないギルとデスはもうダメだと目を瞑る。



「伊賀流忍体術 瞬影抜刀しゅんえいばっとう!!」



 刹那、触手に一閃瞬く。

 触手の動きが止まったその僅か数刻、触手が根元からぼとりと落ちる。

 一閃――二閃――三閃とその巨体に刻まれる斬撃の線が幾重にも重なり、銀色の軌跡を残していく。

 暗闇の中で微かに光る小太刀の刃が最後に胴体に突き刺さる。


 小太刀を握る黒い影――その正体は新橋だった。


「絶対にここで押さえ込む! 絶対にだ!!」


 左手一本で握る小太刀に、かつてほどの力は込められない。

 印は結べず、忍者の最大の特徴であり強みである忍術は使えない。今の新橋は少しの身体能力の高い人間程度だった。

「 忍者」としての能力を失ってしまった新橋だったが、その気迫と根性溢れる鬼気迫る表情は、そのハンデを負いながらもこの一瞬に全ての望みをかけて押さえ込む「耐え忍ぶ者」であった。


「「「「うおおぉぉぉぉ!!!!」」」」


 互いにもう出すものは存在しない。

 振り払おうと抵抗する闇をさまようものと押さえ込む名取達の拮抗した力の押し合い。

 四人の力が重なり、触れることすら許されないはずの存在を、その場へ縫い止める。

 周囲を焼き尽くすほどの魔力が周囲に立ち込める。

 4人の合わさった雄叫びが空間を揺らす。

 世界そのものを押し潰そうとしているかのような凄まじい力に抗う人類の意志の力。

 二つの力が衝突し、空間が悲鳴を上げる。


 決して人類は神に届かない。

 この世界の秩序は覆らない――だがこの一瞬だけは、神と人間の境界が、確かに消えていた。


 そこに静かにゆっくりと近づく影。

 トートの短剣を携え、隙を伺うルシェルの姿があった。

 完全に近い隠密を実現し、この場にいる誰にも存在を気づかれないでいるルシェルは、あとは最後のピースを埋めるだけであった。

 だがその役目は十代の少女にはとても重いものでもあった。


 過去との決別。

 新たな人生の始まり。

 父との別れ

 仲間達の命


 その全てが自身の握る手にかかっているという事実が、一気にルシェルの身体へとのしかかる。

 手は震え、冷や汗が流れ落ちる。

 だがその歩みは止まらない。

 ゆっくりと、確実に一歩ずつ距離を詰めていく。


「お願いママ、今だけ……今だけ力を貸して」


 ルシェルがぽつりと呟く。

 すると、首元にずっと巻き付き、服の中に隠れていた蛇が顔を出した。

 シュルシュルと舌を出し入れする蛇は、ただまっすぐに闇をさまようものを見定めるように見ている。


「……? どうしたの?」


 もはやルシェルですら存在を忘れかけていた蛇。何度も危機を共に越えながらも、誰もその意味を知らなかった小さな命。

 それはルシェルの頬に顔をくっつけたままずっと前だけを見ている。


 それはただ傍観しているだけの存在ではなかった。


「 ……見える」


 ルシェルの視界に、もう一つの景色が重なる。

 それは彼女自身の目ではない。

 地を這い、影を渡り、誰にも警戒されることなく闇の中を進む小さな蛇の視界。

 蛇のようにウネウネと蛇行するような道筋。

 それは光の道のように示され、その終着点は闇をさまようの背後へと続いている。


 ――ここだ。


 ――この道なら届く。


 ――あなたなら、終わらせられる。


 言葉を発しない蛇から伝わる声なき声。

 誰よりも近くでルシェルを見守り続けた存在は全てを託された少女に力を添えた。


「ママ……そこにいたんだね」


 ルシェルは優しく微笑んだ。

 その表情には穏やかさすら浮かんでいた。

 床の上を滑るような軽やかで優雅な足取りは音もなく闇をさまようものの背後へと近づく。

 その接近には誰も気付かない。

 もはやその空間にルシェルは存在していない――同じ空間ながらまるで別世界とも言うべきか――今、本堂は別々のフィルムを重ね合わせたようにルシェルだけが"存在する"世界とルシェルだけが"存在しない"世界が一つの世界となって成立していた。


 彼女は確かにそこにいる。

 だが世界は彼女を「存在するもの」として処理しなかった。

 神格でさえ、その存在を認識することが困難だった。

 この世界の特異イレギュラーとしてルシェルはこの世界において唯一無二の存在へ一歩踏み込んでいた。


 後ろから抱きつくように回される両手。

 闇をさまようもの――この世界に顕現した神格ナイアルラトホテップの化身。

 かつてルシェルの父親であった存在――ジョン・ヴィルハートだったものは、背から黒い翼を生やす少女、神となる天使の器であるにも関わらず人として神格の器から堕落の道を選んだ実の娘ルシェル・ヴィルハートから温かな抱擁を受けていた。

 しかしその手に握る短剣の刃先はしっかりと闇のさまようものの頭部へと向いている。


「バイバイ、パパ」


 ルシェルは慈悲深い笑顔と共にトートの短剣の純銀に輝く刃を刺し込んだ。


 その瞬間、トートの短剣は白く輝き、その光は徐々に大きくなり闇をさまようものを包み、その光は一瞬にして闇をさまようものの姿と共に消え去った。


 闇をさまようものを押さえ込んでいた名取達は勢い余ってなだれ込むように倒れる。

 ルシェルはゆっくりと着地し、名取達と顔を合わせる。


「終わった……のか?」


 名取がぽつりと呟くとルシェルはトートの短剣を握りしめたままただ一言「うん」と返した。


「そうか……終わったんだな」


「もうヘトヘト〜」


「動けないなの〜」


 新橋やギルとデスもすっかり緊張が解け、どっと疲れたのかその場から動けないでいる。

 そんな疲れ切った名取達を軽く癒し、動き出した一行は先程までの死闘が嘘のような静けさだけが残る本堂をあとにする。


 本堂を出た瞬間、名取の先見眼が意図せず未来を映し出す。

 その未来視ビジョンを見た時、名取の顔から笑顔が一瞬にして消えた。


 教会を出た瞬間、そこにいたのは自分達と同じ特異現象捜査部の黒いコートに身を包んだ複数人の人間を従え、一人の者が立っている。

 黒い帽子を深くかぶり顔が見えないが、ルシェルの手に握られたトートの短剣を見るやいなや、黒服の男達が一斉に小銃を斉射しルシェルとギルとデスの3人を蜂の巣にしてしまう光景が先見眼を通じて名取の目に映し出されてしまっていた。


「なんで……どうして……?」


 信じられないものを見たような衝撃と疑念に満ちた表情の名取は教会の出口に向かって歩き出すルシェル達の背中を眺めながら自身の見た未来を受け止められずにいた。


 しかし認めたくない未来はすぐに現実となる。

 自身の持った力はそういうものであった。


「ま、待ってくれ!」


 名取はルシェル達を呼び止める。

 唐突に声を上げる名取に少し驚いた様子のルシェル。


「どうしたの?」


 神妙な面持ちの名取はルシェルに歩み寄ると考えが上手くまとまらないまま未来視のことを話し始めた。


「まだだ……まだ終わってない。恐らく、外には俺の組織の仲間達が出迎えてくれる。だけどルシェル、お前は短剣を隠せ。理由は分からない、でもそれが見つかったら確実にお前とギルとデスは組織の人間に殺される」


「待て、どういうことだ? 何故組織の連中がここに来ていてこいつらを殺すんだ?」


「分かりません。恐らくニア本部長の命令か何か理由があるんでしょう。ですがこの先で短剣が原因で殺されてしまいます。組織としては持ち帰らなければなりませんが……それでルシェル達が殺されてしまうのなら……俺は……」


 そこまで言うと新橋は名取の肩に手を置いた。

 叱責を受けると思っていた名取は覚悟を決めて目を瞑る――だが新橋からその言葉は飛んでこなかった。

 新橋の表情は穏やかで怒りとはほど遠く、名取の覚悟を認めたように頷いた。


「組織に背いてでも小さな命を守りたいか。そこに救う命があるのなら、救うも救わぬも当人の判断に全て委ねる。元よりそれが特異現象捜査部のやり方だ。お前はその命を救うと決めただけに過ぎん。その判断を咎める義理など誰も持ってはいない」


 新橋は続けて自身の失った右腕に目をやり、優しく右肩を撫でる。


「俺もこんな体になっちまったからな。この先捜査員を続けられるなんて思っちゃいないさ。この件が終わったら辞表でも出してゆっくり暮らしてでもみるかな」


 そう言うと新橋は柄にもなくはにかんだ笑顔を見せた。

 名取達は物珍しい目でそれを見ると、自身でもそんなつもりはなかったのか急激に顔を赤らめ顔を反らした。

 その珍しい光景に、張り詰めていた空気がわずかにほどける。


 名取は扉の前に立ち、新橋達もその後に続く。

 重く閉ざされた教会の扉。

 神の器となる天使だった少女が、人類への救済へ導く為、父親が創りし楽園を捨てて、地上を目指す――そのまるで英国の詩人ジョン・ミルトンが手掛けた叙事詩「失楽園」になぞらえたかのような物語は終結を迎える。


 名取と新橋は左右の扉に手を掛け、少女達の新たなる運命を開くかのように彼女達を待つ新世界の扉を開いた。


 外は夜明け前の薄暗い庭。

 朝日が昇るには少し早い、青白い闇に包まれた空間。

 草木が風に揺れる音が響き渡る静けさは、教会内での出来事を全て洗い流すかのようであった。


 だがそんな景色に似合わぬ黒い塊が目の前に広がっている。


 整然と並べられた車体は、まるで逃げ道を塞ぐ壁のように教会を取り囲んでいる。

 そして、その周囲には黒い服を纏った者達が立っていた。

 黒服達は手を後ろに隠すようにして立っているが、その手には小銃が握られていた。


 そしてその正面、黒服たちの中心には一人の人物が立っていた。

 同じ黒のロングコートに身を包み、黒い帽子を深くかぶっているせいか顔は見えない。

 周囲の人間に比べて明らかに小柄だが、その小柄な人物こそが、その場を支配しているのは明らかであった。


 だが名取達にはその者が一目で誰なのか分かる程の特徴があった。


 それは帽子からはみ出た深緑色のボサボサの長髪だった。

 腰まで伸びた髪は特徴的でそのような人物は組織にもたった一人しかいなかった。


 這月ニア。


 名取と新橋の所属する秘密組織、「特異現象捜査部」の本部長を務める男。

 その素性は全くの謎に包まれ、本部長室以外での彼の姿はほとんど見ないという。

 中性的な見た目で朗らかな印象の謎だらけの男は、部下たちを引き連れ、現場に立っている。


「やぁ、名取君。新橋君。大変な任務から帰ってこられる元気が残っているのか心配だったから迎えに来たよ」


 その者は顔を上げると、その顔は中性的な見た目でニッコリとした笑顔でこちらを見ている。

 名取と新橋は即座に二人横並びになり敬礼をした。


「こちら特異現象捜査部捜査員、新橋凪助及び名取久代。教会内部にて捜査中、敵対勢力と交戦。これを鎮圧しました。教会神父との血縁関係にあたる少女3人を保護。目標に関しては……」


 全員の緊張が高まる。

 新橋から続く言葉をニア本部長以外の全員が固唾を呑んで聞く。


「所在は未だ不明。新橋、名取捜査員共々負傷している為、これ以上の捜査続行は困難であると判断しました」


 その言葉に名取達は安心する。

 ニア本部長も「そっかそっか」と頷き、両手を上げて掌をひらひらと振った。

 するとそれを合図に部下の捜査員達は側近の捜査員だけを残し車へと戻っていく。


「大変だったね。でも大丈夫、君達の任務はここまでだ。残りの捜索任務は他の捜査員に引き継がせよう。後は任せたまえ」


 ニア本部長はルシェル達に目を向けると、両手を合わせて頭を下げた。


「ごめんねぇ〜怖がらせるつもりはなかったんだ。もし危なそうな人が出てきたらいつでも戦えるように部下達に武器を持たせてただけなんだよ?」


 その場に似つかわしくないほど朗らかな声音でペコペコと謝るニア本部長に困惑するルシェルだが、ルシェルはニア本部長を見て何かに気づいたようにぽつりと呟いた。


「……似てる」


「ん? 何か言ったかな?」


「あっなんでも……ない」


 一瞬不思議そうな表情を見せたニア本部長だったが、「まぁいいか」と名取達に向き直る。


「改めて、よく生きて帰ってきたね。任務の完遂よりも君達の生還の方が重要だからね。見つからなかったものは仕方ない。君達を近くの病院まで送ろう。そこで十分に治療してもらってから本部に帰ってくるといい。詳細の報告はそれからでいいよ。さぁ、車に乗って」


 ニア本部長は改めて名取達の生還を祝福し、病院に送迎するため、車へ案内する。

 新橋が別車両に乗り、ルシェル達が後部座席に乗った後、名取が助手席に乗り込もうとした時、ニア本部長の横を通り過ぎる直前、名取だけに聞こえる声で耳横で呟いた。


「トートの短剣を隠してることは見逃してあげる。その代わり、君の今後の活躍には期待させてもらうよ?」


 名取がハッと振り向くと、ニア本部長のその顔は変わらず朗らかな笑顔であったが、その笑顔の奥には、名取には理解できない何かが潜んでいるようだった。

 まるで全てを見透かしていながらも泳がされているような疑念に頭を支配された名取は、何も答えず助手席に乗り込むのだった。



 ◇ ◆ ◇ ◆



 ――どこまでも上がるような浮遊感。


 ――宇宙へと昇っていく感覚。


 神を盲信し、自らが神の化身となった男、ジョン・ヴィルハートの意識は世界から少しずつ離れていく。


 そんな中、ジョンはどこからか視線を感じ取る。

 視線の方を振り返ると、そこには自らが崇拝した神、ナイアルラトホテップの姿があった。


 ロンドンの街で初めて出会った時と同じ姿で現れたナイアルラトホテップはジョンを嫌悪するかのような鋭く冷ややかな目で見つめていた。


「トートの短剣によって君はこの地球から追放される。招来でもされない限り戻ってくることはできない。せっかくこの世界に顕現することが出来たというのに……」


 少し残念そうに話すナイアルラトホテップ。

 そしてさらに言葉を続ける。


「そして短剣の使用者は呪われ神の生贄になる悪夢を毎日見ることになる。遅かれ早かれ精神が壊れて廃人になってしまうだろうね。その呪いの解除方法は一つ」


「使用者がナイアルラトホテップに認められること」


 ナイアルラトホテップに続くようにジョンが言葉を発する。


「私はあなた自身になることであなたが何を企み、人間に対しどのような影響を与える存在なのかを全て理解しました。あなたに踊らされ続けた私は愚かであったと自覚しています。私も、そしてメアリーやルシェル達もあなたに狂わされました。もう十分でしょう。これ以上あの子を苦しめるわけにはいかないのです」


 自身の胸に手を当てそう話すジョンにナイアルラトホテップは少し苛ついたように目を細める。


「だからナイアルラトホテップとなったお前はその呪いを解き地球から消えると?」


 ジョンは「そうだ」と答える。

 その眼差しは今まで妄信的に信じ続けてきた存在へと向けていたものではなく、親として子を守る、そして自身の行いにけじめをつけようという強い意志を帯びた神に対する明確な敵意を持ったものに変わっていた。


「所詮は化身の依り代となる為だけの肉体風情が、自我なんか持つなよ」


 苛立ちに満ちた怒気の混ざる声で、ナイアルラトホテップはジョンを睨みつける。


 ジョンは臆することなくナイアルラトホテップを睨み返した。


「実際に化身わたしとなったことは事実だしその決定権はお前にもあることは事実だ。私がどう言おうとお前がそうするのならばそれもまた、"ナイアルラトホテップ"の意思だ」


 ナイアルラトホテップはため息混じりに観念したようにそう言った。


「呪いに関しては好きにするといい。だがこれだけは言っておこう。お前の言う人類の幸福は訪れない。勿論、お前の娘にもな」


 ナイアルラトホテップはそう吐き捨て消えていった。

 その姿を見送ったジョンは少しずつ地球から離れゆく体に抵抗することなく流れに身を任せる。

 宇宙空間を漂うジョンの意識はやがて宇宙の果てに消えていくのだった。


「ルシェル、パパは君の幸せを祈っているよ。ああ……最後に一度でいいからあの子を抱いてやりたかったな」



 ◇ ◆ ◇ ◆



 でこぼことした山道を車体を大きく揺らしながら下る車の中で、ニア本部長の言葉が頭から離れない名取は、ふと後部座席を振り返る。

 後部座席ではルシェル達姉妹が疲れ果てたのか静かに目を閉じ寝息をたてている。


(俺は……俺達はこれから一体どうなるんだろうか)


 そう思った名取は先見眼を使い、できるだけ遠い未来を見てみることにした。

 遠い分だけ不確定な未来を見ることになると分かっていながらも、その未来を覗き込んだことを後に後悔することになるとも知らずに。



 それはとあるマンションの一室だろうか、綺麗に整頓された部屋であった。

 部屋の家具や小物などを見ると、身に覚えのないものも沢山あったが、名取の私物の物をいくつか見られた。

 おそらく未来では寮を離れマンションの一室を借りたのだろう。

 そう推測するのも束の間、窓の外を見ると空は大雨の降りしきる不穏な空模様で、その窓の鏡映しに背後にある二人の人物が映り込んでいるのが見えた。


 名取は振り返ると、一人は黒いジャケットに身を包んだ黒髪の男性で左胸には特異現象捜査部の紋章があった。

 その男は左目が燃えるような赤黒い深紅に染まり、名取の邪眼とは違ったそもそもこの世界に存在しないはずの力とも思えるような異常さを感じさせた。

 その男は先端が血塗られたナイフを手に何かを見下ろしている。


 そしてもう1人、その男が見下ろす先、艶やかな美しい灰色の長髪、明るいピンクのボーダー色の薄着とネイビーの短いパンツを着た女性が仰向けで倒れていた。


 ナイフからは血が滴り、床には首から流れた血液が広がっている。


 ――名取はその女性を知っている。


 ――背丈や服装は随分と変わっていたが確かにその女性を知っている。


 ――その女性はルシェルだった。


 先見眼が映し出す未来でルシェルが同じ組織の人間に首を切られて死んでいる。

 その光景を見た名取は一気に呼吸が荒くなる。


「何なんだ! 何なんだよこれ!? 何でだよ! どうしてルシェルが殺されなくちゃなんないんだ!?」


 雷が鳴り響き、豪雨が窓を濡らすマンションの一室で名取は叫ぶ。


 同じ日に何度もルシェルが殺される未来を見た名取は床を拳で強く叩き、ルシェルの死は避けられない運命なのかと嘆く。

 近くとも、遠くとも、どちらの未来を覗いてもルシェルが死ぬ未来を見る。

 つまりそれはルシェルがこの先の未来で何度も危険に曝されるということを示していた。


 終わったと思っていたものは終わってなどいなかった。

 この先も続く悲劇の未来と戦わなければならないという絶望感に心を打ちひしがれる。



 ◇ ◆ ◇ ◆



 ――取……名取!


 気が付くと名取は助手席で正面を向いていた。


 後部座席からはルシェルが心配そうな目でこちらを見ている。


「名取、ずっとボーッとして……疲れた?」


「あ、ああ…! 少しな。でももう大丈夫。それよりどうした?」


「見て……あれ」


 ルシェルが指差す先には、夜の終わりを告げる光があった。


 暗闇に染まっていた空は、少しずつ白み始め、その境界には一際強く輝く星が浮かんでいる。


 夜明け前の空に残る、最後の星。


 人々はそれを――明けの明星と呼んだ。


 堕ちた天使を象徴する星。

 失われた光。

 それでも、闇の中で消えることなく輝き続けた存在。


「……綺麗だね」


 ルシェルは、その光を見つめながら呟く。


「ああ、綺麗だな」


 名取も静かに笑う。

 その心の奥では、「この未来を変える」という強い意思が燃えていた。

 長い夜の中で、何度も失いかけたもの。

 守り抜いたもの。

 そして、これから歩いていく未来。


 星は消えゆく最後の時まで、眩しく輝き続けていた。



 2022年 2月9日 


 特異現象捜査部調査記録


 境界異常観測録


「失楽園の少女」


 fin.



ミニコーナー企画!


「あのコをどう思ってる? 直接聞いてみた!」


はいは〜い司会・進行を務めるよ、特異現象捜査部本部長 這月ニアだよ〜。


今回はね、登場人物であるあのコはあのコの事をどう思っているのか、お題に沿って直接聞いてみる企画だよ。


今回のゲストはこの子!


File2 「Cradle of infection」より荒谷杏奈、よろしく。


今日はFile2 のゾンビパニックを生き延びた主人公で荒谷和真くんの妹、荒谷杏奈ちゃんに来てもらったよ!


あの……お兄のことしってるの?


知ってるも何も君のお兄さんは僕の部下だからね?


だったらお兄がどこにいるか教えてよ。まだ殴り足りないんだから。


いや〜妹ちゃんとはいえあまり僕の部下をいじめてあげないでよ。お仕事に支障が出ちゃ良くないし……。


そんなの知らない。アタシ死にかけたんだから。助けに来なかったお兄が悪い。


彼も彼なりに事情があったわけだし……。

ところで杏奈ちゃんはお兄さんのことはどう思ってるの?


昔は好きだった。よく遊んでくれたし転んで泣いてなら絆創膏貼ってくれたりおやつ分けてくれたり……全部「オレがお兄ちゃんだから!」って言ってたけど、アタシはそんなお兄が大好きだった……けど今は……もうホント嫌い!


まぁまぁ……。彼は彼なりに事情があったから目をつぶってあげてほしいな?


フンっ! どんな理由があったって許してあげないんだから。


そうだなぁ……資料によれば結構お兄ちゃん子だったらしいね? その時のエピソードとか聞かせてくれるかな?


え? うん……。アタシね? 結構お兄と遊ぶんだ。小学校では公園とか友達ン家とかついて行ったし。中一の時なんか2人で旅行行ったりもした。

中二からはお兄警察官になるって家出ちゃったけど。それまではよく遊んでたかな。あと、ちっちゃい頃お兄とお風呂入ったし小学校の間はお兄と同じ布団だったし……


Oh……これはなかなか……。


とにかくお兄が家出ていくまではお兄のことは大好きだったよ。


うんうん。兄弟愛だねぇ……。それだけ好きならもう少しお兄さんのお話聞いてあげたらどうかな? 仲直りのきっかけにもなるかも知れないじゃん?


うん……それ実は結構思ってんだ。もう少しお兄の事情も聞いてあげたほうがって。でも聞くにせよせめてもう一発くらいは殴ってやらないと。


はは……お兄さんも大変だね……。

っというところで今日はおしまいかな? では皆、また会おう! 

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