ナイアルラトホテップ
名取とルシェルの前に現れた巨大な神話生物。
ジョン神父が使役し操るナイアルラトホテップの眷属、シャンタク鳥を目の当たりにし、精神的にショックを受けたルシェルは発狂してしまう。
残った覆面天使とシャンタク鳥からルシェルを守るため、名取はルシェルのサポート無しで邪眼の2つ同時開眼を決意する。
鼓動が早鐘を打つ。身体の奥底から憎悪や悪意が力強さと共にこみ上げてくる。
――殺セ……
少しでも気を緩めれば邪悪に飲み込まれてしまいそうになる。
――臓物ヲヨコセ……
強大で邪悪な力、衝動が肉体を支配しようと心を蝕む。
――委ネロ……衝動ノママニ……
衝動に身を任せろと囁く。心の中の悪魔が……
だが、屈しない。守るべき者のため、歯を食いしばり、目を見開く。
「うるせぇ! この身体は……俺のモンだ!!」
するとその先の世界が鮮明に見えてくる。
目前で敵意を向ける複数体の覆面の天使、祭壇に立つ神父のその後ろに強大な神話生物。
全て敵だ。
ルシェルを守れ……奴らを殺セ……。
「ウオオォォォォォ!!」
名取は雄叫びを上げる。3フロア分の大きさを誇る本堂全体が揺れ動くほどに音が反響する。
全身から邪気が溢れ出し体外に放出し、その背から漏れ出す邪気が鬼か悪魔か、名状しがたき怪物の貌を形づくり、その大きさはシャンタク鳥を一回りも二回りも凌駕した。
圧倒的な量の邪気は目の前の敵に向け、刺すような殺気と敵意を与える。
まるで邪神を彷彿とさせるような威圧感を放つ名取はかろうじて正気を保っている。
名取は四肢を床つき大きく沈み込む。まるで肉食獣が飛びかかる直前のように狙いを定め、邪気で形成された鉤爪は床に食い込み、筋肉の緊張は皮膚がはち切れんばかりに強張らせる。
「ウラァァァァ!!」
床にめり込む四肢が地面を抉りながら勢いよく飛び上がる。凄まじい脚力で地面を蹴り上げ目にも留まらぬ速さで名取は弓を持つ覆面天使に飛びかかり、弓を構える暇も与えず鉤爪で頭部を捉え覆面天使の首から上がいとも簡単に弾け飛ぶ。
刹那、名取の視界に映る未来。背後から素早い片手剣の一振り、既に懐に入り込んだ位置から斜め方向に突き上げる槍の一撃。
先見眼が描く未来をなぞる様に覆面天使がそれぞれ背後と懐に潜り込む動きを取る。
しかし名取にはそれが見えている。
弓の覆面天使の身体を踏み台に飛び上がり宙返りをみせ、片手剣と槍の覆面天使の攻撃を躱す。
名取は両手で着地すると、邪気を足に集中させ、鉤爪と同じ要領で脚に邪気を纏うと、そのまま体をひねって回転させる。
普通の脚の長さでは届かない間合いも邪気を器用に扱い延長させることで、2体の覆面天使を捉えることを可能にする。
回転した勢いで放たれる邪気を纏った凄まじい威力の蹴りが2対の覆面天使に命中し、骨を粉砕したかのような鈍い音を発しながら覆面天使は蹴り飛ばされ、体は宙を舞う。
更に先見眼が映し出す未来。
頭上から足の鋭い鉤爪を伸ばし急降下するシャンタク鳥。前方から双剣と斧の覆面天使の連携。
最初に双剣の速攻、迎撃と回避どちらを取っても死角から迫る低い斧の一撃。その場に躱す方法は無い。飛び退けばそれを狙うようにシャンタク鳥の鉤爪が襲い、捕まればその足で握り潰される。
隙のない連携が織りなす即死ルートが形成される。
再び未来をなぞる様に双剣の速攻が名取に襲い掛かる。名取は即座に素早く繰り出される連撃を全て躱し、死角から来る斧の一撃に合わせ小さく飛び、斧の覆面天使に空中で蹴りを入れる。頭上からはシャンタク鳥が鋭い鉤爪を向けて急降下してきている。
名取は小さく飛んだことでできたほんの僅かな時間で一気に踏み込み双剣の覆面天使との距離を詰め、防御姿勢を取る覆面天使の肩を引っ張りシャンタク鳥に盾にするように向けた。
シャンタク鳥は勢い余って盾にされた覆面天使に鉤爪が突き刺さる。
シャンタクは覆面天使を振り払い、再び飛び上がる――が地上に名取の姿は見当たらない。
シャンタク鳥は名取を探し回っていると
「コッチだ!」
と空中でありながら背後から声がした。
シャンタクの尻尾には名取がしがみついており、そのまま名取はシャンタク鳥の体を伝って首付近にしがみつく。
シャンタク鳥は名取を振り落とそうと空中で暴れ回る。捩じる、急降下、急上昇、壁に叩きつける。しかしいずれも名取はガッシリと掴まったまま落とされない。
そして体力を消耗したのかシャンタク鳥の動きか僅かに鈍くなる。名取は隙を見逃さなかった。
しがみつく手に力を込め、名取は勢いよくシャンタク鳥の頭部へと飛び上がる。
「大人しく……落ちやがれェェ!!」
名取の邪気を込め強く握った拳骨がシャンタク鳥の頭部を捉える。
強烈な一撃が鈍い音を立て頭部に直撃しシャンタク鳥は気絶したのか力無く床まで落下する。
大きな地響きをたて象ほどの巨体が落ち、床に倒れるシャンタク鳥を踏みつけ立ち上がる人間。
黄色と橙の瞳を持った男の姿はもはや人間ではなかった。
「……悪魔め」
思わずジョン神父の口から漏れる一言。
だがその言葉は比喩でもなんでもなかった。
今、神話生物と呼ばれる決して人の手が届くことのない存在を踏み敷くその男はまさに"悪魔"と呼ぶに相応しかった。
だが名取の制御もそう長くは保たなかった。
頭の中で邪悪なもう1人の人格が囁く声が徐々に大きく反響していく。
「ヨコセ……ソノ体ヲヨコセ……」
静かに……それと同時に力強く訴える声が身体の支配を奪おうと精神を蝕む。殲滅眼によって大きく、そして形を成した邪悪な心が後ろから耳元で囁き続ける。
「駄目ダ……持ってかレル……」
視界の隅に黒い靄がかかるように狭まっていく。今にも肉体から精神が離れていこうとしているのを感じる。
名取は頭を抱え悶え始め、シャンタク鳥から転がり落ちる。
その隙に2対の覆面天使は名取の体を床に抑える。
名取はたまらず殲滅眼と先見眼を解除する。
無理矢理にでも殲滅眼を解除し内なる邪悪な人格を引っ込めたことで精神の侵食は収まったが、その代わりに抵抗力を失い、覆面天使の拘束を解く力はなかった。
人間の限界を超えた力を発揮した反動で身体が言うことを聞かず、虚ろな目でジョン神父を見上げる名取にジョン神父は畏怖の眼差しを向けながら一安心したかのように息を漏らした。
「君という脅威をこのまま殺してもよいのだが折角だ。私がなぜ神への転生を望むのか、少し昔話を交えて話そうか」
そう言うとジョン神父は祭壇の上に腰を下ろし語り始めた。
――時は遡ること20年前――
かつて英国の大学で勉学に没頭していた「ジョン・ヴィルハート」という青年はロンドンの街で同年代程の男と出会い、その男にある"方程式"の解明を頼まれた。その方程式の名は『クルーシュチャ方程式』と呼ばれるもので非常に難解なものだった。それもそのはず、その男によればその方程式を解明した者は『世界の真理』を知ると言われているそうだ。
ジョンはその難解さに興味を強く持ち、研究を進めていくにつれてやがてオカルトの実在に興味を持ち始める。世界中を飛び回り聖遺物と呼ばれるものや呪物と呼ばれるものを収集した。その中で一つ、エジプトに出向いた時だ。ある遺跡を探索に訪れ、その時にある者と出会った……そう、"ファラオ王"だったのだ。
ファラオ王といえばかつてエジプト全土を統べる絶対の支配者であり、神々の血を受け継ぐと信じられた存在だったと知られる存在。
古代エジプトの王が現代に存在するはずがない――誰もがそう思うだろう。
しかし目の前に現れた者は確かに名乗った。「世はファラオ王なり」と。
その時点ではジョンは"ファラオ"を名乗る者を疑っていた。ただ名乗るだけでは説得力に欠けると。
ファラオ王はジョンにあるアドバイスをした。それはピラミッドの内部に侵入するルートであり、指定したタイミングで進めば誰にも見つかることなく侵入することが可能だという。そして深部に隠された聖遺物を探し出せと告げられ、ジョンはその言葉に従った。
夜更けの人影のないピラミッドの側面に隠し扉を見つけ、そこから内部に侵入する。
冷え切った空間と徐々に空気が薄くなっていく感覚を耐えながらただファラオ王の示した道を進んでいくと、幾つもミイラが棺桶の中から顔を出す部屋に到着し、ジョンは中央にある明らかに特別なものであろう砂岩でできた箱のある台座と石板を見つけた。
その石板を指定された順番にマスを押していくと、パスロック式になっているのか石板が動き出し、台座の上の箱の蓋がずれる。
恐る恐る箱を開けると"それ"はあった。
刀身は青白い月光を閉じ込めたかのような銀色を帯び、真っ直ぐ伸びる刃の表面には古代エジプトの象形文字が隙間なく刻まれ、柄には知恵と記録を司る神「トート」を象徴する姿があった。
ジョンがその短剣を手に取った時、背後から再びファラオが現れた。
ファラオはジョンに「その短剣を後生大事に取っておけ」と助言した。決して誰の手にも渡さず、秘密に持っておくことをジョンに伝えファラオは最後に仮面を外す。
その時、ジョンは目を疑った。ファラオの仮面の内側に隠れた素顔は、ロンドンで方程式の解明を依頼した人物と同一だったのだ。
ファラオは自身を外宇宙の神「外なる神」だといい、名を「ナイアルラトホテップ」と名乗り、ジョンは神の意向を遂行する者として選ばれたのだと伝えられた。
その時、神との接触を果たしたジョンは神の存在に気づき、「神の執行者」として生きていくことを決めたのだった。
その後、母国へ帰国した青年は、世界中で発見した古物と研究成果を学会で披露し、数々の賞を受賞した。
若くして莫大な富を得たジョンはある日、イングランドの北西部の自然豊かな小さな村を訪れた時、ある女性と出会う。
その村には怪我をした旅人が訪れた際、傷を癒す不思議な力を持った女性がいるという噂が周辺地域でされていた。
当時魔術の研究に着手していたジョンは人目のつきにくい田舎に住居を移すため、周辺地域に出向いた際、偶然その噂話を聞きつけその女性に会いに行ったのだ。
その女性は転んで怪我をした子供の傷口を優しく撫でるだけでその傷を治癒してみせた。
ジョンはその瞬間、雷に撃たれたような衝撃を感じた。
魔術の研究に着手していたとはいえ実際にはまだ魔術の証明は出来ていなかった中で、超常的な力を目の当たりにし、超常的な力は実在すると確信した。
それからのジョンの行動は速かった。
即日で村への移住を決意し、すぐに彼女との接触を試みた。彼女の名は「メアリー・パウエル」。偶然、異能力に目覚めた村娘。病に侵された姉を看病する際、神に強く祈ると謎の治癒能力に目覚めたのだという。
その姉はジョンを不審に思っているようでメアリーに会いに行くと必ず警戒心を抱き、青年を睨みつけていた。
姉の名は「シャーロット・パウエル」。温厚な妹メアリーとは裏腹に強気な性格の女性で突如妹の前に現れ急接近を始めたジョンを警戒しているようだ。
それでもゆっくりと距離を近づけ、互いに打ち解け合い、2年が経った頃……
二人は結ばれ、結婚した。ジョンは大学を卒業し、立派な大人となり、メアリーもまた、断固として反対していたシャーロットを説得し無事に家族から結婚の祝福を得た。
村ではメアリーという存在が余程特別なものだったのか村中の人々から盛大に祝福され、式を上げる教会の無い小さな村ではあるが、その代わりに村全体で一晩中宴が続いた。
そこに、あのお方も現れた。
酒の酔いを覚ます為に少し夜風にあたろうと湖畔に出た時、隣にある人物がどこからともなく現れた。
そう、「ナイアルラトホテップ様」であった。
初めて接触した日から何も変わらぬ姿でナイアルラトホテップ様はジョンの前に現れ、エジプトでのファラオ王の時のようにアドバイスをした。
――キミの伴侶は特別な存在だ。彼女は神へと成り得る"器"である。そして彼女から産まれる子もまた、その素質を持った器となるだろう。禁断の魔術『転生術』を使い、彼女の肉体と魂を器とし、ナイアルラトホテップへと転生させよ。さすれば彼女の力は治癒能力を超越した万物に救済をもたらす力へと神格化し人類の希望となり得て人類に幸福をもたらす存在となるはずさ――
狂気的なアドバイスだった。
共に人生を歩んでいく伴侶を自らを受肉させるために生贄に捧げろという神託は、常人ならばとても受け入れ難い内容だった……。
――だがジョンは神の執行者。神の意向を遂行する者としてその神託は絶対であった。
ジョンは決意した。
共に人生を歩むと決めた女神を神の器とし、全人類に幸福を誓うと。
ナイアルラトホテップ様はジョンの元を去る際、もう一つ神託を授けた。
――この先、様々な力がキミの行く手を阻むだろう。十分に備えを講じるといい。方法はいくらでもある。例えば……この村の住人を味方につける、もしくは洗脳して下僕とする……とかね? 非道だと思ったかい? なぁに、神の意向を遂行するんだ、世界には"必要悪"なんて便利な言葉もあるらしいしね? ――
ナイアルラトホテップ様はそう言い残しその場を去ってしまった。
最後の言葉の真意は分からなかったが数十年後、その真意を理解するだろう。
ジョンは結婚後、村に教会を立ち上げ、千の貌を持つ神を崇拝する組織を作り、村人達にその存在を説き始めた。
メアリーを神に選ばれし聖女として祀り上げれば、教団の規模を広げるにはそう時間は掛からなかった。
やがて千の貌の神という教えは村中に浸透し、その教えを不思議がる人間はいなくなった。シャーロット・パウエルただ一人を除いて。
その裏でジョンは秘密裏に転生術の研究を始める。
実行段階には程遠いが、それでも必要な知識を時間をかけて身に付けていった。
そして月日が経ち数年後……
ジョンとメアリーの間に《《天使》》が産まれた。
ミニコーナー企画!
第4回! 「パラアカ本音トーーク!」
時は2018年、和泉心陽と荒谷和真、そして沢渡紫苑が養成所に入寮して2年が経った頃……。
ここは特異現象捜査部捜査部隊養成機関。
教官室で訓練生達の記録をまとめている教官役の新橋凪助の元にある人物が訪ねてきた。
コンコンとドアをノックする音が響き、新橋が入室を許可すると、入ってきたのは特異現象捜査部本部長、這月ニアであった。
ほ、本部長!? どうしてこんなところに!?
まぁまぁ、細かいことはいいじゃないの☆ 今日は可愛い訓練生達の進捗を聞きに来たのさ♪
はぁ……そういうことなら事前に言ってくれれば事前に部屋片付けましたよ?
新橋くんもボクと似てズボラだからね? いや〜急に来て悪いと思ってるよ? でも暇なんだもんしょうがないじゃん?
本部長、アンタほんとに仕事してるトコ見たことないですよ。
そんなことはどうでもいいじゃないか! っで! どうなの! 訓練生達は!
あぁ、そうですね。お茶でも用意しながら答えましょうか。適当なトコ座って下さい。
目上をもてなす態度じゃないねぇ……社会人何年目なのさ?
普段まともに仕事してない上に急に来る本部長が悪いんですよ。
それで訓練生達なんですけど、正直言うと人数こそ例年より少ないものの、近年稀に見る豊作ですよ。基本的に全員身体能力か異能力どちらかの水準がべらぼうに高いですね。
ほうほう? それは実に興味深いね? 特に誰か推してる子はいるの?
そうですね、私が注目しているのは……順当に成績で評価すれば和泉心陽ですが……実は一人、気になっているのがいてですね。
ほうほう? それはどんな子なのかな?
彼は"呪力"を操る霊能力者の類の異能力者なのですが、魔術が一切使えなません。つまり、異能力の性質上、それだけ霊能力者としての能力が高いのです。ですが彼は不真面目なのか成績では真ん中。訓練ではどこか手を抜いている印象です。
ですがそれでも他の同期達と比べてどこか遅れているわけでもなく優秀な成績を収めているわけではありませんが、彼には未知数な部分も多いので、そのあたりも含めて注目していますね。
ほうほう……そんな彼の名前は?
それが……これです。
どれどれ〜? ……なるほどね。それはかなり怪しいね。そうかい、彼らの成長が楽しみだ! ではボクはこの辺りで失礼しよう! 引き続き愛情をもって育て上げてくれたまえよ!
そう言ってニア本部長は部屋を出ていく。
新橋はため息混じりに天井を見上げ、書類に目を通す。
コイツは……もしかすると……もしかするのかもな……。
ぽつりと呟いた新橋の言葉が天井の換気扇に吸い込まれるように消えていくのであった。




