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第七十九話 五つ数える潜入

「作戦開始だ」


 グレンの低く鋭い声を合図に、グレン、ラル、ガイア、キョウ。四つの影が、瘴気の漂う皇都の闇へ散った。


 目指す場所は、大通りを一つ越えた先。禍々しい気配を放つベラリティル本宅。


 本宅の正門を見下ろす廃屋の屋根で、キョウは瓦礫へ身を伏せ、静かに長弓を構えた。

 視線の先にあるのは、正門に埋め込まれた魔力晶石。屋敷を覆う半円形の結界は、そこを起点に赤黒く脈打っている。


 眼下の大通りでは、応龍騎士団と魔術団の混成部隊が、寸分の乱れもなく巡回を続けていた。

 呼吸ひとつ乱せば終わる。


 キョウは呼吸を薄く細く削り、弦を限界まで引き絞った。


 一方、大通りの反対側の路地裏では、ガイアが両手へ極限まで熱を圧縮しながら、獰猛に口端を吊り上げていた。


「さぁて、先輩方。景気よく騒いでもらうぜ」


 待つのは、ただ一つ。

 キョウの矢が放たれる、その合図だけだ。


 さらに、正門から僅かに外れた深い暗がり。

 グレンとラルは、息を潜めて刻を待っていた。


「ラル。遅れれば結界に弾かれる。続けて蜂の巣だ」

「分かってる」


 槍を握り直したラルが、紫の瞳を細める。

 グレンは無言で頷き、腰の剣へ手を添えた。


 風を裂く、極微かな音。


 キョウの放った一矢が闇を貫き、正門の魔力晶石を寸分違わず射抜いた。


 甲高い破砕音。

 続いて、屋敷を覆っていた結界が、砕けた色玻璃のように一斉に弾け散る。


 許された猶予は、五つ数えるまで。


 直後、ガイアの放った極大の火球が、大通りの反対側で爆ぜた。


「な、なんだ!?」

「敵襲! あちらだ!」


 巡回していた兵たちの意識が、一斉に爆炎へ向く。

 死角が生まれた。


「行くぞ!」


 地を蹴る音すら置き去りにして、グレンとラルが黒と銀の疾風となって走り出す。


(五)


 ラルは胸の奥で数を刻んだ。


(四)


 前を走るグレンとの距離が離れていく。


(三)


 彼はすでに正門の影をくぐり抜けようとしている。

 対して自分は、まだ遠い。


(二)


 間に合わない。

 そう悟ると、ラルは躊躇なく身を投げた。


 地を蹴り、低く跳び、石畳の上を転がる。

 勢いのまま正門の内側へ滑り込んだ、その直後。


 背後で、空気の弾ける重い音が鳴る。

 再展開された結界が、正門をぴたりと塞いでいた。


 荒い息を呑み込みながら、ラルは身を起こす。


「よくやった」


 グレンが、暗がりから短く告げる。

 だが、その声に安堵はない。視線はすでに、前庭を彷徨く異様な影へ注がれていた。


 グレンは剣ではなく、あまり使うことのない腰の短剣に手を置いた。


「……来る。音を立てるな」

「うん」


 槍を短く持ち替え、ラルが腰を落とす。


 前庭に立っていたのは、確かに人の形をした武装兵だった。

 だが、生気はない。濁りきった目。ぎこちない歩き方。そして、呼吸も瞬きもない。

 エンジの言っていた『人間の抜け殻』。

 第二城門にいた屍人とも違う。同じ顔、同じ背丈。明らかに『作られた物』だった。


 それらが侵入者の気配へ一斉に首を向けた、その刻だった。


 グレンの姿が、消えた。


 無音の神速。

 歩法だけで一体の懐へ潜り込み、短剣の軌跡すら見せぬまま首を刎ねる。

 血が夜気へ散るより早く二体目の背後へ回り込み、その心臓を背から深く穿った。


(これが……先生の本当の殺法)


 ラルは息を呑み、感嘆を胸の奥へ押し込める。

 同時に、その『抜け殻』たちから漂う、魂の欠片すら感じられない空虚さに背筋を凍らせた。


 吐き気を殺して地を蹴る。

 狙うのは、グレンの死角へ回り込もうとした三体目。


 風魔術は使えない。

 だが、叩き込まれた体術と槍の基礎は、すでに骨まで染みている。


 姿勢を低く保ったまま踏み込み、石突きで膝裏を正確に打つ。

 体勢を崩して前のめりになったところへ、銀の穂先を迷いなく喉笛へ突き入れた。


 声にならない呻き。

 それだけで終わる。


 グレンが短剣の血を払い、ラルも槍を引き抜いた。


「上出来だ。このまま一階を制圧し、地下へ続く階段を確保する」

「うん」


 短く頷き合い、二人は瘴気が淀むベラリティル本宅の奥へ、さらに音もなく踏み込んでいった。


 ------


 その頃。

 大通りの反対側で派手に火柱を上げ、応龍騎士団の視線を一身に集めていたガイアは、炎の照り返しの中で口端を吊り上げた。


 朱雀の猛禽の目は、瘴気の向こうにある正門さえ見逃さない。

 グレンとラルが結界を抜けたのを見届け、ガイアは小さく息を吐いた。


「よし。通ったな」


 ならば次は、自分たちの番だ。

 両手へさらに魔力を練り上げ、空へ向かって構える。


「さぁて、景気よく騒ぐぞ」


 どん、と空気を揺らす爆音とともに、極大の炎弾が夜空で連続して炸裂した。

 皇都の夜巡りが、昼巡りのように赤く染まる。


「なっ……!?」

「空から炎だ!」


 殺傷を抑えた代わりに、熱量と閃光は規格外だった。

 兵も術師も足を止め、空を見上げる。


「じゃあな、先輩方!」


 ガイアは残像を引きながら路地へ身を翻し、そのまま迷路めいた暗がりを一気に駆け抜けた。

 向かう先は、先ほど結界の核を射抜いた相棒のもとだ。


「キョウ! 行くぞ!」

「了解!」


 長弓を背へ収めたキョウが即座に応じる。

 二人は足並みを揃え、怒号を背に再び本宅へ向かった。


 やがて、修復された正門が近づく。

 警備が消えたわけではない。侵入者に気づいた兵たちが、慌てて武器を構えた。


 だが、ガイアは笑った。


「退け!」


 抜いた短剣が閃き、兵たちの刃をことごとく弾き飛ばす。

 その背で、キョウは疾走しながら弓を引いた。

 狙うは再び、正門の魔力晶石。


 遠射ではない。

 今度は、自分たちが五つ数える間に駆け抜けるための一矢だ。


「――っ!」


 放たれた矢が晶石を砕く。

 甲高い音。結界が再び砕け散る。


 同時に二人は、自らの身体へ重力操作を施して軽くし、一気に地を蹴った。


 背後で、再び結界が閉じる風切り音が鳴る。

 その寸前、二人は本宅の敷地内へ滑り込んでいた。


「余裕だな!」


 ガイアが笑って短剣をくるりと回した。

 だが隣では、キョウが膝へ手をつき、肩で息をしている。


「……っ、ほんと……重力操作、嫌い……!」

「お疲れ。だが本番はこれからだぞ」

「分かってるわよ!」


 キョウは一度だけ深く息を吸い、すぐに顔を上げた。

 二人は顔を見合わせ、そのままベラリティル本宅へ踏み込む。


 重い扉を抜けた先。

 広間へ入り、ガイアは思わず足を止めた。


「……早ぇよ」


 呆れと感心の混じった声が漏れる。


 広間は、すでに凄惨な血の海だった。

 幾つもの抜け殻が血だまりの中で動きを止め、戦いは終わっている。


 中央には、返り血で黒衣を濃く染めたグレン。

 そして、限界まで槍を振るい、息を荒げてその場へ座り込んでいるラル。


 ガイアたちの気配に気づき、グレンが短剣に残る血を払ってから警戒を解く。


「ラル、大丈夫?」


 キョウが駆け寄り、座り込んだラルへ手を差し出した。


「ありがと。……平気」

「あーもう、血だらけじゃない。じっとして」


 キョウは懐から布を取り出し、妹へするような手つきでラルの頬へ飛んだ血を拭った。


「痛い、力強すぎ」

「文句言わないで! 怪我はないわね?」

「ん、大丈夫」


 不満げに顔を顰めるラルを細かく点検し、キョウはほっと息をつく。

 そのまま視線を移し、無傷で涼しい顔をしているグレンを見た。


「先生……は、うん。心配するだけ損だったわ」


 布すら使わず、返り血を自らの手で拭い落とすだけの師を見て、キョウがげんなりとした声を漏らす。


「短剣、珍し」


 そんなグレンのもとへ、ガイアが感心したように歩み寄った。

 剣使いである彼が、あえて短い得物でこの死の山を築いたのだ。


「たまにはな。感覚が鈍っていなくてよかった」

「……どんだけ使ってねぇんだよ」

「お前に教え込んで以来だ」

「マジかよ……」


 さらりと恐ろしい事実を口にした師に、ガイアは呆気に取られながら周囲の惨状を見回した。


「で、地下へは?」

「あの扉の先だ」


 グレンが顎で示した先には、禍々しい装飾の施された両開きの扉があった。


「じゃあ、さっさと――」


 ガイアが一歩踏み出した、その刻だった。


 広間の空気が、音もなく変質した。


 肺が軋み、本能が警鐘を鳴らすほどの異様な重圧。

 それが冷たい膜のように、広間全体へ広がっていった。

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