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第六十五話 腐れ縁の剣と魔法

 重厚な扉が、ケセナの手によって左右へ大きく開かれた。


 内部は、外の戦火が嘘のように静まり返った広大な半円状の空間だった。床には玄武の紋章が精緻に彫り込まれ、壁一面を覆う巨大な円窓の向こうには、同盟軍の猛攻によって崩れゆく要塞と、荒れ狂う海が見下ろせる。

 その円窓を背にして、ビャクレンは静かに立っていた。

 要塞の魔力炉が落ち、足元がなおも微かに震えているというのに、焦りの色は微塵もない。


「……よくぞ辿り着いた。まさか、あの狂犬を斃してくるとはな」


 氷のように冷たい漆黒の瞳が、一行を順に射抜く。最後に、先頭に立つ漆黒の騎士へと真っ直ぐ向けられた。


「魔力を持たぬ一族の恥が、まだ生きていたか。リュウショウに尻尾を振って里を捨てた裏切り者が、よくもここまで来られたものだな。……愚かな弟、グレン」

「俺は、俺のしたいようにしただけだ」


 グレンが剣を抜き放ち、歯を軋ませる。

 玄武の現族長たる長兄と、一族から外れた末弟。相反する道を歩んだ兄弟の視線が、火花を散らして激突した。


「狂犬の首を落とした剣技は見事だ。だが、所詮は魔力を持たぬ者の足掻き。……ここで終わらせてやろう」


 ビャクレンが腕を軽く振った瞬間。


 全身が、沈んだ。

 見えぬ巨大な岩盤を頭上から叩きつけられたように、全身の骨が軋む。呼吸すら、地面へ押し潰されていく。


「なっ……!?」


 ガイアとラルが悲鳴を上げ、その場に膝をついた。

 重力を操るガイアでさえ、立っているのがやっとという異常な重圧。


「がっ……ぁ……!」


 満身創痍のケセナもまた、見えぬ掌に押し伏せられるように床へ這いつくばる。


「魔力炉が落ちたところで、この最上層の非常用術式には、五千星霜をかけて蓄えられた予備の魔力が残っている。私の土魔術があれば、貴様ら数人を圧し潰すことなど容易い」


 冷酷に見下ろす兄に対し、ただ一人、グレンだけがその異常な重圧を鍛え上げた体捌きで強引に突き破り、肉薄した。


「舐めるな!!」


 鋭い横薙ぎの一閃。

 ビャクレンは表情一つ変えず、分厚い岩盤の盾を瞬時に隆起させた。火花が散り、鋼の剣が弾かれる。

 間髪入れず、ビャクレンは無数の土槍をグレンの死角へ、死雨のように降らせた。


「ちっ……!」


 グレンは足を止めぬまま走り、ツェヴァン直伝の剣技で次々と斬り落としていく。

 しかし、地の利は完全に相手のものだった。

 最上層に満ちた魔力へ接続したビャクレンの術は、速度も威力も桁違いだ。剣技をどれほど磨こうと、正面から押し切るには力が足りない。


「ぐっ……!?」


 死角からの一撃を躱しきれず、グレンの肩口を土の刃が浅く掠めた。

 血が舞い、姿勢が大きく崩れる。


「どうした、グレン。武をいかに磨こうと、魔力を持たぬお前の限界はそこまでか。一族に伝わる呪術も、私を前にしては振るう勇気すら湧かぬか」

「くそっ……!」


 グレンが血を吐き捨てながら後退する。


 確かに彼には、魔力を要さぬ玄武族固有の『呪術』の心得がある。

 だが、中途半端なそれに頼るくらいなら、死地で鍛え上げた『武』だけを信じる。そう決めて生きてきた。


 けれど、このままでは押し切られる。

 ガイアもラルも、ケセナも、重圧に縛られて動けない。


 勝ち筋は、一つしかない。


 ちらりと。

 床へ這いつくばるケセナを見る。


(あの陰気で傲慢な隠居野郎にだけは、絶対に頼みたくなかったんだがな……!)


 三十星霜ほど前。

 リュウショウと共に森へ赴いた折、最悪の出会いを果たして以来、顔を合わせれば子供のような喧嘩ばかり繰り返してきた腐れ縁。


 グレンは苦渋に顔を歪め、ケセナへ怒鳴った。


「ケセナ! 俺が許す!」

「え?」


 ケセナはきょとんと首を傾げた。

 だが、次の瞬間、胸の奥が冷たく沈む。呼ばれたのが自分ではないと、遅れて理解した。

 必要とされたのは、自分ではない。けれど、ここでは渡すしかなかった。

 構わずグレンは叫ぶ。


「おい、奥で寝こけてる陰気野郎!! いつまで引っ込んでいる、さっさと起きろ!!」


 その怒鳴り声に呼応するように。

 ケセナの意識の奥底から、圧倒的な力と、ひどく傲慢な意思が表層へせり上がってくる。


(……うるさいな。人の頭の中で喚くな、三流騎士)


 脳裏へ響く、自分と同じ声。

 すっと、ケセナの目が伏せられ、再び開かれた刻。

 その琥珀色の瞳から、先ほどまでの怯えも優しさも消え失せていた。そこに宿るのは、絶対者めいた傲慢な光。


「……おい、末っ子。俺に泣きつくとは、随分と落ちぶれたものだな」


 声の質すら、まるで違う。

 その身から放たれたのは、空間の重圧すら己の魔力で容易く弾き返す、オウセイの覇気だった。


「ふん、くそ生意気な蜥蜴が。やっと起きたか」


 グレンが鼻で嗤い、肩の血を拭って剣の切っ先をビャクレンへ向け直す。

 その隣に立ったオウセイが、同じく鼻で笑った。


「誰が蜥蜴だ、リュウショウの尻尾。いいか、俺の足だけは引っ張るなよ。死にたくなければ、俺の背中にでも隠れていろ」

「あ? 寝言は寝て言えよ、眠りの暇人。お前こそ俺の前へ出るな」

「貴様が射線に立たなければ済む話だ、阿呆」


 要塞を統べる強敵を前にして、一切の緊張感もなく本気でいがみ合う二人。

 重圧から解放され、膝をついたままそれを見ていたガイアが、顔を引き攣らせて呟く。


「……おい、本当に大丈夫なのか、あれ」

「あれで噛み合うの、意味分かんない」


 ラルまで半眼でぼそりと漏らした。

 そんな茶番めいたやり取りに、ついにビャクレンが咆哮した。


「無駄口を叩くな!! まとめて潰れろ!」


 振り下ろされた腕と共に、先ほどとは比べものにならぬほど巨大な岩塊が、オウセイとグレンの頭上へ落下した。

 直撃すれば、原形すら留めぬ質量攻撃。


 しかし。


「遅い」

「欠伸が出る」


 オウセイとグレンは、互いを見ることすらなく、ほとんど同刻に地を蹴った。

 オウセイの掌から、空間の精霊を強引に搾取した禍々しい黒き魔法光が放たれる。落下する岩塊は、中央を撃ち抜かれ、粉々に砕け散った。

 ラルが一瞬だけ顔を歪める。それでも、槍を握る手は緩めなかった。

 降り注ぐ無数の瓦礫を、グレンが神速の剣捌きですべて弾き落とし、そのままビャクレンの懐へ一直線に踏み込んだ。


「ちっ……!」


 ビャクレンが咄嗟に土の防壁を三枚重ねて展開する。

 だが、グレンの魔力によらぬ純粋な剣の一撃が、一枚目を紙のように叩き割った。


「おい末っ子! 邪魔だ、退け!!」


 背後から飛んだオウセイの怒鳴り声。

 グレンは振り返りもせず、舌打ちと共にその場へ低く身を沈めた。

 しゃがんだグレンの頭上を、オウセイの放った圧縮魔法が通過する。

 二枚目、三枚目の防壁をまとめて砕き、そのままビャクレンを背後の壁へ激しく叩きつけた。


「……おい蜥蜴。わざと俺の後頭部を狙っただろ」


 立ち上がりながら、グレンが剣の峰でオウセイを小突く。


「気のせいだ。避けられぬなら、お前が鈍っただけだ」


 オウセイは悪びれもせず鼻で笑い、掌へ次なる高密度の魔力を収束させた。

 防壁を破られ、壁へ叩きつけられたビャクレンが、血を吐きながら愕然と目を見開く。


(……なんだ、この二人は)


 戦い方の流儀はまるで違う。

 それどころか、互いの邪魔をしているようにすら見える。


 なのに。


 ビャクレンの土魔術が生む死角をグレンが斬り裂き、グレンの剣が届かぬ間合いをオウセイが魔法で潰す。

 罵り合い、押し退け合い、互いを邪魔だと言いながら、その連携には付け入る隙がまるでない。


「……っ、すごい……」


 後方で結界を張るラルが、ぽかんと口を開けた。


「仲悪いどころの話じゃねぇのに、なんであそこまで噛み合うんだよ……」


 ガイアも呆れたように見つめるしかない。


「まだだ!!」


 ビャクレンが血を吐き捨て、床へ両手を叩きつけた。

 玄武の紋章が赤黒く光り、足元の床が波打つ。次の瞬間、グレンとオウセイの間に巨大な土壁が隆起し、二人の視界を完全に断ち切った。


「分断したか!」


 ガイアが叫ぶ。

 さらに、グレンの足元だけが急激に沈み込む。石床が泥のように変わり、膝下までを呑み込んだ。


「甘い」


 ビャクレンが冷たく吐き捨てる。

 その一方で、オウセイの周囲では大地の魔力が断たれ、精霊の流れが一瞬だけ途切れた。


「……ほう」


 オウセイの目が、わずかに細まる。

 その一瞬を逃さず、ビャクレンは天井から無数の石杭を落とし、床からは土槍を突き上げた。上と下、二方向からの挟撃が、分断された二人へ牙を剥く。


「面白い真似をするな、亀!」


 オウセイが嗤い、強引に断たれた精霊の流れを魔力でこじ開ける。

 グレンもまた、泥に沈む足を力任せに引き抜き、落下してくる石杭を剣の腹で受け流した。


「誰が足を止めていいと言った、蜥蜴!」

「貴様こそ地面に埋まって遊ぶな、末っ子!」


 罵り合いながら、二人はそれぞれの死地を抜ける。

 土壁の向こうとこちら。互いの姿は見えない。それでも、次に相手がどこへ動くかだけは、嫌になるほど分かっていた。


「終わりだ、ビャクレン!!」

「消えろ、亀!!」


 グレンの神速の剣閃がビャクレンの姿勢を完全に崩し、がら空きとなった胸元へ、オウセイが容赦なく黒金に濁る魔法光を叩き込んだ。

 指令室を、黒金の閃光が呑み込んだ。

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