↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/123

第六話 行ってきます

 昼巡りが始まってから、一刻ほどが過ぎた頃。

 淡い光の差し込む、鬱蒼とした木々に囲まれた家の前で、ケセナは深々と頭を下げた。

 その背には、小山のように膨らんだ巨大な背負い袋が乗っている。


 あの分厚い歴史書を読み終えてから、さらに二夜が経っていた。

 その間に、ケセナはオウセイから自分の齢を聞いた。身体は小さく、顔にもまだ幼さが残っている。到底信じられなかったが、二十星霜齢なのだそうだ。

 

「重要じゃないだろう?」


 オウセイはそう言っていたが、自分にとっては到底聞き流せる話ではなかった。


 とはいえ、今は旅の準備が先だ。ケセナは戸惑いを胸の奥へ押し込み、せっせと身支度を整えた。

 オウセイから旅に必要な常識を教わったものの、そのほとんどが小言めいていて、さすがにうんざりした。それでも、あの怒涛の七夜は一体何だったのだろうと思うほど、穏やかな二夜だった。


 金色だった髪は、どこにでもある茶色に変わり、瞳も同じ色へ偽装されている。後ろでひとつに纏めた髪が背負い袋に挟まり、頭皮にちくりと痛みが走った。ケセナは首を傾け、ぐいっと髪を引き抜く。


 髪と目の色を変える術――のようなものは、拍子抜けするほどあっさり終わった。キリエにぎゅっと抱き締められ、それだけだったのだ。もっと呪文や儀式めいたものがあると身構えていたのだけれど。


 そんな彼女が見立ててくれた服は、とても実用的だった。

 首から下に残る傷痕を隠すため、ケセナは少し大きめの旅装を頼んでいた。

 用意されたのは、白い上衣と短衣、黒の脚衣、紺色の外套、そして黒い手袋。

 変哲もない旅装だ。それでも、自分のために用意された衣服だと思うと、不思議と胸を張りたくなった。


 ――が。


 その出で立ちを台無しにしているのが、背中の巨大な荷物だった。

 「小さな鞄でいい」と念を押したはずなのに、小柄なケセナの身体を半分以上も覆い隠している。肩へ容赦なく食い込む重みに、ケセナは顔をしかめた。


「重い……」


 堪えきれず漏れた小言に、キリエが即座に反論した。


「旅に必要な物がいっぱい入ってるんだから我慢して!」

「う……」


 そう言われてしまえば、言い返せない。

『野宿もするかもしれない』などと口走らなければよかった。オウセイがその発言を伝えたおかげで、背負い袋には鍋やら何やらが隙間なく詰め込まれている。一度出したら、二度と元には戻せそうにない。


「オウセイは?」


 見送りに姿を見せないオウセイのことを尋ねると、キリエは寂しげに目を伏せ、それでも笑顔を作った。


「体調が少し良くないの。ごめんなさいね」


 一夜前に言葉を交わしたオウセイは、確かに顔色が悪かった。「疲れているだけだ」と早々に寝室へ引き上げてしまい、きちんと旅立ちの挨拶ができなかった。

 それだけが、ケセナの胸に引っかかっていた。


「大丈夫、ですよね?」


 不安を隠せず見上げると、キリエは静かに頷いた。


「ええ。少し熱があるだけだから」


 よく見れば、その牡丹色の瞳の縁には、うっすらと隈ができていた。一夜じゅう、そばについていたのだろう。


「キリエさんも、無理、しないでくださいね」

「ありがとう。大丈夫よ」

「オウセイによろ――」


「ケセナ」


 言いかけた言葉を遮るように、家の奥から低く掠れた声が響いた。


 弾かれたように視線を向ける。玄関の扉に凭れかかるようにして、毛布にくるまったオウセイが立っていた。

 顔色はひどく悪い。キリエが慌てて駆け寄る。


「オウセイ様、無茶をなさらないでください!」


 オウセイは片手を上げ、キリエを制した。その手には、一本の『刀』が握られている。

 キリエに支えられながらケセナの前まで来ると、ふっと力を抜き、彼女へ凭れかかった。


「ケセナ。これを持っていけ」


 オウセイは刀を差し出した。漆塗りの見事な鞘を前に、ケセナは戸惑った。

 だが、そこまでして持ってきたものを受け取らないわけにはいかない。恐る恐る手を伸ばし、刀を受け取った。


 軽い。

 刀といえば鉄の塊だ。ずしりと腕へ沈み込む重さを想像していたケセナは、肩透かしを食らった気分で刀を眺めた。


 柄は金糸で編み込まれ、鍔には翼を持つ二匹の龍が彫られている。その目には紅玉、羽には輝く宝玉が散りばめられていた。これが応龍というものだろうかと、ケセナは何度も角度を変えて眺めた。


「これは、お前の刀だ。正確には“ファルイーア”の、だがな。必ずお前の力になる」

「なんで、今なんです?」

「すまない。俺が完全に忘れていた」


 オウセイはあっけなく謝罪した。本当に忘れていたらしい。寝台で横になっていたところ、蔵の片隅に眠る刀の存在を思い出したのだという。

 渡さなければと、鉛のように重い身体を叩き起こしてきた結果が、この有様である。


「こいつの名は『応龍宝刀・プラークルウ』。皇帝が代々継承する“皇帝の剣”というやつだ」

「こ、皇帝の!? って、でも俺……」


 ケセナはすっかり動揺し、柄や鞘をさまざまな角度から撫で回した。


「俺、直系の血筋かもしれないですけど、皇帝ではないと思うんですよね。貰っていいものなんでしょうか」


 一周回って冷静になったケセナに、オウセイは苦笑した。


「誰がいつ、お前が皇帝だと言った。その刀がお前を『主』だと認めただけだ」

「え? でも、主って……?」


 どうにも納得できず首を捻るケセナに、オウセイは深々と肩を落とした。

 キリエの手を借りてその場に座り込むと、大きく嘆息する。


「御託はいいから、抜刀しろ。抜けば分かる」


 そこまで言われては仕方がない。ケセナは右手で柄を握り、左手で鞘を持った。

 かち、と小気味よい音が鳴る。そのまま引くと、美しい刀身がするりと滑り出た。

 切先まで抜き終えた、その瞬間。


「うわぁっ!?」


 突然、正面からどんっと押され、ケセナは危うく後ろへ転びそうになった。

 どうにか踏みとどまり、視線を落とす。そこには、五、六星霜齢ほどの『銀髪の幼女』がしがみつき、ケセナの腰を力いっぱい抱き締めていた。


 金色の大きな瞳に、貴族の姫君のような装い。人形さながらに愛らしい。

 だが、なぜ抱きつかれているのか、まったく理解できない。


「ファル様!! お会いしたかったですぅぅ!!」


 引き剥がそうにも、見た目からは想像もつかない力でしがみついている。右手には抜き身の刀、左手には鞘。どうすることもできなかった。


「プラウ」


 オウセイが声をかけると、幼女は涙を一瞬で引っ込め、きっとオウセイを睨みつけた。


「うわぁ、まだ生きてたとは。案外しぶとい生物だったんですねぇ? でも、随分と死に損ないみたいな顔してますね? さっさと死ねばいいのに」


 凄まじく辛辣だった。

 ケセナが眉を顰める横で、オウセイは口の端を引きつらせる。


「それは褒め言葉かな、お姫様」

「違います。心からの本音です、おじいちゃん」

「お前こそ相変わらず幼い姿のままだな。一体いつになったら年相応になるんだ?」

「っ! 余計なお世話です! オウセイ様だって、相変わらず馬鹿でしょう!? 私の最初の主だったからって、偉そうにしないでください!」


 オウセイはにこやかに笑っているが、こめかみがぴきぴきと引き攣っている。

 ケセナは、この口論をどうにか止めたかった。なにより、オウセイは今にも倒れそうなのだ。それなのに、この幼女は一切お構いなしである。


 名案も浮かばず、おろおろしていると、オウセイが反撃に出た。


「人を馬鹿にする女性は美しくな……ああ、すまない。人でもなく、『女性』でもなかったな」

「あああっ! だから貴方は嫌なのよ!! ねぇ、ファル様! この馬鹿になんとか言ってやってください!」


 唐突に話を振られ、ケセナの頭は真っ白になった。「あ」とか「う」とか、言葉にならない音しか出てこない。

 その反応を見て、幼女は、はたと動きを止めた。ケセナからぱっと離れ、慌てて居住まいを正す。


「そうだった。忘れていたです。突然の無礼、お許しください。私はファル様の剣であり、剣の精霊。“プラークルウ”です。愛称は『プラウ』。そう呼んでくれないと怒ります。怒鳴ります。ファル様が記憶を封印されても、私の使い手であることに変わりはありません。どうぞ、私をお使いください!」


 一息に捲し立てられ、ケセナは口をぱくぱくさせるしかなかった。背負い袋の重さと怒涛の展開で、色々なことがどうでもよくなり始めていた。


「プラウ。もうファルではないわ、『ケセナ』よ」


 キリエが助け舟を出す。

 プラークルウは再び、はたと気づき、上目遣いでケセナを見上げた。


「申し訳ありません……ケセナ様、ケセナ様、ケセナ様! はい! 覚えました! ケセナ様ぁ!!」


 なんだかもう、無茶苦茶だった。

 痛み始めたこめかみを押さえようとして、右手がまだ刀の柄を握っていることに気づく。

 そうだ。仕舞えばいいんだ――。


 これ以上ない名案だった。

 ケセナが鞘へ切先をあてがった途端、プラークルウが顔を青くした。


「駄目です! 仕舞わないで! ああああっ!」


 悲痛な叫び声が響いたが、ケセナは心を無にした。一切の慈悲もなく、カチン、と刀を仕舞い終える。


 ――辺りは、静寂に包まれた。


 その中で、ケセナの本音がぽつりと零れ落ちた。


「いらない……」


「抜刀すれば分かる」と言われたが、分かったのは、最高に面倒くさい幼女が出てくるという絶望的な事実だけだった。

 ケセナは心底がっかりした。


 無意識に「返品します」と言わんばかりに刀を差し出したが、オウセイは真顔で首を振り、無言で押し返してきた。

 ケセナは嘆息し、諦めて刀を左手で掴んだ。


「すまないな。あいつはいつもああなんだ。慣れろとは言わないが……いや、できれば慣れてやってくれ」


 オウセイは苦労の滲んだ顔でそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。


「オウセイ様……」


 キリエが心配そうに肩を支える。オウセイは「すまない」と詫び、身体を預けた。


「オウセイ、もう部屋に戻ってください。見送りなんていりませんから」


 今にも崩れ落ちそうな姿を見て、ケセナは慌てて促した。


「ケセナ……」


 キリエが不安げにこちらを見る。ケセナは力強く頷き、笑顔を返した。


「すまない。お言葉に甘えるよ。ケセナ、身体に気をつけてな。あまり無茶はしないように」


 あなたにだけは言われたくない。

 胸中で毒づきながらも、ケセナは頷いた。

 オウセイは安心したように笑い、キリエに支えられて家へ戻っていく。キリエが木扉を開け、その向こうへ入る直前、二人は揃って振り返った。


「行ってらっしゃい」


 二人の声が重なる。

 優しく、温かな声だった。

 ケセナは思わず破顔し、大きく答える。


「行ってきます!」


 二人は満足そうに目を細め、家の中へ消えていった。

 ばたん、と静かに木扉が閉まる。


 ふぅ、と息を吐き、ケセナは道らしくない道へ向き直った。


 まずは、この森を抜けなければならない。「森から出るまでは一本道だから」というキリエの言葉を信じるしかなかった。

 胸を張って一歩を踏み出そうとした瞬間、背負い袋の重みに引かれ、後ろへひっくり返りそうになる。慌てて前のめりになり、どうにか体勢を立て直した。


「格好がつかないなぁ……」


 情けない文句を垂れたところで、ケセナはここから本当に『一人』になったのだと気づいた。


(いや、一人よりは二人の方がいいのか?)


 左手の刀へ目を落とす。しかし、先ほどの金切り声が蘇り、即座に抜刀を諦めた。


 深呼吸をひとつ。


 ケセナは気持ちを切り替え、力強く一歩を踏み出した。

 十息ほど進んだところで、オウセイに大切な言葉を伝えていなかったことを思い出し、足を止めて振り返る。


 木々の向こうで、家はもう随分と小さくなっていた。

 ケセナは、その風景を目に焼きつけるように見つめ、腹の底から大きく息を吸い込んだ。


 心を込めて。

 一文字一文字を、噛み締めるように。


「ありがとうございました」


 距離が離れすぎている。きっと二人には聞こえていないだろう。

 それでも、言えた。それだけで、胸には爽やかな満足感が広がった。


 次にここへ戻ってくるのは、きっと、自分の記憶の封印を解く刻だ。

 それまで、どうか元気で。


 ケセナは前を向き、鬱蒼と緑が茂る一本道を、確かな足取りで歩き出した。


 世界を巡る四つの季、その繁茂の季。

 彼が背負う、いまだ名も知らぬすべての運命が、静かに廻り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。