【幕間】前編 完璧すぎる戦術的偽装 ≪作戦を承認≫
白虎の城での生活も十五夜が過ぎた頃。
皇都潜入へ向けた準備で、白虎の城は慌ただしかった。客室にも、潜入に使えそうな道具や衣装が連日のように運び込まれている。
ラルが寝台の上でケセナの治療を終え、そっと手を離した。そして、その紫の瞳でケセナの顔をまじまじと見つめる。
「ケセナ、女装してみない?」
「へっ?」
突拍子もない提案に、ケセナは素っ頓狂な声を上げた。
「な、なに言ってるの、ラル!? 女装!?」
「ケセナ、無駄にまつ毛長いし、肌白いし。線が細いから。絶対似合う」
ラルは腕を組み、「うん、絶対いける」と肩まである赤みがかった金髪を揺らしながら、一人で深く頷いている。
「嫌だよ! 俺、男だよ!」
「うん、だから女装」
「肌、露出するじゃないか!」
「長袖なら出ない。え? 肌が出なければいいの?」
「そういう問題じゃなくて!!」
顔を真っ赤にして全力で拒否するケセナだったが、そこへ面白そうな気配を嗅ぎつけた赤髪赤目の男が、ひょっこりと顔を出した。
「お? なになに。ファルが女装すんの?」
「しないよ!」
「いや、待てよ。案外悪くねぇんじゃねぇか?」
ガイアは顎に手を当て、ケセナを上から下まで遠慮なく眺めた。
背は低く、手足は細い。中性的な顔立ち。腰まである金髪に、今は怒りが滲んでいるものの、もともとは憂いを帯びた琥珀色の瞳。
「似合うかもな……」
「うん。だから女装させたい」
ラルとガイア、二人がかりの圧力。
完全に劣勢へ追い込まれたケセナは、部屋の奥で皇都の地図を睨んでいた最大の保護者へ助けを求めた。
「グレンさん! なんとか言ってよ! この二人、馬鹿なことばっかり言うんだ!」
縋るようなケセナの声に、グレンは深く溜息をつきながら地図から顔を上げた。黒髪の奥の黒い目が、不快感を露わにして細まる。
「お前たちな……少しは緊張感というものをだな――」
そこで言葉を切り、グレンは説教のために立ち上がった。そして、何気なくケセナの顔を見る。
その眉間から皺が消え、真剣な表情へ変わっていく。
「……」
「グレン、さん……?」
嫌な予感に、ケセナの顔が引き攣る。
百戦錬磨の騎士は、大真面目な顔で静かに顎を撫でた。
「似合う、かもしれん……」
「グレンさん!?」
「よし。ラル、一着見繕ってこい。試す価値はある」
「待って、俺の意見を聞いて!?」
白虎の城の客室に、絶望に満ちたケセナの悲痛な叫びが虚しく響き渡った。
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「離して! 離してよ!」
「ガイア、絶対に離すな」
「おま、こういう刻だけ馬鹿力出すな!」
見苦しい取っ組み合いが繰り広げられていた。
なんとか逃げ出そうと必死にもがくケセナを、ガイアが背後から羽交い締めにして全力で押さえ込んでいる。その横で、グレンが腕を組み、冷酷に指示を飛ばしていた。
「うるさい! 絶対着ないもん!」
「二十一星霜齢になる男が『もん!』なんて可愛く言ったってなぁ!! 通用するか、阿呆!」
ガイアが噛みつくケセナをさらに抑え込む。
「ほら、ケセナ。大人しくして! 傷口開くよ!」
「なら、その夜会着をどこかに捨ててくれる!?」
ラルはどこからか見繕ってきたひらひらの夜会着を手に、じりじりと迫っていた。
絶体絶命。
ケセナの尊厳が完全に散り果てようとした、その刻だった。
「随分と騒がしいのでな。様子を見に来たが」
取っ組み合う男たちの背後から、低く、威厳に満ちた声が降ってきた。
「!?」
ケセナとガイアの動きが、文字通りぴたりと止まる。
開け放たれていた客室の扉。そこに立っていたのは、腕を組み、銀髪の下の氷のように冷徹な青い瞳で彼らを見下ろす白虎族長――レイアだった。
「レ、レイア様……!?」
ケセナが顔を引き攣らせ、驚愕の声を漏らす。大戦の準備で多忙を極めているはずの総大将が、なぜこんな馬鹿騒ぎの現場にいるのか。
だが、レイアの視線はガイアに押さえつけられて涙目になっているケセナと、ラルが広げている豪奢な夜会着へ釘付けになっていた。
「何をしておるのだ?」
「皇都潜入における、戦術的な偽装の提案をしている」
グレンの苦しい言い訳を聞き、レイアの目がすっと細められる。
白虎の女傑は真顔のまま、一つ頷いた。
「ほう。戦術的偽装……女装か。名案だな」
悪くない、と低く呟き、彼女は背後に控える男へ声をかけた。
「おい、白粉と紅を。白虎の総力を挙げて、完璧に仕上げてやる」
「御意に」
颯爽と現れた初老の燕尾服姿の男――レイアの伴侶であるマジョルドが、白髪をふわりと揺らして一礼し、そのまま音もなく消えていく。
「嫌だーーーーーーー!」
まさかの白虎族長による全面協力。
誰にも逆らえない絶対権力者の介入により、ケセナの絶望の叫びが、再びアイランバの空へ虚しく響き渡るのだった。
――それから、一刻ほど後。
廊下に追い出され、壁へ寄りかかって待たされていたガイアとグレンの前で、ついにその重い扉が開かれる。
「終わったぞ。入れ……」
中から現れたレイアが、どこか満足げな――自らの最高傑作を披露する芸術家のような顔で、二人を招き入れた。
「おう。どれどれ、白虎族長の渾身の作品とやらは――」
軽い調子で部屋へ足を踏み入れたガイアの言葉は、そこで完全に途切れた。
後ろに続いていたグレンもまた、ぴたりと足を止め、目を見開いたまま石像のように固まる。
「…………」
「…………」
部屋の中央に立っていたのは、一人の見知らぬ『美女』だった。
長い金髪は複雑かつ優雅に編み込まれ、白磁のような肌には薄く紅が引かれている。もともと長い睫毛はさらに際立ち、伏せ目がちになった琥珀色の瞳は、ひどく憂いを帯びた深窓の令嬢のような色気を放っていた。
そして何より、レイアが若い頃に着ていたという深い藍色の豪奢な夜会着が、線の細い身体へ恐ろしいほどぴたりと収まっている。
さらにラルが妙な工夫を凝らしたらしく、夜会着の線は不自然なほど美しく整っていた。
「あー……ケセナ、すっごく綺麗」
ラルが両手を合わせ、うっとりとした声を上げる。
だが、当の『絶世の美女』は真っ赤な顔でぶるぶると小刻みに震えていた。
「っ、見るな!」
口から飛び出したのは、見た目とはまるで一致しない、低く不貞腐れた青年の声。
その声を聞いた瞬間、ようやくガイアの意識が現実へ帰還した。
「おま、おまっ……ぶふっ!!」
「ガイア! 笑うな!!」
「無理に決まってんだろ!! だーっはっはっは!! やべぇ!! 黙ってりゃとんでもねぇ美人なのに、声が低くて態度がやけにふてぶてしい!! はははは!! 腹ちぎれる!!!」
ガイアは腹を抱えて床に転がり、涙を流して大爆笑した。
ケセナは恥ずかしさと怒りで「うわあああん!」と顔を真っ赤にして地団駄を踏むが、夜会着のせいでその仕草すら妙に可憐に見えてしまうのがまた腹立たしい。
「グレンさん!! グレンさんからも何か言ってよ!! この格好、絶対おかしいよ!」
最後の頼みの綱。
ケセナは涙目で、入口で固まったままの保護者へと縋りついた。
グレンは一つ咳払いをし、ゆっくりとケセナの前へ歩み寄る。
そして、その鋭い観察眼で、美しい夜会着姿の愛し子を上から下まで、戦場で敵を見据える折と同じ真剣さで確認した。
「グレンさん……?」
あまりにも真剣な眼差しに、ケセナがたじろぐ。
百戦錬磨の騎士は、大真面目な顔で口を開いた。
「お前、性別を間違えたのか……?」
「間違ってないよ! 俺は――」
「そうだ」
反論しかけたケセナに、優雅にお茶を飲み終えたレイアが、何かを思い出したように口を開く。
「遺児よ。言い忘れていたが、この夜巡り、城で夜会があってだな」
「は……?」
「グレンと共に出席せよ」
あまりにもさらりと言い放たれた命令に、ケセナは数瞬、言葉の意味を理解できず瞬きを繰り返した。
そして、己の着ている豪奢な夜会着と、レイアの顔を交互に見比べる。
「はぁ!? え、このまま!?」
「ふむ。実地訓練にはちょうど良かろう」
「実地訓練って何!? 嫌だ! 脱ぐ! ちょ、これどうやって脱ぐの!?」
ケセナが背中の留め具に手を伸ばそうとする。
「痛……っ」
筋肉が引き伸ばされ、傷口が痛んだのだろう。ケセナは顔を歪め、その場に蹲ってしまった。
そこへ、背後から大きな影が迫る。
「ケセナ、大丈夫か?」
低く通る声と共に、グレンがケセナの腕を引き寄せると、膝裏と背中に腕を回し、そのまま軽々と抱き上げた。
「行くぞ、夜会」
「そのために抱き上げたの!?」
斯くして。
完全に逃げ道を絶たれた『絶世の美女』は、保護者である騎士の腕の中にすっぽり収まったまま、白虎の夜会という恐ろしい実地訓練へと強制連行されていくのだった。




