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第二十二話 眠るケセナ

 洞窟の奥へ入り、力尽きて座り込んだケセナに、グレンは持っていた布を手渡した。


「ガイアから借りてきた。着るといい」

「ありがとうございます」


 折り重なった布を受け取り、広げる。

 それは、小柄なケセナには少し大きいだろう紺色の長袖の上衣と、黒の脚衣だった。

 肩口が少し広く、これでは傷が隠しきれないかもしれないと思いつつ、ケセナは布を畳み直す。


「着ないのか?」


 グレンが怪訝な顔で問う。

 ケセナは苦笑して答えた。


「後で、着ます」


 着替えを見られたくなかった。

 たとえグレンが知っていたとしても、自分の身体に刻まれた醜い傷を晒したくなくて、ケセナは着替えず、そのまま横になった。


 強制的に精神世界を覗き見る玄武の呪術は、対象者の精神と肉体に大きな負荷をかける。

 グレンの予想どおり、ケセナはすぐに強烈な睡魔に襲われ、瞼を開けていることすら精一杯な状態になっていた。

 グレンはそんな彼を咎めることなく、黙って毛布を掛ける。


 それでもケセナは、どうしても伝えておかなければならないと、虚ろな意識の中で必死に言葉を紡ごうとしていた。


「俺は……」


 その言葉を遮るように、グレンは少し鬱陶しそうな顔で毛布を引っ張り、ケセナの頭まですっぽり隠してしまった。


「寝ろ。話はそれからだ」


 頭まで被せられたせいで、毛布の裾から足首より下がはみ出してしまう。


「足、寒いんですけど」


 毛布からちょこんと出た足先を揺らし、ケセナは掠れた声で不満を漏らした。

 洞窟の中は、外の熱気とは裏腹にひやりと冷えている。

 グレンが慌てて裾を整えるより先に、ケセナは抗うことなく深い眠りへと落ちていった。


 微かな寝息が洞窟に響き始める。

 それを見届けたグレンは、重い身体を岩壁に預け、肺の奥から絞り出すような溜息をついた。


「すまない、ファルイーア……」


 ぽつりと零れた謝罪は、誰の耳にも届かない。

 グレンはずっと、彼を探し続けていた。

 親友であり、敬愛する皇帝リュウショウを暗殺した大罪人――ファルイーアを。


 目の前にいる茶髪の青年が、頑なに自分はケセナだと否定したから、グレンは呪術を用いて彼の過去を無理やり暴いた。

 親友の仇を討つために。


 だが、その精神世界でグレンが見せつけられたのは、あまりにも凄惨で、胸が悪くなるほどの真実だった。


 感情を殺され、兵器として戦場に立たされていた姿。

 そして――あの惨劇の刻の真実。


 親友リュウショウは、ファルイーアに暗殺などされていなかった。

 彼は最期の最期で、ファルイーアを確かに『我が子』と認めたのだ。

 それを許せなかったもう一人の息子フィサルーアが激昂し、ファルイーアの左肩を貫いた。そして、血の繋がりはなくとも父として自分を愛したリュウショウを、その手で殺害した。


『“兄上”が、“父上”を暗殺したことにしよう。“兄上”が逃げおおせたら、世界中に散らばる応龍族を根絶やしにする』


 狂気に満ちたフィサルーアの言葉が、グレンの脳裏にこびりついて離れない。


「リュウショウ。こんな刻、お前ならどうするんだろうな……」


 グレンは洞窟の暗い天井を見上げた。

 思い出すのは、金髪に真紅の瞳を持った、陽気で心優しい親友の顔だ。


「お前は、最期まで二人の息子を愛そうとしていたんだな……」


 グレンは目頭を強く押さえた。

 自分はなんて愚かだったのか。

 自らの記憶を封印し、髪と瞳を茶色に染め、別人であるケセナとして生きようとしていた彼に、あんな残酷な過去を突きつけてしまった。


 それでも。


 術から解放され、垣間見た過去の断片を知った直後、目の前のケセナはこう言ったのだ。


『あの応龍狩りで、多くの犠牲が出ている。それを知っていながら、何もせずに放っておくことなんて、俺にはできそうにない』


 理不尽な世界から逃げ出していたはずなのに。

 自分の存在によって誰かが傷ついていると知った瞬間、彼は迷うことなく、自ら危険へ踏み込む道を選んだ。

 そこにあったのは、グレンの知るファルイーアの本質そのものだった。


 毛布の下で静かに眠る茶色の髪を見つめながら、グレンは無意識に「おかえり」と呟きそうになった自分に気づき、自嘲気味に笑った。


「ゆっくり寝ろ、ケセナ」


 グレンはケセナを起こさぬよう、足音を殺して静かに洞窟を出た。


 ――だが。


 外の空気を吸って感傷に浸る余裕は、一瞬で奪い去られた。


「何してるんだ、お前たちは……」


 洞窟を出た矢先、グレンの目に飛び込んだのは、二人が火花を散らして真正面からいがみ合っている光景だった。


「先生! やっぱりあの子、ファルだったんじゃないですか!」


 背中まで届く青銅色の髪を振り乱し、血相を変えて迫ってくる女――弟子のキョウ。


「うるさい。黙って。だから何だっていうの」


 それに対し、洞窟の入口を塞ぐように立ち、冷ややかな視線で毒づく赤みがかった金髪の少女――もう一人の弟子、ラル。


「それにこの子、何なんですか! 帰れだとか近寄るなだとか、失礼にもほどがありますよ!」

「だから、うるさいって言ってる。煩わしいから帰れって言っているの。いい加減、理解して」

「あーーーー……」


 グレンは頭を抱え、絶句するしかなかった。


 キョウはファルイーアに会いたくて仕方がない。

 一方のラルは、誤解が解けたばかりのケセナを静かに休ませたかった。

 噛み合うはずもない。


 同僚騎士たちの「女同士の諍いには極力関わらない方がいい」という忠告に従い、グレンは早々に思考を放棄した。


「ファルに会わせてください! 先生!!」

「だから、駄目って言っている。ケセナは今、疲れて寝てる」

「あなたに言っていないでしょう!?」

「状況を説明しているだけ。理解しないあなたが悪い」


 いつまでも終わりそうにない応酬。

 キョウとラルが同期で弟子入りしてこなくて本当に良かったと心底安堵しつつ、グレンが遠い目をしていると――。


「――帰るぞ、キョウ」


 森の奥から、低く響く声が届いた。


 赤い髪をした柄の悪い青年――ガイアが、苛立たしげな足音を立ててこちらへ向かってくる。


「つーか、出掛けるなら飯作ってからにしろ! 俺が作れるわけねぇの、知ってんだろうが! さらに言うと、なんで俺が、この俺が、お前を探し回らなきゃならねぇんだよ。めんどくせぇな!」


 赤い瞳で鋭く睨みつけられ、キョウは一歩下がり、きまりの悪そうな顔をした。


「だって、ガイア! ファルが……!」

「だ・か・ら! 先生に頼んだんだろうが! 分かれ、馬鹿がっ!」


 ガイアに一喝され、キョウはぐっと言葉を呑んで項垂れた。

 それをしれっとした顔で見ていたラルが、ぽつりと呟く。


「分かれ、馬鹿」

「なんですって……っ!」


 ラルの平坦な煽りにキョウが即座に反応したが、ガイアの手前、それ以上詰め寄ることはできなかった。

 ずんずんと距離を詰めてきたガイアに、襟首をがっちりと掴まれたからだ。


「先生、こいつ連れて帰るんで。じゃ」

「お、おう。そうしてくれると助かる……」

「ちょっと、服が伸びるから引っ張らないでっ!」


 叫んで振り払おうとするキョウを、ガイアは容赦なくずるずると引きずっていく。

 疾風のように静寂を根こそぎ奪っていく二人の背中を見送りながら、グレンはなぜか心の底から、ほっと息を吐き出していた。


 残酷な真実を知り、張り詰めていた心が、彼らの騒がしくも変わらない日常のおかげで、ほんの少しだけ癒やされた気がしたのだ。


「やっと静かになった」


 ラルの偽りなき本音に、グレンも苦笑して頷く。

 キョウとラルは相性が悪い。絶対に、悪い。

 何があっても、もう二度とこの二人を対面させてはいけない。グレンは胸中で固くそう誓った。


「なぁ、ラル」

「なんですか」

「今後、キョウを見かけたら、逃げるか隠れろ」

「……」


 無言の返答。

 気を取り直し、「夕餉の支度をしないとな」と踵を返したグレンに対し、珍しくラルの方から言葉を返してきた。


「戦っちゃ駄目ですか」


 予想外すぎる物騒な返答だった。

 グレンは足を止めてラルを見下ろし、その赤みがかった金髪の上に大きな左手をぽんと置いた。


「逃げるか、隠れるか。どちらかだ……」


 重々しくそう念を押し、グレンは苦笑いを噛み殺しながら、早々に夕餉の支度を始めたのだった。

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