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第十三話 嘘が嫌いな少女

「……」


 霧がかかったような思考の中、ケセナは自分の状況を整理しようとしていた。

 目に入ったのは、ごつごつとした岩肌だった。焚き火か何かの炎に照らされ、岩の影が揺らめいている。

 どうやら洞窟の中に寝かされているらしい。背中の下には柔らかい敷物があるおかげで幾分ましだが、それでも硬い地面の感触と鈍い痛みは伝わってきた。


(でも……なんで、ここにいるんだ?)


 ゆっくりと数回瞬きを繰り返した直後。

 突如として脳内の霧が晴れ、ケセナはがばっと勢いよく上体を起こした。


「っ……!」


 思い出した。

 闇の中で複数の男たちに襲われ、凄腕の長剣使いと死闘を繰り広げ、絶体絶命の窮地に陥った。そして、背後に漆黒の男が現れ、限界を迎えた自分は意識を失って倒れたのだ。


「あ……れ?」


 絶望的な記憶を思い出し、顔を覆おうとしたケセナは、持ち上げた自分の右腕を見て硬直した。

 強烈な違和感。

 あるはずのものが、ない。


「え? あれ?」


 男たちにつけられたはずの真新しい切り傷が、綺麗さっぱり消えていたのだ。


 慌てて自分の身体中を確認する。左腕も、胴も、足も。着ている衣服はずたずたに切り裂かれたままだというのに、そこから覗く肌には、先ほどの死闘で負った傷痕がひとつも見当たらない。

 ただ、刻まれている『無数の古傷』だけが、変わらずそこにあった。新しい傷だけが完全に塞がり、古い傷だけが残されている。


 何が起きたのか、ケセナにはまったく見当もつかない。

 夢ではない。確かに自分は、あの闇の中で無数の刃を浴びた。じくじくと脈打つような激痛も、血の匂いも、はっきり覚えている。


「何が……あったんだろう……」


 呆然と呟くが、答えは出ない。

 ケセナが身体の力を抜き、深く息を吸い込んだ折だった。


 洞窟の奥から、誰かが歩いてくる足音が聞こえた。


 ケセナが身構えていると、やがて深緑色の身軽な短衣と、革帯で締めた脚衣を身につけた少女が姿を現した。


「起きてた」


 ゆっくりと歩み寄ってきた彼女は、ケセナの前で片膝をつき、その顔を覗き込んだ。少しぼんやりとした印象を受ける彼女は、肩まである赤みがかった金髪に、珍しい紫の瞳を持っていた。

 ケセナは切り刻まれた衣服を握り、古傷を隠す。


「あの……」

「よかった。どこか痛いところはない? あたし、治癒魔術って苦手だから不安なの」

「特にないですけど」

「そう? ならよかった。待ってて。先生、呼んでくるから」

「先生……?」


 彼女はケセナの問いには答えず、立ち上がると、うっすらと光の差し込む方向へ歩き出し、洞窟の角を右に曲がっていった。


「あ、あの……!」


 ケセナは慌てて立ち上がり、彼女を追いかけた。

 小走りに動いてみて、自分の体力が完全に回復していることに驚いたが、今は彼女を追う方が先だ。


 角を曲がると、そこで立ち止まっていた彼女が、迷惑そうに口を尖らせてこちらを見ていた。


「待ってて、って言ったのに」

「え、あ。ごめんなさい」


 咄嗟に謝罪して俯くケセナだったが、彼女は「まぁ、いい」とぷいっと顔を背け、再び歩き出した。

 ケセナは大人しくその後ろをついていくことにした。遠くには、出口らしき光が見える。だが、洞窟は思ったよりも長く、歩きながらケセナは素直な疑問を口にした。


「あの、あなたの治癒魔術で治してくれたんですか? ありがとうございます。おかげですっかり良くなりました。それにしても、魔術って凄いんですね。あんな酷い怪我まで綺麗に治せるなんて……俺、魔術のこと全然分からないので驚きました。それで、その、ここはどこなんでしょう? というか、俺はどれくらい寝てたんでしょう?」

「君、起きてるとうるさいのね」


 出口の光を真っ直ぐ見据えたまま、彼女がぽつりと呟いた。


「えっ、あの、ごめんなさい」


 ケセナは再び平謝りするが、彼女は振り返ることなく、少しだけ歩く速度を上げた。やがて、ごもごもと口ごもったあと、一息で終わらせようと大きく息を吸い込み、早口で答える。


「質問に答えるとすると、君の治療をしたのはあたし。別に凄くない、普通。それから、ここは朱雀統治領内、フェルナリア南西の崖にある洞窟。寝てたのは三夜」


 息継ぎなしで言い終えると、彼女はまた黙々と歩き始めた。


「三夜も……?」

「……」


 唖然とするケセナに対し、彼女は心底嫌そうに顔を顰めて振り返った。その冷たい紫の瞳を見て、ケセナは凍りつく。


「君、まだ質問するの?」

「いえ、しません」


 これ以上喋っては駄目だ。ケセナの生存本能がそう告げていた。

 出口まではまだ少し距離がある。ケセナは口を一文字に結び、絶対に開かないよう決意して足を進めた。


 歩く音だけが響く洞窟内。

 二人いるのに一切の会話がないという気まずさに耐えながら、ケセナはただ歩き続けた。

 そうして、ようやく出口に辿り着く。


 外はすでに半昼巡りの頃だった。

 熱気が襲い、ケセナは思わず顔を顰める。岩肌が目立つ山なのだろうか、緑は少なかった。


 彼女が、外で鍋の番をしている真っ黒な衣服の人物を見つけ、駆け寄りながら声を上げた。


「先生」


 黒い人物が気づいて顔を上げる。


「ああ、ラル。彼は――起きたようだな」


 鍋を掻き混ぜながらにこりと微笑んだのは、髪も瞳も、そして衣服もすべてが漆黒の男だった。

 彼は、隣にすとんと腰を下ろした『ラル』という名の少女を、怪訝そうに見つめる。


 ラルは不貞腐れたように口を尖らせ、文句を垂れた。


「お喋り。質問攻め。うるさくて敵いません」

「……」


(そんなに喋ったつもりはないんだけど……)


 ケセナは心の中で弁明したが、ラルがそう感じたのなら仕方ない。反省しようと肩を落とす。

 男は苦笑いを浮かべてケセナを一瞥し、鍋を再び掻き混ぜた。


「とりあえず食事にしたいが、まだできてなくてな。顔を洗いに行ってくるといい」

「はい」


 素直に返事をして、ラルが立ち上がり、ケセナの脇を通り過ぎようとした際、男が声を掛けた。


「ラル、彼も連れていってあげて」

「え、どうしてあたしが」


 振り向きざまにケセナを睨みつける。

 この不機嫌さは何なのだろう、とケセナは的外れなことを考えた。


「分かった。行く。こっち」


 ふてぶてしく顎で方向を示し、ラルはすたすたと歩いていく。ケセナはひとつ溜息をつき、恐る恐る彼女の背中を追いかけようとすると、男が呼び止めた。


「待て。これを羽織っていくといい」


 古傷を見られまいと、切り刻まれた衣服を握りしめていたケセナに、男は黒い薄布を差し出した。


「ありがとうございます」


 受け取ってすぐさま羽織ると、ケセナはラルを追いかけた。


「あの」

「何?」


 全身から『うざい』という気配を放ちながら、ラルは前だけを見て歩いている。


「俺は、ケセナ・レフィードって言います。あの……名前、聞いてもいいですか?」

「そう。ありきたりな名前。つまんない。あたしは、ラル。ラル・クレート」

「あの、珍しい瞳のい――」

「黙って歩けないの?」


 ぴしゃりと遮られ、ケセナは口を噤んだ。

 案の定、それ以降は一切の会話がなかった。理由は不明だが、初対面にして強烈に嫌われているらしい。ケセナはそう割り切ることにした。


 少しだけ斜面を登ると、二人は小さな泉に到着した。

 水量は多くないが、湧き出す清水が陽の光を反射してきらきらと煌めいている。あまりの美しさに、ケセナは感嘆の息を漏らした。


「綺麗な場所ですね」

「……」


 返ってくるのは沈黙だけ。感動を共有することすら許されない空気に、ケセナは小さく肩を落とした。

 完全に無視を決め込んだラルは、泉の畔にしゃがみ込み、ばしゃばしゃと顔を洗い始めた。泉は二人で並んで使うには狭かったため、ケセナは少し離れた岩に座って待つことにした。


 ふぅ、と息を吐きながらラルが立ち上がる。『次は君の番』と言いたげにケセナの横まで来ると、隣に腰を下ろした。

 一言言ってくれればいいのにと思いつつ、ケセナはおずおずと泉へ向かい、そっと水に手を入れて顔を洗った。


「!」


 水面に映った自分の顔を見て、ケセナは息を呑んだ。

 ぱっくりと割れていたはずの右頬の傷が、痕跡もなく綺麗に治っている。傷があった場所を指で擦り、信じられない思いで後ろを振り返った。


 するとラルが黙って立ち上がり、自分が使っていた布切れを無言で突き出してきた。どうやらケセナが振り返ったのを『布切れを求められた』と勘違いしたらしい。彼女は顔を背けたままだ。


「ん」


 受け取れと催促され、ケセナはありがたく布切れを受け取った。


「あ、ありがとうございます」


 ケセナが顔を拭いていると、ラルは顔を背けたまま、ぽつりと零した。


「頬の傷、痕が残らなくてよかった。それだけ、心配してた」

「はい。本当にありがとうございます。あの……」


 今なら少し話せるかもしれない。そう直感したケセナは、ラルの前まで行き、同じ目線になるようにしゃがみ込んだ。


「何?」


 ラルは半眼でこちらを見ているが、先ほどまでの『話しかけるな』という気配は少し薄れていた。ケセナは内心で胸を撫で下ろす。


「俺、魔術は使えないので詳しくないんですけど、治癒魔術って一番難しいんですよね?」

「そう。だから苦手。でも……」

「……?」


 首を傾げたケセナを見て、ラルは眉を顰めた。

 そして、ひどく不本意だと言わんばかりの表情で言い放つ。


「なぜだか分からないけれど、君の治療は異常にやりやすかった」

「え? どうしてですか?」

「精霊が、力を……」


 ラルは言葉を切り、顎に左手を添えて少しだけ悩んだ。そして、真面目な顔のままケセナを真っ直ぐに睨みつける。


「精霊の側から、君を治療したがった」

「え?」


 どういう意味か分からなかった。精霊が治療をしたがる。そんなことがあり得るのだろうか。

 精霊は、魔術を行使するために必要な存在だ。火、水、土、風の四大精霊から始まり、治癒を司る『光精霊』のような上級精霊も存在する。治癒魔術を行使できるラルは、当然その光精霊と契約しているはずだ。

 だが、精霊が『術者の意志を超えて』特定の者を治療したがるなどという話は、いくら魔術に疎いケセナでも聞いたことがない。

 自分を治したがる精霊といえば、あのプラークルウくらいしか思いつかない。しかし、彼女は今ここにはいないし、自分が瀕死の重傷を負ったことすら知らないはずだ。ケセナは分からず首を振った。


 すると、ラルが目を細め、すっと立ち上がった。


「君、魔術を知らないなんて『嘘』」

「えっ?」

「光精霊は、契約者以外の者を治療するのを凄く嫌がるの。なのに今回は、その抵抗がまったくなかったどころか、“精霊の側から率先して君を治そうとした”。そんなの、君がよほど光精霊に愛されているか、こっそり強大な契約を結んでいるか、どっちかじゃない」


 冷ややかな紫の瞳が、ケセナを射抜く。


「君、嘘ばっかり言ってる。あたしは嘘が嫌い。だからあたしは、君が嫌い」


 ラルははっきりとそう言い切り、冷たい視線でケセナを睨みつけた。

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