8 戦いは突然に
「んもー限界だー!」
水曜日。10分間グラウンドをのんびり走るだけの体験入部も今日で3日目となる。楽すぎる練習――練習と呼べるかどうかすら怪しいが――に対して、練児はジョギングをしながら非難の声を上げた。共に走っている蒼木と御門も、声には出さないだけで内心は練児と同じような物足りなさを抱いていた。
「まあ、まだ正式に入部したわけじゃないから仕方ねえだろ。我慢しろよ」
「うるせー!」
蒼木が練児を諭すが、全く効果は無いようだった。今週末までは入部届の受付期間であり、部員として活動に参加出来るのは来週からである。それゆえに、陸上部としては体験入部の形で走っている蒼木たちに無理をさせるわけにもいかないし、蒼木たちもまだ勝手が分からないため、好き放題に走るわけにもいかない。その事を頭では分かっていながらも、練児は感情を押さえることが出来なかった。
10分という短い時間はすぐに過ぎ去り、ジョギングを終えた3人は体育館玄関へと歩みを進める。
「こーなったらシン先生に直談判してやる!」
「出来ればやめて欲しいな。そんな喧嘩腰で話したんじゃ俺たちの印象が悪くなるだけだよ。それに、そんなに走りたいなら帰った後で好きなだけ走ればいいじゃん。Are you OK?」
今にも飛び出して行きそうな練児の肩を掴み、今度は御門が説得を試みた。
練児は足を止めて御門へ向き直り、御門を睨み付ける。
「単純に走り足りないってだけじゃねーよ! 俺はちゃんと実力を理解してもらいてーんだよ! 明らかにナメられてるだろこれは!」
御門の言葉に対して、練児はムキになって声を荒げている。その姿に呆れつつも、それを上回る苛立ちの感情を言葉に込めて、御門も負けじと反論する。
「だから、来週になればそんなchanceはいくらでも巡ってくるよ。高校生にもなって我慢の一つも出来ないの? ガキみたいだね」
あえて挑発的な言葉を送ることにより、もしかしたら強情な練児も釈然とはせずとも分かってくれるかもしれないと御門は考えていた。しかし、練児は予想以上に強情で、挑発されると逆上するタイプの人間であった。
「ぅっせーなー! 俺はナメられんのが一番キライなんだ! ナメられたままで黙ってられるほどプライド低くねーんだよ! てめーと違ってな!」
そう言い捨てた練児はズカズカと一人で先に体育館玄関へと向かっていった。
その様子を見た蒼木は、中学時代から何にも成長しちゃいねえなと呆れ、溜め息をつきながら練児の後を追おうとした。
「あのさ、蒼木」
そんな時に御門が蒼木に話しかけた。御門に歩き始める様子がなかったため、必然的に蒼木もその場で足を止める。
「どうした?」
「俺、練児とは一生仲良くなれる気がしない」
他人の意見に全く耳を貸さず、一時の感情に流される。それは御門が最も嫌いなタイプの人間だった。
それを聞いた蒼木は苦笑いを浮かべる。
「ま、あいつは我慢が出来ねえお子様だからな。その分、オレたちが大人の対応をするしかねえよ」
ああなった練児は、他人に何を言われようが止まらない。なぜ中学時代まで練児とあまり接点の無かった蒼木がその事を知っているのかというと、その理由は主に2つある。『その性格ゆえに練児がたびたびトラブルを起こすので悪目立ちしていた』ということと、『蒼木と仲の良かったサッカー部の友人からよく練児の所業を聞いていた』ということである。
しかし、蒼木はその友人から『練児が実は友達思いで、どこか憎めない』という話も聞いている。蒼木本人は知らないことだが、カナが蒼木とすんなり仲直りをすることが出来たのは練児の一言が大きい。実際に蒼木も彼が悪い人間ではないと感じている。あくまで感覚的にではあるが。
それに、練児と御門は会ってからまだ日が浅い。御門の練児に対する印象は今でこそ悪いかもしれないが、これから同じ陸上部で活動していくうちに評価が変わっていくかもしれない。少なくとも、この出来事一つで練児に見切りをつけるには早すぎると蒼木は思っており、一緒に練習をこなしていく仲間として仲良くしてほしいと考えている。
(ここはひとつ、御門と協力して練児の動向を見極めようか)
そう思案しつつ蒼木は言葉を続ける。
「とりあえず、練児が暴走しそうになったらオレたちが止める。あいつだって頭のどっかじゃ理解してるんだから、冷静になれば分かってくれるさ。たぶん」
「そこは断言して欲しかったな」
御門の指摘に対して蒼木は「はは……」と力なく笑い、御門もつられて苦笑いをする。お互い苦労しそうだな、と共に思いながら。
■■■
一足先に体育館玄関に辿り着いた練児は、勢い良くその扉を開けた。中に居たマネージャーの梨沙子が「おつかれっ」と元気良く声を掛けるが、練児は軽く会釈を返すだけだった。いつもの彼なら「おつかれーっす!」と陽気に返事をしてマネージャーとの会話楽しもうと意気込むところだが、今の練児には別の人物に用事がある。
「シンせんせー!」
自身が持参したであろう折り畳み式の椅子(キャンプ用)に座り、玄関の隅で何かの書類を眺めていた年配の男性。部員からシン先生と呼び親しまれ、短距離コーチの立場にありながら他の種目にも精通している彼は、自身を呼ぶ声に反応してその方向へと顔を向ける。
そこに立っていたのが長距離の新入部員――白崎練児であることを認識したシン先生は、彼は自分たちの練習が終わったことを報告しに来たのだと考えた。
「ジョグ終わったが? へば、あど帰っていど」
練児にもう帰ってもいいぞと伝え、シン先生は再び書類に目を向ける。しかし、練児の用件はまだ済んでいない。
「シンせんせー、俺たちのことナメてねーっすか?」
思いがけない一言をもらったシン先生は、その真意を確かめるために練児の顔を見つめる。その真剣な表情から、彼が冗談を言っているわけではないことは容易に理解できた。
「ほお。どういうごどだ?」
「練習が楽すぎるんすよ。俺たちゃ全員元運動部だし、陸上や駅伝の経験だってあるし、よーするに退屈っす」
練児は遠慮もためらいもなしに、今の気持ちをストレートに伝えた。失礼だとも取れる物言いだが、遠回しに表現するのは練児の性に合わなかった。
「んだども、初めから無理さすわげにもいがねべ」
それに対しシン先生は、至極当然な正論を返す。しかしここで引き下がるようなら、練児は最初から抗議などしていない。
「いーや上等っすよ。むしろ今の自分の実力を知りてーんで、先輩たちの練習に参加してーぐれーっす」
『そしていい結果を出して女子にちやほやされてーっす!』という練児の本音は心の中にしまっておいた。女子に良いところを見せるためなら、多少の犠牲は厭わない。彼の中ではそんな下心が渦巻いていた。
だがシン先生の目には、練児が強い向上心を持って練習に臨んでいるように映ったのだった。
「その意気込みや良し! へば、おめの言う『実力』とやらを見せでもらおうでねが」
その言葉を聞いた練児は自分の思惑が上手くいったことを確信し、実際に彼が望む舞台が用意されることになる。
そして今このタイミングで、蒼木と御門は体育館玄関の扉を開けた。ゆえに、彼らにとっては次に続くシン先生の言葉は唐突なものであった。
「明日は競技場で練習すっから、おめだぢ3人で1000mの競走させでやる。どごまで走れだもんだが、楽しみにしでるど」
「ん?」
「What?」
「よっしゃー!」
突然の宣告に困惑する蒼木と御門、自分の要求が通ったことに歓喜する練児。いたずらな微笑みを浮かべるシン先生と、これまでのやり取りを遠巻きに見て『何だか面白い事が始まりそう』と感じたマネージャーたち。体育館玄関は中々にカオスな空気に包まれていた。
「……いや、本人が居ないところで勝手に決めないで下さいよ」
少しの沈黙の後に、御門が反論の声を上げた。それは走りたくないという思いからではなく、あくまでも練児の独断で勝手に物事が進んだことに対する憤りからだった。
「お? なんだ、おめだで話し合っで決めだ事でねなが。へば、おめは走らねが?」
「それは」
「やりましょう」
少し考える時間が欲しかった御門だったが、彼の言葉を遮って蒼木が参加の意思を示した。
「いや、蒼木……」
御門不安そうな視線を蒼木に向けるが、それを歯牙にかけずに蒼木は自分の考えを述べる。
「正直、オレも割と我慢してました。それに――」
――そんな楽しそうなこと、やらないわけ無いじゃないですか。
■■■
練児に加えて蒼木が走ることを決意し、その流れで御門も競走に参加することになった。何だかんだ言っても、結局は御門も走り足りないと感じている人間だったのだ。
その3人は部活を終え、今は校門前の坂を一緒に下っている。坂の終着点からは蒼木&練児ペアと御門は帰る方向が逆のため、3人が揃うのはそこまでの400m程度の距離だった。
「な? 何事も言ってみるもんだろー?」
結果的にではあるが思い通りに事を進展させた練児はどこか得意気だった。
「偶然だよね。完全に」
練児がどのような説得をしたのかは知らないが、奴の性格を考えると勢いに任せて失礼な事を言ったに違いない。上手くいったのはシン先生が穏やかな性格だったからだ。そう信じて疑わない御門は、ムスッとした表情を浮かべていた。
実際問題御門の予想は正しく、シン先生が厳格なコーチだったならば「俺たちのことナメてねーっすか?」からの「練習が楽すぎるんすよ」で完全に練児はアウトであった。「新入りの分際で、おれの考えだメニューにケチ付けるどは何事だ!」と言われること間違いなしである。
「まあまあ、結果的に無事に済んだし良かったじゃん。しかも初レースだぜ! すっげえ楽しみ」
今にも喧嘩を始めそうな2人を蒼木がなだめる。御門の言葉に逆上しかけた練児はしぶしぶ引き下がったが、練児の行動を正当化するかのような蒼木の発言が気に食わなかった御門はますます機嫌を悪くしてしまった。
「つーかよ蒼木、さっきからすげーワクワクしてっけど」
そんな蒼木の異様に高いテンションに疑問を感じた練児は、その理由を知るべく蒼木に問いかける。
「俺に勝てる気でいんのか?」
練児にとって、スポーツをやっていて一番楽しいと感じるのは、ひとえに勝利した時である。自分の成長を実感した時にも喜びを感じはするが、勝利の美酒に酔いしれる感覚には及ばない。
だから練児の頭の中では『蒼木が楽しそうにしている=自分に勝てる気でいる』という式が成り立っていた。
「さあな。でも、負ける予定は無いぜ」
高飛車な練児に対抗してか、蒼木も強気な物言いに出た。しかし練児はそれを鼻で笑い、軽くあしらう。
「ハッ、てめーが俺に勝てるわけねーだろ」
「まあ、そうかもな」
あくまでも自信満々な態度を崩さない練児。このまま張り合っても埒が明かないと思った蒼木は、自らが妥協することでこの不毛な言い合いを終わらせた。誰が勝つのかは、明日になればはっきりするのだから。
(大口叩いときながら恥かかないように気を付けろよ、練児)




