6 長距離ルーキーズ
金曜日。今日は陸上部が競技場で練習を行う日である。前回と同様に、マネージャーが見学者たちを引率して競技場へと向かう。誰が決めた訳でもないが、見学者たちは各々が志望するブロックごとに纏まって歩いている。
蒼木とカナのいざこざは、おとといの練児の発言が功を奏し昨日のうちに解決している。二人は練児と共に山道を歩きながら、以前のように仲良く話している。その様子を見た御門は、ホッと安堵の息を漏らした。
「みっちゃん、さっきから気になってたんだけど……あんなハゲの人、おととい居たっけえ?」
蒼木の方を見ながら、紗弥加は率直な疑問を御門に問いかけた。その隣で千尋は「ハゲって……」と言いながら笑いを押し殺している。
「ハゲは流石に失礼でしょ。確かにハゲに近い坊主頭だけど」
早紀といい紗弥加といい、初対面の人に対して失礼すぎるだろと思いつつ、御門は続ける。
「おとといはいなかったけど、三日前はいたよ。長距離やるって」
「ほへー」
独特の返事を漏らしながら、紗弥加はコクコクと数回頷いた。
「……みんな、もう決めてるんだね」
「千尋が優柔不断なんだよ」
「逆に紗弥加は思い切りが良すぎるよね」
千尋の呟きに対して紗弥加が応じ、その紗弥加の発言に対して御門が指摘した。
「む、みっちゃんだってもう決めてるくせにい」
「俺は春休み中に悩みに悩んで決めたからね。即決だった訳じゃないよ」
春休みの間、御門は今まで続けてきたバスケを高校でも続けるか否かで迷っていた。バスケは好きだったが、実力が伴わず高校でレギュラーを勝ち取るのは厳しいという自覚があったので、出場機会が多そうな陸上部に入部することを決めていた。
「私だって考えなしに決めた訳じゃないもん。部活の雰囲気が良さそうとか……部員の雰囲気が良さそうとか……」
「完全にその場のノリで決めてるじゃん」
対して紗弥加は、初回の見学の印象のみで決めている。彼女の即決&即行動の精神は吉と出るか凶と出るかは分からない。紗弥加本人はなんとかなるでしょ、と楽観的に考えているのだが。
「いいの! とにかく、千尋も一緒に入ろうよ」
「……保留。何だかんだで、まだ一回も本格的な練習をしているところを見てないから」
どさくさに紛れて千尋を引き込もうとした紗弥加だったが、千尋は慎重な態度を変えなかった。
■■■
(うーん、ていすてぃ)
御門たちの後方で、一人の見学者の少女は大きく深呼吸をした。
(くうきがおいしい。もりっていいね)
周りの見学者が部活に意識が向いている中で、唯一この少女だけがのんびりと歩きながら森林浴を楽しんでいた。
そんな彼女の様子を後ろから見ていた2年生マネージャーの梨沙子は、心を痛めていた。見学者の誰とも話せずに、深い溜め息をついているように見えたのである。梨沙子はたまらず少女の肩に手を置き、励ますように話しかける。
「元気だしなよっ! 溜め息すると幸せが逃げちゃうぞっ!」
「ためいき?」
何のことやらさっぱり分からない少女は、幼い子供のように首を傾げる。
「くうきがおいしいから、しんこきゅうしてただけだよ?」
「そうだったのっ? あは、勘違い勘違いっ。あと、私こう見えても先輩だから敬語使ってねっ」
「あらら、ごめんなさい。きをつける」
「さっそく気を付けてないよねっ?」
わざとなのか、恐ろしく天然なのか。少女が醸[かも]し出している雰囲気から、梨沙子はおそらく後者なのだろうと思った。
「うちの陸上部は上下関係厳しくないけど、最低限の礼儀くらいは守らなきゃだめだよっ」
「わかった――じゃなくてわかりました」
言ってるそばからこの有り様である。
(……この子、大丈夫かなっ?)
陸上部に入部するか否かよりも、少女の今後が梨沙子は心配だった。梨沙子は思わず息を大きく吐く。
「ためいきするとしわあせがにげちゃうよ?」
「君のせいだよっ」
もう友達口調を指摘する気力も萎えた梨沙子であった。
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「だからね、ちょうきょりってゆっくりはしってもおっけーじゃん? だからわたしはちょうきょりやるの」
山道にて梨沙子に話しかけられた少女が、蒼木と話している。
「ゆっくりでオッケーって……そりゃまあ、短距離と比べたらスピードは遅いだろうけど。でも、維持するのがキツいペースで走り続けるんだぞ? キツいぞ?」
蒼木はトラックを走る長距離部員の方々を眺めながら、少女に返答した。
「きつくならないくらいのはやさではしればだいじょうぶ」
「いや、それじゃあ勝てないだろ。勝てなくていいの?」
「う〜ん、かてるならかちたいけど。でも、ゆったりとれーすをたのしむのもいいしな〜。つらいのやだし」
「そっか……」
蒼木はなんとも言えない気持ちになり、半ば呆れたように相槌を打つ。
(こいつ……変!)
まとまって見学していた長距離の見学者は、その少女に対して一様に同じ感想を抱いた。
数10分前のこと。競技場に着くやいなや、梨沙子は偶然近くにいた蒼木に少女の話し相手を任せた、というよりは押しつけた。「この子は阿部 真弓[あべ まゆみ]ちゃんっ! 長距離やりたいみたいだから面倒みてあげてっ!」と蒼木に詰め寄る。梨沙子は真弓の天然すぎる言動についていけず、相手をするのに疲れていたため、一刻も早く彼女の元を離れたかったのだ。
蒼木からしてみれば訳が分からない。見学者の面倒を見学者に任せる、意味不明である。だが梨沙子に何か言おうとしたときには、既に彼女は背を向けて走り出していた。
釈然としない蒼木だったが、真弓にそっけない態度を取る理由もないため、互いに自己紹介をして会話を始めたのだが……
今。梨沙子が逃げ去るように去っていった理由を蒼木は理解していた。
(なんだろう……真弓[こいつ]と話すの、すげえ疲れる……)
まるで幼児を相手にしているかのような錯覚に陥る蒼木。むしろ、真弓=幼児だと割り切って接した方が良いような気になってくる蒼木だった。
そして、二人の後ろにいる見学者――練児、カナ、御門、紗弥加、千尋の5人も察する。こいつは面倒だと。
「おぼうさん〜」
そんな周りの人間の評価も知らずに真弓は子供のように笑いながら、蒼木の頭をぺちぺちと叩いた。
「叩くな」
あやすような口調で彼は話す。それを受けて、真弓は蒼木の頭をなではじめた。叩かなければいいと思ったらしい。
「なでるな。というか人の頭で遊ぶな」
「へんなさわりごこち。じょりじょりしてる」
思わず二度目の溜め息が出そうになる蒼木だったが、数分前に彼女から『溜め息をすると幸せが逃げる』といった要旨のことを言われており、再度指摘されるのも嫌なので我慢した。
「感想言わなくていいから。それよりも見学しような?」
「あきた」
一瞬、蒼木の脳裏に「秋田県だけに?」というどうしようもなく下らないジョークが浮かんだが、数日前の失敗を思い出し、すんでのところで押し留めた。
「みてるだけじゃつまんない!」
「駄々をこねるな。後で飴あげるから大人しくしてなさい」
「ほんとに? あめちゃんくれるの?」
飴という言葉に反応して、真弓は目を輝かせた。適当に返した言葉に意外な食いつきを見せられ、蒼木は思わずたじろぐ。
「ああ。だからいい子にしてようね?」
「わかった!」
言い終えると同時に、真弓は先程までは目もくれなかったトラックへと視線を向ける。むむ、と唸りながら長距離部員を凝視するその様子は、まるで念力でも送っているかのようだ。
(蒼木の奴、ついに手なずけやがった!)
蒼木が苦戦する様子を後ろから楽しんで見ていた練児は、素直に感心していた。同時に、その場にいた真弓以外の人間は、彼女の攻略法を発見する。
(真弓に言うこと聞かせたいときは、お菓子で釣る!)
■■■
「……あの、一つ聞いていい?」
長距離部員が本日の練習メニューである1000m×5を終え、クールダウンのジョグを各自で始めた頃。千尋が周りの長距離見学者に話しかける。
「……みんなは、あの格好どう思う……?」
千尋が言いたいのは、競技時の服装の事だ。基本的に、上半身のランニングシャツは肩から先、下半身のランニングパンツは足の付け根から先が大きく露出することになる。この、いわゆる『ランパン&ランシャツ』の姿は、人によっては羞恥[しゅうち]の対象になりうる。
千尋も、その姿に抵抗を感じる女の子だった。陸上に興味がある彼女だが、その事が入部をためらわせていた。
が、彼女は相談する相手を間違えた。
「どうって……別になんとも」
「スースーするよな」
「上はバスケのユニフォームと似てるよね」
まず蒼木・練児・カナは、中学の陸上大会にて例の格好をしたことがあるため、特に恥じらいを感じていない。
「standardな格好だね」
「本気で陸上やってます! って感じだよねえ」
御門・紗弥加の二人はなかなか図太い神経の持ち主であり、そういうものだと割り切っている。
「びきゃくあぴーる」
もはや真弓は論外である。何も綺麗な脚を自慢したいがために、肌の露出が多い格好をしているわけではない。
「……ええと、は、恥ずかしいとか、思わない?」
誰一人として予想していた返答をしなかったことに困惑しつつ、千尋はすがるように再度質問する。
「最初は少し恥ずかしかったけど。慣れればどうってことない!」
その質問の答えは、一同の背後からから返ってきた。声の主の正体を確かめるべく、見学者たちは後ろを振り返る。
「おっす、俺は増田[ますだ]。二年生で長距離やってる。悩める新入生諸君、君たち長距離に興味あるっしょ?」
話に入り込んできた男子は自己紹介の後に、見学者へと問い掛けた。
「そうですけど、どうして僕たちが長距離志望だと分かったんですか?」
入部したら蒼木たちの先輩になる増田に、御門が言葉を返した。増田はバカにするなとでも言いたげにふんっと鼻で笑い、御門を横目で見つつ答えた。
「いや、まずお前はどう見ても長距離っしょ。体型的に。それに――」
増田の目が蒼木を捉える。目が合った蒼木が「オレ?」とでも言いたげな視線を返すと、増田は彼の方へと歩いて行き――
「――この頭! どう見ても長距離っしょ!」
――蒼木の坊主頭をわしづかみにしながら、高らかに断言した。異論は受け付けない、そういった雰囲気で。
「っ、よく意味が分かんないんですけど」
「陸部に入ればそのうち分かる! 入んなきゃ分かんないぞ」
増田は蒼木の言葉をさらりと流し、さりげなく勧誘と取れなくもない言葉を放った。いまだに蒼木の頭はキャッチされたままである。
「そんな変な誘い方しなくても、カナたち7人は入るって決めてますよ?」
カナは先の発言の意図を汲み取り、それに答える。ちゃっかり千尋も数に入れて。
「……えっ、私はまだ――」
「入るよね?」
反論しようとした千尋の言葉は、小悪魔のような笑みを浮かべたカナによって遮られた。その声色は、確認というよりは軽い脅しのようだった。
「そうだよ千尋! 一瞬に長距離やろうよ」
ここぞとばかりに紗弥加も畳み掛けた。
「千尋だけじゃなく、みんな同じような格好するんだから大丈夫だよ。ですよね、増田さん?」
諭すように話した御門が、増田に同意を求めた。
「まあな。今では恥ずかしいどころか、夏なんかはむしろずっとランパンランシャツで過ごしたいって思う位だし」
増田は昨夏を振り返りつつ話した。彼の右手はいまだに蒼木の頭をホールドしたままである。
「じゃあ問題ないね。改めてヨロシク、千尋!」
カナは千尋に右手を差し出す。カナは、千尋が入部することを微塵も疑っていなかった。
(……はあ。本っ当、こういう子って苦手。剛情で強引で。でも……どうして、悪い気がしないんだろ)
心のどこかでカナには敵わなそうだと思いつつ、千尋は差し出された手を掴んだ。
「……よろしく」
少しぎこちなく微笑んだ千尋を見て、カナは満足そうに大きく頷いた。
「まっすだ〜! ミーティングやるぞ〜!」
「ん、ブロック長がお呼びだ。ではまた」
部員の呼び掛けに応じ、増田は声がした方へと走り去っていった。ここでようやく、蒼木の頭は拘束から解放された。
「けっきょく、なにしにきたんだろ?」
「俺たちの勧誘が目的だったんだろーな」
「ま、既にカナたち全員入るつもりだったから意味無かったけどね」
「…………そうだね」
「あれ、千尋のタメがいつもより長い」
「とにかく結果オーライだよ!」
(何でオレの頭から長距離志望だって分かったんだよ……あと、何でずっと掴んでたの?)
6人が互いに言葉を交わす中、蒼木は一人モヤモヤしていた。彼は変に細かいことを気にする部分があった。
練児がふと競技場に目を向けると、長距離以外のブロックの練習もあらかた終了するところだった。その光景と、徐々にオレンジ色に染まっていく太陽の光が、彼に1日の終わりを感じさせた。
(あーやっと終わったかー。真弓じゃねーけど、確かに見学って暇なんだよな。立ってるだけってゆーのも地味に疲れるし)
そんな練児の心の声が聞こえたのか、一人の老人が蒼木たちの方へ向かってゆっくりと歩いてきた。
「Well,シン先生、こっちに来てるよね?」
「へえ、シン先生っていうんだ。説教かなあ?」
「……なんで他人事みたいなの? こっちに来てるんだよ?」
「練児……お前、何やらかした?」
「何もしてねーよ! てか何で真っ先に俺を疑うんだよ。そもそも説教って決まった訳じゃねーだろ」
見学者たちはシン先生が到着するまでの間、緊張感ゼロの会話を繰り広げていた。そしてシン先生が彼らの目の前にたどり着く。その立ち姿はどっしりとした印象を蒼木たちに与えた。一人ひとりを眺めたあとで、シン先生は口を開く。
「おめだ、ただ見ででも暇だべ? 次がらちゃんとした格好しで来れば、その辺で走ってでもいど。流石にあえだと一緒に走るのは無理だどもな」
要約:運動できる格好で来れば、その辺で走ってもいいよ。退屈な思いをしていた練児や真弓からしてみれば、願ってもないことである。
「まじっすか!」
「やったね」
練児と真弓は「いぇい!」とハイタッチをする。少し遠くで、二年生マネージャーの彩月が自身の口癖であるその言葉にぴくりと反応したが、今は関係の無いことである。
ちなみに練児は走ることがそれほど好きな訳では無かったのだが、黙って見学する位なら走っていた方が数倍マシだと思っているので、今の状況下でのシン先生の提案は素直に嬉しく感じた。
「動ける服なら何でもいいんですか?」
「ん。ま、正式に入部しでね内から無理さす訳にもいがねがら、走る時間はおれだが指示すっけどもな」
カナの質問を肯定した後で、シン先生は「無理させる訳にもいかないから、ジョギングの時間はこっちで指示する」といった旨のことを見学者たちに告げた。監督する立場の人間として、何かあったら困るのだろう。
「全然オッケーっすよ。走れるだけでありがてーっす」
「おお、そが。へば、まだ月曜日に会いましょう」
シン先生は練児が快諾したのを聞き、別れの言葉を訛り全開で話した後でゆっくりと去っていく。
(さて、今年の長距離はどうだべな)
シン先生はキャップを深く被り直し、歩きながら今年度の陸上部について思考を巡らす。
鳳嶺高校陸上部の指導陣は、顧問の先生と二人のコーチからなっており、それぞれが短距離・長距離・投擲のブロックを指導している。シン先生は短距離のコーチ――『先生』と呼ばれているせいで紛らわしいが、彼はコーチの立場にあたる――を務めており、優秀な指導者として実績を残している。その最たる例が、和成がインターハイ出場を果たしたことだ。彼は二年生であるので、まだまだ伸び代がある。
そして、今年のスポーツ推薦ではすみれが入学してきた。指導経験の長い彼の目から見ても、彼女の才能には目を見張るものがあった。彼女は間違いなく良い結果を残す。それに加え、キャプテンの慶太郎[けいたろう]も東北大会レベルの実力を持っている。和成とすみれ、慶太郎の活躍は、短距離ブロックの勢いを強めていくだろう。
顧問の先生が担当する投擲ブロックに関しては、三年生の風華が好成績を残している。彼女は去年の新人戦にて、やり投げで東北大会出場を果たしており、彼女にとって最後となる今年の総体でも東北大会出場が期待される。
だが、長距離ブロックにはあまり活気がない。部員たちにやる気は見られるのだが、結果を残せていないのが実情だ。どうにか全県大会の出場枠を勝ち取っている、そういった具合である。決して口には出さないが、東北大会出場を望めそうな長距離部員は誰一人として居ない。
(まんず、一人も県の決勝にも残れね時点でお話にならねんだども)
全県大会予選落ち。近年の長距離ブロックの不振続きで、いつの間にかそれが当たり前になってしまっている。長距離ブロック担当のコーチの指導自体は悪くはないが、彼が部員に与える練習メニューが易しいために一定以上の成果は望めない。
どことなく諦めムードが漂い、停滞気味の長距離ブロック。シン先生は現状を改善するきっかけの一つとして、実力の高い新入生の加入があると考える。
一年に負けるわけにはいかないと、上級生はより練習に精を出すだろうし、ブロック全体の実力が上がればコーチが指示する練習の質も上がるだろう。期待のルーキーが周りに良い影響を与えれば、長距離ブロックも活気づくだろう。
先程の7人にそんな者がいるかどうかは、いくら指導経験が長く全種目を教えることができるシン先生でも分からない。エスパーでもない限り、見ただけで実力を判断することができるはずもない。
しかし、彼には一人の少年の姿が印象に残っていた。
(あの坊主頭……見かけ倒しでねばいんだどもな)
シン先生は口元に笑みを浮かべながら、相変わらずのゆっくりとした速度で歩みを進めた。




