2 競技場へと続く道
翌日の放課後。蒼木が、同じクラスで見学希望者の佐々木 叶[ささき かなえ]――通称カナを連れて体育館玄関に到着すると、既にマネージャーの4人と、見学希望者だと思われる数人の生徒が集まっていた。
「おそいよっ」
元気が取り柄の二年生マネージャーが、蒼木を注意する。明確な集合時間の指定はしていなかったが、なるべく早く来いとは言ってあった。その割には遅いぞ、といった意味だった。
「す、すいません。ゴリラの世話にてこずってしまって」
「ゴリラ?」
既にその場に到着していた練児が、蒼木の発言の意味を問う。
「みたいな奴がいてな。そいつにちょっかい出されて時間取られた」
「それはさておき、うしろの子も見学希望なのかな?」
「は、はい。まだ入るかどうかは決めてないんですけど……」
話題を切り替えてカナに話かけた、落ち着きのある二年生マネージャーに対し、カナは少し申し訳なさそうに答えた。
「いいよいいよ! 入部届けの締め切りまではまだまだ時間あるし、じっくり考えてね」
「締め切りどころか、まだ受付すら始まってないけどね。いぇい」
カナのしおらしい態度を見た実穂が彼女に優しく語りかけ、「いぇい」が口癖の二年生マネージャーが付け足した。
「それじゃ、みんな揃ったことだし競技場に行くよ! 迷わないようにしっかり付いてきてね!」
実穂の号令で、一行は競技場へと向かった。
■■■
秋田県立鳳嶺高等学校。最寄り駅から徒歩15分、市街地の外れの高台に位置している。校門へと続く、長く急な上り坂の両脇には桜の木が植えられており、もう1ヶ月ほどすれば綺麗な花を咲かせるだろう。設備もそれなりにしっかりしていて、野球場、第1&第2グラウンド、テニスコート4面、プールがあり、その周りを森が囲んでいる。
今、蒼木たちはそんな森の中を歩いている。砂利が敷き詰められた、獣道よりは少しマシ程度の山道は、起伏も激しいために舗装された道路のようにスイスイと歩くことは出来ない。おまけに分かれ道も幾つかあったため、付近の地理に詳しくない人間が歩けば遭難は必至だ。マネージャーの4人は慣れているためか、涼しい顔をして軽快に進んでいるが。
「……てゆーか、こんな森の奥に競技場なんてあるんすか?」
見学者全員が感じたことを代弁するかのように、練児が前を歩くマネージャーの方々に質問する。
「あるよ。でも最初は疑問に思っちゃうよね」
ふふっと微笑みながら、おしとやかな二年生マネージャーは練児及び他の見学者へと語りかけた。
「私が1年生の時は、間違えて山岳部の見学に来ちゃったのかと思ったよっ。ちゃんと陸上競技場に着くから安心してねっ」
元気な二年生マネージャーも振り返り、後ろ向きで歩きながら答えた。起伏が激しく凸凹した道での後ろ歩き、熟練者の成せる業[わざ]である。
「うえぇい!」
流れ的にもう一人の二年生マネージャーも何か言うのだろうと皆が思っていた時、いきなり大きな声が響いた。例の二年生マネージャーが放った声ではない。彼女の口癖は「いぇい」であって「うえぇい」ではない。何より、明らかに男子の声だった。
全員が立ち止まり、声のした方を向くと、一人の男子見学者が少し恥ずかしそうに目を泳がせていた。
「あ、お騒がせしてすいません。石につまずいて転びそうになって、つい変な声を出してしまいました」
「変って自覚してんなら直せよな、ホント」
誠実に謝った男子に、可愛らしい顔つきをした見学者の女子が、その見た目とは裏腹に辛辣な言葉を浴びせた。
「ビックリするとつい反射的に出ちゃうんだから仕方ないじゃん」
「だとしてもな、初対面の人は驚くだろ。おれはいい加減慣れたから大丈夫だけど、出来るだけ気をつけろよ。ったく」
声を上げた男子の弁明に対し、男のような口調の女子が言い返す。この二人は乃本[のもと]中の出身でお互いに顔見知りであったため、お互いのことは良く知っていた。
結局何事もなかったかのように、一行は再び競技場へと歩みを進めた。
「ケガしてないか?」
蒼木は例の男子に声を掛けた。蒼木は基本的に誰とでも物怖じせずに話せるタイプの人間であり、この一件は話しかけるチャンスだと蒼木は判断した。
「うん、大丈夫だよ。Thanks」
蒼木は英語の発音がやけに良いことについて突っ込みたかったが、まずは自己紹介が先だろうと思い衝動を押さえ込んだ。
「なら良かった。オレは蒼木だ。よろしく」
「俺は御門[みかど]。Nice to meet you.こっちは同じ中学出身の早紀[さき]。中身が男だから気を付けてな」
「何だよその紹介。もっとマシな言い方あるだろ。……ま、ヨロシク」
中身が男だと言われた件については否定しないのか、と思いつつも、蒼木は早紀に「よろしく」と返した。
「ところでおふたりさんは、もう陸上部に入るって決めた?」
「Of course」
「そりゃな」
蒼木の質問に対して、御門と早紀はさも当たり前のことのように即答した。カナのようにまだ決めていないかもしれない思っていた蒼木は、二人の発言が少し意外だった。
「おお、やる気あるね」
「君たちはどうなの? あの子はさっき、まだ迷ってるって言ってたね」
「オレと練児――あ、アイツね。ちなみに同じ中学。オレたちは入るって決めたよ。どっちも長距離やるつもり」
蒼木は前を歩いている練児の紹介を交えつつ、御門の質問に答えた。その練児はカナやマネージャーと共に談笑していた。
「はあ!? 長距離!? え、お前らも御門と同じく変態なのか?」
「早紀、いきなり変態扱いは失礼だろ。俺はともかく」
御門は中学時代から早紀から変態のレッテルを貼られていたので慣れているが、会って数分の蒼木や練児に対してそれは失礼だろうと彼女に注意した。
「いやどう考えても変態だろ! 好き好んであんなキツい競技やる奴なんて頭おかしいよ、ホント」
「……変態かどうかはともかく、物好きな連中なのは認めるよ」
早紀の勢いに押され、御門はとりあえず妥協案で折り合いをつける。
「ってことは御門も長距離?」
「Yes.改めてよろしく」
「ああ。で、早紀は何をやるつもり?」
「おれは投擲だな。出来るだけ走りたくねえ」
断じてデブではないが少し肉付きの良い体型や男勝りで強気な言動から、早紀が力強く何かを投げる姿を想像するのは容易だった。
「あ、向いてそうだな。なんか強そうだし」
「へへっ」
普通、女子は強そうだと言われてもあまり嬉しくないはずなのだが、早紀は純粋に照れたように頬を緩めた。どうやら御門の「早紀の中身は男だから」という発言は本当のようだ、と蒼木は実感した。
■■■
歩き続けること約10分、「いぇい」なマネージャーからそろそろ競技場に到着することが告げられた。5人の見学者は蒼木を介して、互いに簡単な自己紹介を済ませた。中学時代の部活は、カナと御門がバスケ、早紀がソフトボールだった。
蒼木と練児を含め、見学者の間に陸上部だった人がいないことには理由がある。蒼木たちの地区とその周辺の中学校には、そもそも陸上部自体が存在しないのだ。しかし、陸上大会や駅伝大会が無いわけではない。
そこで学校側は、それぞれの大会が近づくと、体力テストの結果等を参考にして生徒を集め、急造のチームを作り上げる。大会前の1ヶ月弱の期間のみ練習をし、大会が終わったらそこで解散。そういった制度がこの辺りの地区にはあった。そのため、陸上競技の経験者はいても、3年間正式な陸上部で活動していたという生徒はいないのだ。
「ん、見えてきた……かな?」
「カナだけに?」
「蒼木つまんねー」
「そういうクソ下らないジョーク、おれは嫌いじゃないぜ」
「ともあれ本当にあったね、こんな森の中に」
到着の兆候を感じ、それぞれが思い思いの言葉を述べる。5人中3人の発言が競技場とは無関係であったが。
「って、ここ前に来たことねーか?」
木々の隙間に見えてきた競技場に既視感を覚えた練児が蒼木に尋ねる。
「いや、こんな森の奥に来たことなんて無いはずだけど……なんかあの競技場には見覚えg」
「あ! カナ知ってる! ここ、中学の時に陸上大会で来たことある」
蒼木の発言を遮り、カナが少し興奮ぎみに声を上げた。
「ん? おかしくねーか? カナって確か北中[きたちゅう]出身なんだろ? 俺は波座中だから、同じ地区のはずだよな。そうすっと、俺と蒼木も中学ん時に陸上大会に出たから、俺らもここに来たことあるっつーことになるけど。さっき蒼木が言ってたよーに、あの山道なんて通った覚えねーぜ?」
「それはアレだよ。ほらっ、競技場の向こう側!」
カナに言われてその方向を見てみると、そこには普通に舗装された道路が見えた。近くに広めの駐車場もある。さらに向こうの景色へと目を向けると、住宅地やら商店街やらが広がっており、緑に囲まれているという印象は受けない。
「中学の時はあっちから車で来たから、森の中っていうイメージが無かったんだよ」
「なるほど、だからか。まあ、森の中っていうよりは、高校と競技場の間に森が挟まっているって感じだな」
「じゃあやっぱり来たことあんのか。あんまり懐かしくはねーけど」
蒼木と練児は既視感の原因が分かり、少しスッキリした。
「ところで、カナは中学の大会では何の種目に出たの?」
中学の陸上大会には出ていなかったため、3人の会話を大人しく聞く他なかった御門がカナに問いかける。
「3000mだよ。だから、入るなら長距離やろうとかな〜って」
「カナも長距離か!」
「オレもだぜ!」
「俺もー」
「はあ……おれ以外はみんな変態か……」
早紀の呟きと溜め息は、男子3人の声に掻き消されたため、誰の耳にも届かなかった。
「なになに、カナちゃん大会に出たことあるってっ?」
5人の話を聞いていたハッスルなマネージャーがカナに問いかけた。
「一応、ですけど。3000mに出ました」
「じゃあ入っちゃいなよっ! 女子長距離は人数がピンチだから、入ってくれたら嬉しいなっ!」
「そうだぞカナ。それにオレもいるぜ?」
「お前は別にどーでもいーと思うが」
蒼木の発言は練児によって粉砕された。そんなことはお構い無しに元気なマネージャーは続ける。
「それに、中学の時は中途半端にしか練習できなかったでしょっ? だから、本当は速かったり強かったりするんだけど、それを発揮できてない子ってたくさんいると思うんだっ。それってもったいないよねっ」
確かに、彼女の言うことはもっともだった。1ヶ月そこらの練習で、良い結果を出せるわけがない。そのことは運動部に所属していた5人の見学者全員には容易に理解できた。
「あ、もしかして『高校から始めるのは遅い』って思っちゃってるなら、それは大丈夫だよっ。始めはみんな初心者だけど、真面目にやればきっと上達するよっ。和成[かずなり]なんかは、中学まで野球部だったけど、去年インターハイに出たしっ」
「和成さん! Yeah!」
「さすが」
マネージャーが口にした和成という名前に、御門と早紀が反応した。その名前に心当たりが全く無い蒼木は、御門に尋ねる。
「? 知り合い?」
「中2の時、生徒会でお世話になった人だよ!」
「おれの中学じゃ有名人だったぜ、あの人」
御門の興奮ぶりから察して、彼は和成という人物を相当慕っているということが見て取れた。
「そゆことでっ! カナちゃん、入部しちゃいなよっ!」
「……う〜ん、やっぱり見てから決めます」
「むぅ、意外と強情だねっ。ま、今ここで決める必要もないけどっ」
元気が一番なマネージャーがそう言い終えるのとほぼ同じタイミングで、一行は競技場の正面玄関前に到着した。




