1 始まりの季節
春、始まりの季節。特に今の時期――4月の上旬は、学校には新入生、会社には新入社員が入学ないし入社をして、新たなる生活の始まりに様々な感情を抱いているだろう。
今日、鳳嶺[ほうれい]高校に入学した一人の少年――蒼木 正文[あおき まさふみ]も、例に漏れず気分が高ぶっていた。朝の段階では多少は不安もあったのだが、先ほど教室にて高校での友達第一号が出来た事によって少し上機嫌になっていた。
今は放課後であり、教室にはほとんど生徒が残っていない。先程まで話していた友達も先に帰ってしまい、特にすることもないので蒼木も帰ることにした。
中学の頃から使用している、四角い形をした特徴的なリュックを背負い、蒼木は昇降口へと向かう。廊下にもあまり生徒はおらず、どことなく物静かな雰囲気が漂っていた。
靴棚にて靴を履き替え、昇降口の扉を押し開けて外に出る。まだ寒さの残る春風が頬を撫で、蒼木は軽く身震いをする。
蒼木が自転車小屋へと足を進めようとした時、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おっ、蒼木じゃん。相変わらずボーズだな。左手も相変わらずか?」
声のがした方を振り返ると、幼稚園時代からの友人――白崎 練児[しろさき れんじ]がつま先をトントンと地面に叩きながら立っていた。靴が上手く履けず苦戦しているようだ。
「おっす練児。これは今更どうにもならねえよ」
蒼木は手袋をはめた左手に目線を落とし、苦笑いしつつ練児の問いかけに答えた。この片手だけに装着している黒い手袋を、蒼木はいついかなるときも着け続けている。
「練児も今から帰るところか?」
「おう」
「じゃあ途中まで一緒に行くか」
少しして練児が靴を履き終えた後、2人は歩き始める。練児も自転車通学なので、目的地は一緒だ。
「どうだった? 練児のクラスは。B組だっけ?」
「いや、A組。どうって言われても、初日じゃなんとも言えねーよ。話し相手は出来たけどな」
「そっか」
「…………」
「…………」
「さみーな」
「ああ」
歩き始めてからさほどもしないうちに、会話が途切れ始める。別にこの二人は仲が悪いわけではないのだが、とりわけ仲が良いわけでもない。中学時代の部活動は蒼木は野球、練児はサッカーと別々であったために接する機会も多くはなく、会ったら話すといった程度の関係だった。
「ん? あの人何してんだ?」
少しの間無言のまま歩みを進めた蒼木たちの前方――体育館玄関前付近に、白と青のブレーカーを着た女子が立っていた。歩いてるわけでも体操をしている訳でもなく、キョロキョロと辺りを見回している。
「何か探してるみてーだな」
探している、とは言っても落とし物を探すように地面を見ているわけではなく、人を探しているような目線の高さだった。
「……もしかして部活の勧誘?」
「そーかもな」
「何の部活だ? あのブレーカーって」
蒼木の三つ年上の兄が鳳嶺高校の硬式野球部だったため、試合の応援のために何度か鳳嶺高校に来たことがある蒼木だったが、目の前の部員が着ているブレーカーには見覚えが無かった。
「さー?」
練児は入学式説明会を除くと鳳嶺高校には来たことがなかったので、知らなくて当たり前である。
二人は話しながらそのまま前に進み続けたが、例の女子部員は視界に二人を捉えると、待ってましたとばかりに二人の方へ向かって走り始めた。
「あ、やっぱり勧誘か」
「やべーぜ蒼木!」
「ん、どうした?」
「あの子かわいー!」
「なんだよ、そんなことか。てっきり隕石でも落ちてきたのかと」
「そんなことって何だよ! かわいー子がこっちに駆け寄って来てんだぞ! チャンスだろ!」
「何のチャンスだよ。というか、多分あれってただの勧誘だし」
「夢のねーことゆーなよ!」
「そこの君たち!」
いつの間にか――というか、蒼木と練児が話している間に二人の目の前まで近くに来ていた女子部員が、二人に問いかける。
「陸上部、入らない?」
彼女が放った言葉が空気を伝って二人の耳に届き、脳がその意味を理解した刹那、二人は即答した。
「「入ります!」」
ハモった。さっきとは違う意味での沈黙が流れる。蒼木と練児はゆっくりと首を回し、互いの顔を見合わせる。
「うそっ、お前、陸上部入るの? サッカー部じゃねえの? 超意外なんだけど」
「こっちの台詞だ! そのボーズ頭は誰がどう見ても野球部だろーが!」
「そうだよ! そんな頭してると誰だって野球部だと思うよ。少なくとも陸上部には見えない」
「なんかボーズですいません!」
蒼木は練児だけでなく、勧誘してきた女子部員――これからお世話になる先輩からも坊主頭について突っ込まれてしまった。蒼木は野球とは関係なく、頭を洗うのも乾かすのも楽だからという理由で坊主頭にしていたのだが、それが元で本日二度目の思い違いをさせていた。もちろん本人に悪気は無い。
「いや〜、とりあえず言ってみるもんだね。まさかボーズ君が入ってくれるとは思わなかったよ。とりあえずようこそ陸部[りくぶ]へ!」
じゃ、ちょっと着いてきてとその先輩は二人に告げ、体育館玄関の方へ歩いていく。もちろん、蒼木と練児も彼女の後をついていった。
■■■
「部員ゲットしたよ! 二人も!」
蒼木と練児を引き連れた先輩は、体育館玄関の扉を勢いよく開けると同時に、中にいた三人の女子部員に報告した。
「本当ですか?」
「おおっ、この子たちがっ?」
「いぇい! って右の子、硬野[こうや]じゃないの?」
折り鶴を折っていた3人は、作業を中断して思い思いの反応を見せる。本日何度目か分からない坊主突っ込みを受けた蒼木は苦笑いを浮かべ、練児は微笑みながら、心の中で女子部員たちの容姿のレベルの高さに歓喜していた。
「なんかもう入る気まんまんって感じの二人でさ。こっちの子が――って、まだ名前聞いてなかったね」
蒼木にとっては練児の入部宣言が、練児と先輩にとっては蒼木の入部宣言が衝撃的だったために、互いの自己紹介をすっかり忘れていた。
「蒼木 正文です。中学までは察しの通り野球部でした。ちなみにこいつとは同じ中学出身です。よろしくお願いします」
「白崎 練児っす。サッカーやってました。よろしくっす!」
二人の簡単な自己紹介の後で、彼らを勧誘した先輩が口を開いた。
「私は森永 実穂[もりなが みほ]。私たち四人で陸部のマネージャーやってます。私だけ三年生であとの三人は二年生だよ。今日はクラスメイトの名前やら何やらで頭がパンクしそうだろうから、この3人の名前はおいおい覚えていけばいいよ」
「はしょられたっ」
「ふふっ、顔だけでも覚えてね」
「よろぴく。いぇい」
実穂の発言を受けて、二年生のマネージャーたちは思い思いの反応を見せた。フレンドリーで快活とした彼女たちの雰囲気からは、普段の仲の良さが垣間見えた。元気、おしとやか、不思議ちゃん。そんな印象を与える3人だった。
「で、二人は何の種目やりたい?」
「800mっす!」
「長距離種目、ですかね」
実穂の問いかけに対し、練児はハッキリと、蒼木は少し噛み締めるように答えた。
「おお、二人とも長距離なんだ」
「800mって中距離なんじゃねーんすか?」
「厳密に言えばそうなんだけど、うちの陸上部では800mより長い種目は『長距離』にひとまとめにして練習してるんだ」
練児は実穂の説明に「なーる」とつぶやき、蒼木は先程から気になっていたことを質問する。
「あの、見た感じ今って練習時間ですよね? 他の部員の方々はどこにいるんですか?」
マネージャーはいるのに、他の部員は一人として見かけない。これいかに? というのが蒼木が感じた疑問だった。
「短距離はウエイト場で筋トレやってて、投擲はグランドで投げてる。そして長距離は各自で街中をジョグしてるよ」
「そんで私たちはヒマだから千羽鶴折ってるの。いぇい」
「その言い方だと私たちが気まぐれでやってるように思われない?」
「ヒマなのは本当だけど、折り鶴自体は大会で勝てるように祈りを込めて、しっかりきっちりもっちり折ってるよっ」
「そ、そうですか」
もっちり折るってどうやるんだろう、と疑問に思った蒼木だが、会ったばかりの人にツッコミを入れるのはためらわれたので、相槌を打つだけに留めておいた。
「で、そういうわけでさ。長距離の見学とかしたいだろうけど、今日はちょっと、って感じなんだ。でも明日は全ブロックが競技場に移動して練習するから、明日改めて見学においでよ。ついでに長距離以外の種目も見れるし」
「明日の放課後すぐにここに来てくれたら、私たちが競技場まで案内しちゃうよ! あ、歩いて行ける距離にあるから大丈夫」
「それじゃ、明日また来てくれるかなっ?」
この某番組の決まり文句に対する蒼木と練児の答えはただ一つしかない。
「「いいともー!」」
「二人ともノリがいいね。ふふっ」
「と、私の後輩たちはなかなか個性が強いけど、悪い子は一人もいないから。仲良くしてあげてね」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
「お願いしまーす」
■■■
「いやー、陸部最高!」
「まだ入部すらしてないのに何言ってんだよ」
体育館玄関を後にした蒼木と練児は、特にやることもないので帰ることにした。二人は現在、自転車に乗って国道沿いの歩道を横並びに進んでいる。自転車の並列運転は道路交通法で禁止されているのだが、この道は人が通ることは滅多に無く、仮に人が来た場合には縦一列に並び直すので、少なくとも他人に迷惑はかけていない。
「だってお前も実感しただろ、あのマネージャーたちのレベルの高さを! もう陸部以外の選択肢なんか俺には無い!」
「じゃあもしマネージャーさんたちが残念な感じだったらサッカー部に入ってたのか?」
「それはねーけど。でも美人マネージャーって立派な判断基準になるんじゃねーかと思うぜ?」
「まあ、そりゃそうだけど……」
サッカーにはもう何の未練も無いような言い方をする練児が、蒼木には不思議に思えた。練児は中学時代、勉強は乗り気ではなかったものの、サッカーには熱心に取り組んでいたように蒼木の目に映っていたからだ。
二人の母校、波座[はざ]中学校のサッカー部は、二人が三年生の時に全国大会出場を果たしている。練児はレギュラーとしてチームに貢献していた。そんな練児が、高校になってどうして陸上をやろうと思ったのか。
「どーした、腑に落ちねーよーな顔して」
そんな蒼木の気持ちは表情に表れてしまい、練児にその理由を問われる。こればかりは考えても答えは出ないため、蒼木は素直に聞くことにした。
「いや、なんで練児がサッカーじゃなくて陸上をやろうと思ったのかが不思議でさ」
「そりゃお互い様だろ。……別にサッカーが嫌になった訳じゃねーけど、鳳嶺のサッカー部ってあんまり強くねーじゃん? そこまで練習熱心でもないらしーし、だったら体力が活かせそーな陸上やってみよーかなって思って」
「誰情報だよ、それ」
「ヒロせんせー」
ヒロ先生と言うのは、二人が中学生だった時のサッカー部の顧問の先生のことだ。授業は体育を担当していたため、練児だけでなく蒼木もお世話になった恩師である。波座中サッカー部が全国大会に出場できたのは、この人の指導力の賜物であるといっても過言ではない。
「ああ、あの人が言うなら本当なんだろうな」
「そーゆーお前はどーなんだ? 根っからの野球少年が、なんでまた陸上なんか。お前は元々、長距離走は速いから向いてるとは思うけどな」
今度は練児が蒼木に、陸上部を選んだ理由を問う。蒼木は少しの間を置いたのち、遠くを見つめながら答えた。
「……親との契約、だからな」
「なんだそれ。意味深すぎて分かんねーよ」
「ま、そのうち話すよ。正直なところ、長距離なんてあんまりやりたくないけど、他にやれそうな種目は無いし。かといって嫌々やっても仕方ないから、やるからには全力でやるよ」
今度は練児が腑に落ちない顔をする番だった。
「よく分かんねーけど。とりあえずお互い頑張ろーぜ」
「ああ」
何の因果か、共に陸上部に入ることになった蒼木と練児。これからの生活に、多少の不安を抱きつつも、同じ部活に古くからの知り合いがいることに心強さを感じる2人であった。




