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わたしとボクのぬくもりの距離。  作者: 真川紅美
参:想い
16/16

参、

「紅さま」

 元の侍女の服に着替えてわたしは、今までの非礼と勘違いをわびた。

 そうすると、紅さまはその整った面に少しだけ険を覗かせ、深くため息をついて、わたしの髪を撫でた。

「なにをいっているんだ、というか、その格好はなんだ?」

「なんだって……その……?」

 いわんとしている意味がわからずに首をかしげると、紅さまはちょっとだけ顔を背けてそっとため息をついたようだった。

「おまえは一からいわないとわからないのか」

 すこしだけ頬を染めた彼に、何事だろうかとわたしは首をかしげていると、紅さまはわたしの目をまっすぐと見つめた。きりりと整った白いおもてに静かに輝くのは夜の玉。

「侍女としてではなく、私を支えてもらえるか?」

 深く、低い声でいわれた言葉に、一瞬理解ができなかった。

 侍女としてではない……。

 そこでわたしはようやく紅様が言わんとしていた言葉を理解をした。

 それは、年頃の女子が一度は夢をみること。

 わたしとて夢見たことがあるが、一生、縁のないことだと思っていた。

 機織りの端女をしているときに見た、仲睦まじい夫婦を眺めて、いつかはと思っていた日が懐かしい。

「紅、さま?」

 驚いて口元に震える手を持ってくると、紅さまは切なそうに目を細めて唇を一文字に引き結んだ。

 わたしは、わななく唇で返事をいおうとした。

「はよせんか! いつまでも出立できないだろ!」

 という蓮さまの野次が扉の外から聞こえた。

 はっとした紅さまの表情が一転して、怒りに赤く染まる。

 わたしから離れて扉を開くと、扉の外では、声の主、冠つけて出立する直前の蓮さまや、にやにやとしている陽さん、侍女一同、使用人一同がずらりとたまっていた。

「貴様ら……」

 紅さまの怒りに震えた声。

 その声に全員がいっせいに青ざめ、そして、蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げていく――。

「とっとと出て行きやがれ!」

 そう怒鳴った紅さまに蓮さまは苦笑して、そして、走りながらわたしをみて片手を上げた。

 わたしはあきれ交じりに笑って一礼してそれを見送る。

 都への出立は明日ではなかっただろうか。そう思って首をかしげると紅さまは肩を怒らせて鼻息荒くこちらを振り向いた。

「紅、さま?」

「まったく。下世話なやつらだ」

 そういってばたんと扉を閉めて、紅さまは火鉢に手を当てて暖めてそっぽを向いた。

「……」

 なんとなく気まずい雰囲気。

 ここはわたしが行動を起こさねばならないのかもしれない。

 背中を向けている紅さまに近づいて、その広い背中に抱きついた。

「焔」

 紅さまは抗うこともなくただ前に回されたわたしの腕を包むように片手をそわせる。

 火鉢に当たってぬくもりが戻ったらしい。

 その手はとても温かい。

 広い背中に頬を押し当てて目を閉じる。どうして、こんなにも温かいんだろうか。

 すこしだけ幸せに浸っていると、紅さまは振り返ってわたしをみたようだった。

 そして次の瞬間、手は振りほどかれて、目を開く間もなく包み込まれていた。

「おまえは、俺を憎まないか?」

 温かい胸に顔を埋めて幸せを感じていると、そんな声が降ってきた。

「憎むことなど一つもありません。先ほども申し上げたように、この憎しみは先代さまに向けるべきものです」

 胸に寄り添いながらそういったわたしはぎゅっとしがみついた。

「紅さまは、紅さまです。先代さまのことでなにも悩むことはありません。あなたがしでかしたことではないのだから」

 紅さまは父親を憎しみ申し上げている。

 それでもそのしでかした大きなことに責任をとろうとしている。

「それでも、心が痛むのであれば、民を、慈しんでやってください」

 それが領主としてできることなのだから。

 そうわたしがいうと、紅さまは笑ったようだった。

「そなたはとても賢いな」

 変わった口調にきょとんとして紅さまを見上げると先ほどの幼い表情が一転して、遠くを見つめる領主の顔をしていた。

「蓮さまに……」

「ん?」

 首をかしげる仕草が、とても似ている。

「蓮さまと御兄弟なんですね。そっくりです」

 その言葉に、今度は紅さまがきょとんとする番になった。

「兄に?」

 うなずくと、紅さまは目じりにしわを寄せ苦笑すると、そうならいいなと穏やかでいて深く低い声でいった。

「ボクはずっと民達に、父がまた生まれたのだといわれ、打たれてきた」

 ひとしきり抱き合って、体を離し春さんが用意してくれていた白湯を飲みながら私たちは寄り添い、座っていた。部屋を出て行った春さんは少しだけ赤い顔をしていた。

 そして、そんな言葉から始まった告白は、奴隷の出だったわたしから聞いても目に余るものだった。

 民たちは、蓮さまや、廷尉史が取り締まらないことをいいこととして事ある毎に紅さまを打っていたらしい。

 そのけがは、陽さんに手当てをしてもらっていたという。

「痛みはある。だけれども、周りにそれを勘付かれてはいけない、と思った。父が彼らにやってきたことは、これ以上に痛いことなのだと、兄には迷惑をかけられない、と思って痛みをこらえるようになった。……そうしたらいつの間にか」

 自分の眉間をもみながら苦笑した紅さまに、わたしは自分の白湯の器を置いて開いた紅さまの手を握った。

「もう、そのようなことはしないでください」

「ああ。そうだな。まだ、ボクも二十才前だというのにずいぶん老け込んでしまった。彼らが考えを改めてくれるのであれば、ボクももうすこし、楽に過ごせるよ」

 彼には民達に復讐をするという考えはないのだろう。

 そう楽しそうに笑って肩をすくめた紅さまに、わたしも笑った。

「キミは、その、御両親がなくなってからはどう過ごしていたんだ?」

 ひとしきり笑った後、紅さまはそんな言葉をわたしに投げた。

 わたしはふっと笑って首をかしげた。

「機織をしていました。毎日毎日機を織っては反物を仕上げる。広い長屋に何人も集められてそこで雑魚寝をして、食べ物は……」

「やはり、この領地内でもそのような暮らしがあるのか」

 紅さまは痛ましそうな、苦い顔をして目を閉じた。

 慌ててわたしは身を乗り出してその頬に触れた。

「それでも、わたしたちは人々に必要としてもらえる。それだけでわたしたちはうれしいのです」

 それは今も同じだ。

 紅さまが私を必要としてくださる。それだけでわたしはうれしい。

 そう必死に伝えると、紅さまは目を見開いてわたしをみている。おかしなことをいっただろうか。

 あれ、と首をかしげると、紅さまは少しだけ顔をそらした。

「それは、その、個人で必要としてもらえる、のも入るのか?」

 少しだけ照れた言葉。

 ふと、自分の発言を思い返して、わたしは真っ赤になった。つまりはそういうことだ。

「……は、はい」

 こくとうなずくと、紅さまは顔を赤らめて、わたしをみて、ふっとため息をついて笑った。

 やわらかくて優しいその表情に見蕩れそうになるのをこらえて、必死に伝えようとした。

「だ、だから、その……」

 さっきいいそびれた言葉を今ここで。

 わたしはそう思って紅さまの手を握った。勇気付けるように紅さまが優しく握り返してくれる。

「お側に、置いてください」

 目を閉じて、そういいきると、きゅうっと握られた手に力をこめられた。

 恥ずかしくて、紅様の顔を見ることができない。

 無言が私たちの間を流れる。

「紅……さま?」

 何故、なにも返してくれないのだろうか。

 そう思って顔を上げて身を乗り出そうとした。そうすると紅さまはわたしを引き寄せて力強く抱きしめた。

 息苦しくて、でも身が切れるように心が痛くて、わたしも背中に手を伸ばしていた。


 優しかった――――。


 紅さまはわたしを強く抱きこんで笑みを深くしたようだった。熱い吐息が、耳元をかすめる。


「ありがとう」

 

 優しい声に、わたしはうなずいて、かじりつくように胸にすがって、どきどきとしながら、その大きなぬくもりに包まれて、それを全身で感じ取っていた――。

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