悪魔の秘密
何から始めようか。宛てもなく放浪すると、旅の意義を見失ってしまう。そうだ。王立図書館がある。アスダルは思い立ち、図書館に向かって出かけていく。王立図書館への少し荒れた道には、動物が度々顔を出しにくる。4年経ってからでも、まだ此処にいることが出来るのだろうか。木々の合間を縫うように光が浴びせられる。アスダルは王立の図書館へと到着した。
小さい頃に目の前まで連れて来てもらった以来で、あの頃よりも少し苔むしたようだ。周りは蔦で覆われており少し古びている。森と一体化するかのように小鳥の巣が所々に散りばめられるが、異様な存在感を放っていた。
中に入ると、一気に古い本の匂いが押し寄せてきた。バニラの微かな甘さと、土の入り混じる匂いに圧倒される。脳まで一気に届いて、本が呼んでいるのが聞こえてくる。ここに出入りできるものは少なく、国に仕えているものや、国から許可を貰ったものしか入ることができない。魔法師団に入る予定だったアスダルにはその許可が少し前から降りていて、彼自身も中に入るのは初めてだった。
手を伸ばしても届かないような場所まである本棚が整列をして出迎えている。死への恐怖からか、近くにあった本一冊へと手が伸びてしまう。妙に惹きつけられる赤みを帯びている。埃をかぶっており、うっすらと残るインクの匂いと古い紙のざらついた手触りが脳に訴えかける。表紙には所々皺が入っており、端は少し切れていた「薔薇図鑑」と描かれた本は、ちょうど薔薇の茎のような刺々しい雰囲気を纏っていた。
こんな事をしている場合ではないとその本を元の位置に戻し、「王国の歴史」というコーナーに向かっていった。アスダルの他に人は居ないのか、静寂の中で足音が反響する。王国の歴史というコーナーの目の前に付くと、知の殿堂と言わんばかりに、本が立ち並んでいる。薄暗く灯された灯りを頼りに、呪いという文字を探す。
「シルヴァンの歴史」「炎の国アルダンの王家の血筋」「シルヴァン王の秘密」
欲しい本は全く見当たらない。それどころか、御伽話について書いている本さえ見当たらなさそうだ。必死に探していると、扉が開く音が聞こえる。キーと軋む音を立てながら、その大きな扉は図書館内部へ光を差し込む。入り口の方をそっと覗いてみると、見慣れた顔が映った。アルデハイドだ。彼は熱心な読書家だった。ここに居ることがアルデハイドにバレたら、どうしよう。心臓の鼓動が明らかに速くなる。血液は脳へと回され、思考が巡る。
幸い、アルデハイドは反対の方に見えていた魔法コーナーの方に歩いていった。心臓は少し落ち着きを取り戻し、ゆっくりとその鼓動を抑えていく。逆立っていた体中の気も何事もなかったかのように眠りについた。できるだけ静かに探そう。
口を真一文字にして、立ち止まって本を探す。息遣いさえも細心の注意を払う。あれも違う。これも違う。足音がを立てないように移動しながら、首を上下させて目に文字を入れた。
そうしてかなり奥まで進むと、手掛かりになりそうな本がある。文字は掠れており、暗いのも相まってよく見えないが、「禁」という文字を見つけた。手がかりになるかもしれない。ただ、明らかに届かない位置にあった。入り口まで梯子を取りに戻らないといけない。かかとから足をつき、そっとつま先を下ろす。猫のように一歩一歩の足音を殺しながら入り口まで戻る。アルデハイドはまだ此方に気がついていないようで安心したのも束の間、誤って梯子を倒してしまった。呪いの紋様のせいで、手先が少し震える。長年使われていなかったのか、僅かに壁と同化していて取れなかった。
バタン。アルデハイドの興味を引くのは、この音だけで十分だった。
「誰かいるのか?」
透き通った声が、静寂を掻き消す。しくじった。もうバラすしか道は残っていない。なんとか言い訳を考える。
「アルデハイド兄さん?俺だよ!アスダルだよ!」
最大限陽気に取り繕ったつもりだ。
「おぉアスダルか!本でも読むなんて珍しいな。そっちに向かうよ。」
堂々とした足音が耳に響き渡る。陽気な様子で歩いているのに心を痛める。入り口の方面までゆっくりと歩いてきた。気を遣っているのか病気のことは聞かれなかった。
「どうして王立図書館なんかに来たんだ?用は特に無いはずだろ?」
「ちょっと歴史を見に来てみたんだ。時間ができたし、勉強でもしておこうと思ってね。」
声を発するのに使った喉を震えが、そのまま声になる。真実を伝えられない違和感。
「おおそうか!面白い本があったらまた教えてな!」
一切の曇りもない声に良心が痛んだ。裏切っている気持ちになる。ただ本当のことは言えないだけなのだ。そうして別れたあと、梯子を持って先ほどの本の所に向かう。左のこめかみがズキズキと痛み始めた。頭を締め付けられる。真実に近づいてきているのだろうか。「禁」とかかれていたのは
「禁忌・呪いの歴史」
という本だった。黒い表紙に、血のような赤で刻まれた文字は、額の紋様と共鳴しているようにさえ見えた。今まであった本の中でも群を抜けて大きく、所々破れて傷の入った表紙から年季が入っているのが見て取れる。かなり昔の本らしい。恐る恐る中を開いた。1ページ1ページが鉛のように重い。内容を読んでみても、ただの歴史書のようで、この大陸、サルダードの地理が書いてあるのみ。
そのままページをくり続ける。ページをくる音が耳に入る。手と本の掠れる音が一つ、また一つと一定テンポで聞こえてくる。「呪い」という文字が見えたのは、それを何十回か繰り返した頃だった。ただページをくっただけなのに、果てしなく長い旅が終わりを迎えたような達成感がある。
ただ、現実はアスダルに微笑まない。本のページが、黒く塗り潰されているのだ。本の歴史の割には、古びてはいないインクの色。明らかに強い香りが鼻に入る。他の文字と比べると、漆黒は濃く残されていた。
「呪い…」「…国…」「…聖域」「紋様…」「秘…」
読み取れるのはそれくらいで、ほとんど黒く塗り潰されていた。それから幾らかページを繰る。それから先ページは、呪いに関連しているであろうものは黒くなっていて読めたものではなかった。
「…ルダ…」「…真実…」「…悪…」
といった文字も、追加で読み取れた。読もうとすればするほど、脳を呪いが締め付けるのがわかる。炎の国「アルダン」に関係があるのだろうか。それから先も読み進めたが、それしかわからなかった。諦めて、違う本を探そう。呪いに関する本と、アルダンの歴史に関する本を探すことにした。突如としてアルデハイドの声が耳に飛んでくる。
「俺はそろそろ戻ることにするよ!もう暗くなるから、ほどほどにしておけよ!」
夢中で考えていたら、相当な時間が経っていたようだ。もう日が落ちる。今は弱っているから暗くなってから森にいるのは危険だと思い、その日は帰ることにした。
帰ってからも、頭の中は今日の本のことで埋まっている。アルダンにいけば、何か手掛かりが得られるのだろうか。アルダンはシルヴァンと隣接しているため、なんとか向かうことは出来そうだ。まだ手掛かりは得られるかもしれない。明日、もう少し調べてみよう。
心はどうも落ち着きがない様子だが、なんとか鎮めて眠りについた。
朝がやってきた。魔力が少しずつ回復しているのがわかる。小鳥が歌い、子ども達が外で燥いでいるのが見えた。一人の子が、小さいリスにリンゴを分けてやっている。大人達は微笑ましそうに眺めながら談笑をしている。周りの様子は、いつもとなんら変わりがない。
今日も図書館へ向かった。昨日来たばっかりだったのに、どうも新鮮な感じがする。今日は迷わず王国の歴史の方へと向かった。アルダン、アルダン…。表紙一つ一つと目を合わせながら、視線が滑る。あった。
「アルダンの歴史」
これを探せば、載っているかもしれない。昨日よりも繰るテンポは早くなっていた。慣れた様子で指先が動く。調べていると、一つ目に止まるものを見つけた。アルダンの国には、古くから悪魔が棲むと言われている「魔洞窟」があるらしい。先ほどの本はこれを隠していたのだろうか。
「魔洞窟には太古の昔に封印された悪魔が眠っている。」
この一文だけが、説明として記されていた。真偽は定かではないが、これしか持ち合わせる情報がない。アルダンに行こう。本を持っていた部分には少し皺がついて、より年季が入った。
そうして家に帰る。
「母さん、俺アルダンに行ってくるよ。」
「急にどうしたの?何か用事でもあるの?」
「俺行かなくちゃならないんだ。実は…っ…。」
言葉には焦りが混じる。呪いのことを話そうとしても、どうしても口が開かなかった。固く決意した青年の目に、母はたじろぐことしかできない。不安や呪いを話せない絶望から、冷や汗が出る。震える目や流れる汗をみて、母はその様子をみて何かを察した様だ。
「そう。何か訳があるのね。いいかいアスダル。何があっても諦めちゃだめだよ。母さんはずっと、貴方の味方だからね。いつでも帰っておいで。」
母は箪笥の方に向かい、何かを取り出してくる。手には数十枚の金貨がある。1年は暮らせるのではないだろうかと言う量だ。
「いざと言うときのために、ずっと貯めてたの。あまりよくわからないけれど、貴方にとってきっと大事なことなのでしょう。頑張ってね。」
母の温もりに触れる。心が解けていくようだ。なんとしても呪いを解いて、元気なまま帰って来なければ。そう決意させる。目には光が浮かんでいる。
そのまま馬を用意した。茶色の毛並みが、緑とよく調和している。勇猛なたてがみは、その背中に乗せるものを安心させるかのよう。アルダンには、ここから北西に100kmほど移動すれば到着する。森のざわめきが聞こえた。餞別だ。16年間、ここで暮らして来た。少し寂しくはある。動物達は別れを惜しむかのようにぞろぞろと現れてきた。木々は風に靡いて、うめきをあげているかのようだ。胸が痛んだが、悪魔になるのを防ぎ彼らを守るためでもある。進むしか道は残されていない。
出発の朝が来た。最後に、アルデハイドのところに寄ろうと思ったが、家を訪ねても見当たらなかった。王宮で仕事でもしているのだろう。アルデハイドの母に、よろしくとだけ伝えてシルヴァンを後にする。
いよいよ解呪の旅が始まる。太陽の光が黄金を埋め込むかのように、アスダルの背中を精一杯照らしていた。




