沈黙する杖
朝。
見習い魔術師は、部屋の中で杖を構えていた。昨日、手に入れたばかりの
一本。細い軸。整った装飾。先端の青い宝玉が、光を受けて静かに輝いている。
見た目は、文句なしだった。安物の杖とは明らかに違う。握り心地も悪く
ない。重さも、ほんの少しだけ「しっかりしている」程度。
「……銀貨一枚でこれは当たりだろ」
小さく呟く。口元が、少し緩む。昨日の買い物は、成功だった。そう思って
いる。まだ、疑っていない。
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冒険者ギルドの訓練場。
石壁に囲まれた広場。いくつかの標的が並び、焦げ跡や傷が残っている。
朝の時間帯だが、人はそこそこいる。同じような見習い。新人の冒険者。
それぞれが各自の練習をしている。ざわつきは小さい。だが、完全な静寂
でもない。
見習いは、その中に足を踏み入れた。
「ちょうどいい」
周囲を見渡す。人がいる。見られる距離。それでいい。少しだけ、背筋を
伸ばす。杖を、軽く振る。準備は整っている。
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標的の前に位置を決める。距離も、ちょうどいい。見習いは、深く息を
吸った。そして詠唱を始める。声を張る。響かせる。言葉を整える。
火属性。基礎式。だが、動きは少しだけ大げさに。手の動きもつける。杖を
振る軌道も、意識する。
視線を感じる。周囲の何人かが、ちらりとこちらを見る。それでいい。
ほんの少しだけ、意識する。声が、さらに整う。詠唱が、終盤に入る。
流れは完璧だった。言葉も、噛んでいない。リズムも、崩れていない。
最後の一節。締める。杖を振る。魔力を流す。
決まった。そう思った。
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――何も、起こらなかった。
沈黙。
風がわずかに吹く。それだけ。標的は、無傷のまま。焦げ跡もない。
熱もない。ただ、静かに立っている。
見習いは、固まった。杖を構えたまま。動かない。
「……え?」
小さく声が漏れる。遅れて、周囲の空気が変わる。ざわり、と。完全な
笑いではない。だが、何かを察した気配。
「……あれ?」
誰かが、ぽつりと呟く。それが、やけに響いた。
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見習いの顔が、じわじわと赤くなる。理解が追いつかない。だが、状況は
分かる。出ていない。魔法が。
「……いや」
首を振る。もう一度。今度は、見栄を張らない。正確に。確実に。同じ言葉。
同じ手順。最後まで整える。杖を振る。魔力を流す。
――何も、起こらない。
完全な沈黙。さっきと同じ。いや、それ以上に静かだった。
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見習いは、ゆっくりと杖を見た。
手の中のそれ。青い宝玉。美しい形。だが、反応がない。魔力は流れて
いる。感覚はある。だが、それが「現象」にならない。
顔が、さらに赤くなる。耳まで熱い。周囲の視線が、刺さる。原因は、
はっきりしている。
「……杖だ」
低く、呟く。確信だった。握る力が、強くなる。ぎゅっと。指が白くなる
ほどに。
「……ふざけんな」
感情が、遅れて湧く。恥と、苛立ち。混ざって、熱になる。そのまま、
踵を返す。訓練場を出る。足取りは速い。迷いはない。
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通りを抜ける。人を避ける。一直線に向かう。
あの店。あの武器屋。看板が、少し傾いている店。扉の前で、止まる。
息が、荒い。だが、躊躇はない。扉に手をかける。強く、押し開ける。
鈴が、大きく鳴った。
「返品します」
怒りはまだ冷めていない。その手には、あの杖が握られていた。




