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理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-  作者: シラン
第2章 水の都の魔法使い
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手を汚すということ

 帰り道。


 森の道を、二人で歩く。レオンが前。メリアが後ろ。会話は少ない。

足音だけが、湿った土を踏む。木漏れ日が、二人の足元をまだらに

照らしていた。


 メリアは、腕の中の包みを抱えたまま、歩き続けた。肉の重さ。魔石の

重さ。血の温もりは、もう冷めている。だが、重さは変わらない。腕に

かかる負荷が、一歩ごとに、確かにそこにあるのだと教えてくれる。


 前世でも、肉を食べていた。スーパーで買った、パックに入ったもの。

どこかで誰かが手を汚して、形を整えて、並べていたもの。それを、何も

考えずに買っていた。透明なラップの向こうにあるものが何だったのか、

当時は考えもしなかった。


 今日、自分はその場にいた。手を汚したのは、レオンだった。だが、

その現場に立ち会い、目を逸らさなかった自分にも、同じ重さの一端は

あるはずだった。


「……いただきます、って」


 ぽつりと、呟く。


 レオンが、半歩だけ振り返る。前世の記憶が、こんな場面でふと顔を

出すことに、メリア自身も少し戸惑っていた。


「何?」


「前世の言葉。食べる前に言う」


 少しだけ間があった。


「どういう意味だ」


「命をもらいます、ということ」


 レオンは、何も言わなかった。また前を向いて、歩く。言葉を探している

ような、その背中だった。


 しばらくして。


「……そうだな」


 低い声で、言った。それだけ。


     ――


 だが、レオンは足を止めなかった。歩きながら、続きを口にする。


「命もらう、言いながら喰ってるのは、矛盾してないか」


 問いは、静かだった。責めているわけではない。ただ、疑問をそのまま

置いただけ。狩りには何度も出ているはずのレオンにとっても、この問いは

今さらのようで、今さらではなかった。


 メリアは、少し考えてから答えた。


「矛盾してる」


 あっさりと、認める。前世の記憶にある理屈と、目の前の現実。その二つを

並べても、答えは変わらなかった。


「でも、それでも喰らわないと、生きられない」


「じゃあ、どうすんだ」


 レオンが、率直に問う。答えのない話を、そのままにしておくのは苦手な

ようだった。


「受け取る」


 短い答えだった。


「どうにもできないことは、どうにもできない。だから、自覚だけは持つ」


 迷いのない口調だった。答えを探しながら話しているのではなく、すでに

何度も自分の中で確かめてきた言葉のようだった。


 レオンは、眉をひそめた。


「なんか、宗教くさいな」


 メリアは、少しだけ視線を落とす。軽く受け流すような口調ではなく、

確かめるように言葉を選んだ。


「前世では、原罪って言った」


「原罪?」


 聞き慣れない言葉に、レオンが繰り返す。


「生きているだけで、何かを傷つける。喰らわないと、生きられない。

それは、逃げられない」


 声は静かだったが、そこに迷いはなかった。何年も前から、答えを持って

いたかのような口調だった。


(宗教でも、呪いでもないよ。ただの生態の話。それでも、覚えて

おくことには意味がある)


 れもんの声が、静かに割り込んだ。誰にも聞こえない、内緒の相槌だった。

乾いた言い方の奥に、いつもよりわずかに柔らかい響きが混じっていた。


 メリアは、小さく頷いた。誰に向けたものでもない。


 レオンは、しばらく黙って歩いていた。やがて、ぽつりと言う。


「……なんとなく、わかる気はする」


 難しい理屈は苦手だ、というような顔だった。それでも、そこにある

重さだけは、感じ取っているようだった。腕を組み、視線を前に向けたまま、

しばらく言葉を探しているような沈黙が続いた。


「まあ、狩る側としちゃ、いちいち考えてたら仕事にならんけどな」


 軽い口調に戻す。だが、その言葉の裏には、確かに何かを受け止めた気配が

あった。誰かが重さを引き受けなければ、日々の依頼は成り立たない。それを、

レオンなりの言葉で言い直しただけだった。


     ――


「お前、何者なんだ」


 唐突に、レオンが聞いた。


 足を止めずに、前を向いたまま。深く考えた質問ではない、というような

軽さがあった。だが、その奥には、確かな疑問があった。今日のメリアの

言葉や視線の一つひとつが、ただの十七歳の少女のものとは思えなかったの

だろう。


 メリアは、少し間を置いてから答える。


「前世で、色々知っていた人です」


 それだけ。詳しい説明はしない。できるとも、思っていない。前世の記憶を、

この世界の言葉でどう説明すればいいのか、メリア自身もまだ答えを持って

いなかった。それでも、嘘をつく気にはなれなかった。


 レオンは、それ以上追及しなかった。


「……そうか」


 短い相槌。深掘りする気配はない。ただ、隣を歩く相手が、普通ではないと

いうことを、静かに受け入れているようだった。冒険者として、深入りしない

ほうがいい話もあるということを、経験的に知っているのかもしれない。


 木々の間隔が、少しずつ広くなっていく。頭上の葉が減り、空が見え始める。

差し込む光の量が、じわじわと増えていった。


     ――


 やがて、木々が途切れた。


 視界の先に、街が見えてくる。煙の匂い。人の声。荷馬車の軋む音。森の

静けさとは、まるで違う気配だった。ポルタ=ルクスの喧騒が、風に乗って

少しずつ近づいてくる。木々の隙間から見える屋根の連なりが、少しずつ

大きくなっていった。


 湿った土の感触が、硬い石畳に変わる。足の裏に伝わる感覚が、一歩ごとに

はっきりと変わっていった。柔らかく沈む土から、硬く跳ね返す石へ

――その境界を越える瞬間、メリアは無意識に足元へ視線を落としていた。

世界が切り替わる、その一瞬の感触を、確かめずにはいられなかった。


 だが、腕の中の重さだけは、変わらない。


 肉の重さ。魔石の重さ。森で受け取ったものは、そのまま、街まで

運ばれていく。土の匂いから、街の匂いへ。静けさから、喧騒へ。周りの

世界は目まぐるしく変わっていくのに、腕の中のものだけは、頑ななほどに

同じ重さを保っていた。


 レオンが、大きく伸びをした。


「飯にするか」


 いつもの声だった。何も変わっていない、いつも通りの調子。重い話を

していたとは思えないほど、あっさりとした切り替えだった。


「はい」


 メリアは、短く答える。感傷を長く引きずるような言い方はしなかった。

それでいい、と自分の中で区切りをつけたからこそ、いつも通りの返事が

できた。


 石畳を踏む足音が、二つ。街の喧騒に、少しずつ紛れていく。腕の中の

重みだけを、確かに抱えたまま。


 いつもの月兎亭。いつもの部屋。今夜の食卓には、今日ここで得た肉が

並ぶことになるだろう。前世であれば、それはただの「食材」だった。

だが、もう同じようには見られない。誰かが手を汚し、命と向き合った先に、

食卓があるのだと、今のメリアは知っている。


 それでいい、とメリアは思う。知らないまま食べるより、知った上で

受け取るほうが、ずっと誠実だ。原罪から逃げることはできない。だが、

それを自覚しながら生きることは、できる。


 街の喧騒の中を、二人は並んで歩いていく。腕の中の重みは、まだ確かに

そこにあった。夕暮れ前の柔らかい光が、石畳の上に二人の影を長く伸ばして

いた。

挿絵(By みてみん)

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