貿易都市ポルタ=ルクス
草地を抜けると、街道に出た。
踏み固められた土の道に、轍が何本も刻まれている。荷を積んだ
荷馬車が軋む音を立てて進み、旅装の人間が脇を歩いていく。農夫らしき
老人、大きな荷袋を背負った行商人、子供の手を引いた女。服の色も素材も
ばらばらだが、どれも土と使い込まれた布の色をしていた。
城壁が近づくにつれ、その大きさが実感として迫ってくる。石を積み
上げた壁は、地面からそのまま立ち上がった崖のようだった。高さは十
メートルを超えているだろう。上には等間隔に見張り台が並び、兵士が
ゆっくりと歩いている。
門の前には列ができていた。
「今日は早いな」「南の船が着いたらしい」「港が騒がしいぞ」
周囲の声が耳に入る。知らない訛りも混ざっている。俺は列の最後に
ついた。列はゆっくりだが遅くはない。門番が荷物を軽く見て、二言三言
交わして通している。
やがて順番が来た。
「次」
門番が視線を向ける。日に焼けた顔に皺の刻まれた、年配の兵士だった。
「どこから来た?」
「森です」
「森?」
「翠影の森の外縁から」
門番はアルストロメリアを上から下までゆっくりと見た。武器はなく、
荷物は小さな鞄だけ。
「身元証明は持っているか?」
一瞬、言葉に詰まった。
「……持っていません」
「ギルド証か旅券か、何かあるだろう?」
「ありません」
門番の目が細くなった。後ろの列が詰まり始める。横の兵士が近づいて
きた。
「身元証明なしか。所属は? 出身地は?」
答えられる問いが一つもなかった。出身地はこの世界にない。所属も
ない。名前だけがある。
「……アルストロメリアといいます。出身地は、遠くて」
「遠くて、では通らない。所属ギルドか、保証人か、何かないと——」
「あー、その子なら大丈夫ですよ」
列の外から声がした。
振り向くと、門の脇の壁に背を預けて立っている少年がいた。十五、六歳
くらいだろうか。赤い髪が朝の光に透けている。腰に短剣を下げ、くたびれた
革鎧を着ていた。どこか場慣れした立ち姿で、門番のことを顔見知りのように
見ている。
「俺が保証します。問題ない人ですよ」
「お前が保証、ねえ……」
門番は少年を見てから、アルストロメリアを見た。少し考えるような間が
あった。
「……まあいい。ただし、三日以内にギルドか宿屋で身元を通せ。いいな」
「わかりました」
「通れ」
俺は軽く頭を下げ、門をくぐった。少年が後ろからついてくる。
門の内側に出ると、空気が変わった。声、足音、荷車の軋む音。人の気配が
一気に押し寄せてくる。石畳の大通りが奥へと伸び、両脇に建物が並び、人が
絶えず行き交っていた。
「新鮮な果物だ!」「南の布が入ったぞ!」
商人の声が飛び交い、子供がその横を走り抜けていく。
俺は立ち止まり、少年を見た。
「助かりました」
「いや、たまたまいただけですよ」
少年は軽い口調で言った。自分の手柄にするつもりもなさそうだった。
「でも、三日以内に身元は通した方がいいです。本当に。
ここの門番、意外と律儀だから」
「わかりました」
それだけ言うと、少年はすでに視線を大通りの奥に向けていた。用が
済んだ、という顔だった。
「じゃあ」
短く言い残して、人の流れの中に消えていく。
アルストロメリアはその背中を少しの間だけ目で追い、それから大通りへ
向き直った。
歩き出すと、途中で匂いが届いた。焼いた肉、パン、そして少しだけ塩の
匂い。海が近い。
道の先がわずかに上がっている。橋だった。石でできた橋をゆっくり登り、
中央で足を止める。水の音が聞こえた。橋の下には水路が広がり、船頭が長い
竿で水底を押しながら細長い船をゆっくり動かしていた。船には木箱、布袋、
樽が積まれている。
「……運河」
橋の向こうにも橋が見える。さらにその先にも。水路と橋が、街の中を
縫うように続いていた。
欄干に手を置き、水面を見下ろす。光が揺れている。その奥から、わずかに
潮の匂いが漂ってきた。河口の街だ。
石の建物、運河、橋、行き交う船。すべてが一つの都市を形作っている。
活気があり、雑然としていて、それでいてどこか秩序がある。生きている街、
という感じがした。
(三日以内に身元を通す、か)
銀貨一枚がある。まず宿とギルドとやらを探す。やることは決まった。
アルストロメリアは息を吐き、橋の向こうへ歩き出した。赤髪の少年の
ことを、もう一度だけ思った。名前も知らない。また会うか、どうかも
わからない、
――三日、か……。




