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気づいたら異世界、しかも美少女

 湿った土の匂いがした。


 まぶたの裏に柔らかな光が差し込んでくる。ゆっくり目を開けると、

視界の上には空があった。枝の隙間から朝の光がこぼれ、葉が弱い風に

揺れている。鳥の声、葉擦れの音、草の青い香り。


 しばらく、そのまま動けなかった。


 天井のない空を見上げながら、頭の中が静かに整理されていく。死んだ。

白い部屋。神様。転生。そういう話だった。夢ではない。夢にしては土の

感触が冷たすぎるし、葉の匂いが生々しすぎる。


(れもん……)


 名前が浮かんだ。それだけ浮かんで、次が来なかった。ノエリアは「想いは

無駄にならない」と言った。それがどういう意味なのか、まだわからない。

わからないまま、この森の朝に放り出されている。


 泣くか、とも思った。しかし涙は出なかった。悲しくないのではなく、

まだ追いついていない。そういう感じだった。


 ゆっくり体を起こす。


 その瞬間、違和感に気づいた。手が、小さい。目の前にかざすと、細い指と

白い掌。骨格が明らかに違う。


 ゆっくり声を出してみる。


「……あー」


 高い。澄んだ少女の声だった。ノエリアの言葉が頭の中をよぎる。


 ――あなたは少女として生きることになります。


「……本当だった」


 自分の体を見下ろす。細い腕、軽い体。着ている服は見覚えがない。青い

フード付きの外套に白いインナー、軽い旅装だった。


 立ち上がると、足取りは安定している。身体の操作に違和感はない。

どうやら、この身体の感覚は最初から備わっているらしい。


 周囲を見渡す。森だが、奥深い森ではない。木の間隔が広く下草が少なく、

光が十分に差し込んでいる。外縁の森、そんな印象だった。


 腰のあたりで何かが揺れた。視線を落とすと、革のショルダーバッグ。

中央には青い宝石が埋め込まれている。


「……神器フィラ=ノエシス」


 ノエリアから渡された神器だ。肩から外して手に取ると、普通の鞄に見える。

だが、妙に手に馴染む。ゆっくり口を開けて中を見た。


「……銀貨」


 一枚だけ入っていた。底はまだ深そうだが、他には地図が入っていただけ

だった。銀貨一枚、どの程度の価値かはまだわからない。神様の配慮としては

最低限だが、何もないよりはいい。


「まあ……十分か」


 鞄を閉じて肩にかけ直し、森を見渡した。街を探すしかない。


 歩き出す。下草が少なく足元が見える。枝の隙間から差し込む光を確認し、

影の方向を見る。太陽は東、まだ朝だ。地形、光の方向、木の密度を観察

しながら歩く。人が通るなら、森の薄い方向だ。


 しばらく歩くと、木の間隔が広くなり光が増えてきた。森が少しずつ薄く

なっている。外が近い。


 そのとき、草の中に白い色が見えた。


 立ち止まって近づくと、花だった。一本ではない。細い茎の先に咲く白い

花弁が、まとまって群生している。朝の光を受けて、静かに揺れていた。


 見覚えがある。前世の記憶が浮かぶ。


「……アルストロメリア」


 地下茎で広がる植物。繁殖力が強く、周囲の植生を圧迫することもある

厄介な花。完全に同じではないが、よく似ている。


 花を見下ろしながら、しばらく立ったまま動かなかった。


 この世界で生きるなら、名前がいる。元の名前を使い続けてもいい。

しかし、男の名前をこの声で名乗り続けるのも、少しおかしな話だ。だからと

いって、何でもいいわけでもない。


 名前は、自分が何者かを示すものだ。


 前世の記憶を持ったまま、新しい体で、新しい世界を生きる。それがどんな

意味を持つのか、まだ整理できていない。ただ、前の自分とも繋がっていて、

この世界とも繋がれる名前が、どこかにあるような気がした。


 視線が、また白い花に落ちる。


 厄介な花だ。でも咲いている。根を張って、どこでも咲く。


「……アルストロメリア」


 口に出してみる。少女の声で呼んでも、響きは変わらない。むしろ、

しっくりくる。


「……これでいいか」


 誰に告げるでもなく、そう決めた。アルストロメリア。長すぎると言われる

かもしれないが、それは縮めればいい。名前というのは、呼ばれながら形に

なっていくものだ。


 立ち上がり、森を抜けた。


 木々の間隔がさらに広がると、やがて視界が一気に開けた。草地だった。

背の低い草が風に揺れ、朝の光の中で緑が淡く輝いている。その向こうに、

石造りの壁がある。高い。城壁と呼ぶに相応しい厚みと高さで、壁の上には

等間隔に見張り台が並んでいた。


 都市だ。


 草地を横切るように一本の街道が走っていた。踏み固められた土の道で、

轍が何本も刻まれている。荷を積んだ荷車が軋む音を立てて進み、旅装の

人間が脇を歩いている。農夫らしき老人、行商人らしき男、子供を連れた女。

服の色も素材もばらばらだが、どれも土と使い込まれた布の色をしていた。

絵や物語で見るファンタジーの世界ではなく、もっと地に足のついた、生活の

匂いのする景色だった。


 街道に出ると、石畳の門前広場につながっていた。城門の前には人の列が

できていて、兵士が一人ずつ確認しながら通している。


 俺は足を止め、その列をしばらく見つめた。


(街に入るには順番待ち、か)


 自分の声で名前を呼んだのは、さっきが初めてだった。慣れるまで少し

時間がかかるかもしれない。でも、それはそれでいい。慣れることから

始めればいい。


 列の最後尾に並んだ。門番が次の旅人を通している。順番が来るまで、

まだ時間がある。


(この街で、どうやって生きる?)


 答えは、まだない。

挿絵(By みてみん)

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