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ぐる風

 月兎亭の裏庭に、朝から風が流れていた。自然の風ではない。試作機が

生み出す、一定の流れ。ぶぉぉぉ……と低く鳴りながら、羽根が回り続けて

いる。魔石の光が青白く、朝の日差しの中でもかすかに揺れている。


 洗濯物が揺れていた。前とは違う揺れ方だった。だらりと垂れているのでは

なく、風を受けてふわりと膨らんでいる。布の端が、軽やかに泳いでいる。


 女将が洗濯物の端を手で触った。


「……乾いとりますわ」


 静かに言った。それから、メリアの方を向いた。


「おおきに。ほんまに助かってます」


 驚きは少ない。昨日も一昨日も同じだったから。でも、毎朝触るたびに、

少しだけ目元がやわらかくなる。女将は軽く頭を下げて、洗濯物を取り込み

始めた。手際がいい。迷いがない。


 窯の入り口にも、もう一台置かれていた。調理中は別だ。火を使えば空気が

動く。試作機があると、その熱が散る。流れる。


「やっぱり楽やわ」


 リナが厨房から顔を出した。額に汗がない。いつもならもう光っている時間だ。


「効率は向上しています」


 メリアが言った。


「見た目以外は最高やな」


「見た目も問題ありません」


「問題あるわ!なんか光ってるやん、ずっと」


「魔石の光です」


「わかっとる!わかっとるけど!」


(まだ改良できる。光を絞れば、見た目の圧も減らせる)


 れもんの声が届いた。


「……なるほど」


「また改造するん!?」


 リナが叫ぶ。メリアはすでに試作機を見ていた。


――


 昼になった。試作機の噂は、もう宿の客の間には知れ渡っている。怖い、

という評判と、便利らしい、という評判が混在していた。


 港仕事帰りの男が、試作機の前で足を止めた。日に焼けた顔。分厚い手。

腕を組んで、しばらく眺めている。


「……怖ぇな」


「せやろ?」


 リナが即座に同意した。


「なんか呪われそうや」


「呪いません。風が出ているだけです」


「ふぅん」


 男は少し屈んで、羽根を覗き込んだ。回っている。速い。近い。


「布かぶせりゃ、見た目マシになるんじゃねぇか」


「やめとき!」


 リナが言った。男はすでに手ぬぐいを取り出していた。近づける。


「ちょちょ!待ちぃや!」


 羽根が、布の端を吸い込んだ。


 ぐ、と音がした。


 メリアが即座に魔力を遮断した。回転が落ちる。ぶぉ……ぶぉ……

ゆっくりと。止まる。


 静寂。


 手ぬぐいが、羽根に絡まっていた。端の方だけ。深くはない。でも、

はっきりと巻き込まれていた。


(危ない。布とか、そういうものが近づくのは想定してなかった)


 れもんの声が来た。


「次からはやめて」


 メリアが男を見た。男は手ぬぐいを引き抜きながら、ばつが悪そうに

していた。


「……すまん」


「ああ」


 リナが額を押さえた。


「ほらな!やっぱり危ないやん!」


「使い方の問題」


「使い方の問題で済んだからよかったけど!」


――


 事故未遂の後、メリアはしばらく試作機を見ていた。羽根が剥き出しに

なっている。回転している間、外から手が届く。布が届く。それが問題だ。

回転するものは、近づけてはいけない。でも、近づけたくなる。見えている

から。動いているから。


「柵が要ります」


「何?」


「羽根の外側に、枠を付けます。手も布も入らない隙間で」


 リナが少し考えた。


「……ああ、なるほど」


「木で作れます。今日中に」


「また工作するん」


「安全のためです」


 女将が縁側から聞いていた。


「それは助かりますわ。お客さんが近づいてもうて、ひやっとしましたから」


「申し訳ありませんでした」


「メリアはんのせいやないけど、あると安心どす」


 材料は裏庭にあった。先日の作業で余った板。それを組む。羽根の外周に

合わせて、四角い枠を作る。隙間は指が入らない幅に。上も塞ぐ。固定する。


 リナが横で見ていた。


「……ちょっとマシになったやん」


「そうですか」


「なんか、箱みたいになった。まだ光ってるけど」


「魔石は内側に移しました」


「あ、ほんまや。光が中に入った」


 外から見ると、枠の隙間から青白い光が漏れている。回路の光も、柵の

内側で走っている。さっきより、落ち着いた印象だった。


「効率は?」


「微減です。五パーセント程度」


「許容範囲やな」


「はい」


(安全性は上がった。これくらいの損失なら許容範囲)


 れもんが補足した。


「誰と話してんねん、いつも」


 リナがぼやく。いつもよりトーンが低い。もう慣れてきた証拠だった。


――


 夕方。裏庭に、リナがいた。試作機の前で、腕を組んでいる。柵付きの、

改良版。羽根は見えにくくなった。光は内側に収まった。風は変わらず

出ている。


 しばらく眺めていた。


「これな」


 リナが言った。


「名前、いるやろ」


 メリアは少し考えた。


「……そうですね」


「回っとる。ぐるぐる。風が出る」


「はい」


「ぐる風や」


「安直です」


「回っとるやろ!風やろ!そのままやろ!」


「もう少し考えてもいいと思う」


「ええねん、わかりやすい方が!」


(たぶん定着する。短い名前の方が広まりやすい)


 れもんが静かに言った。マヨのときも同じ分析だった、とメリアは思った。


「……ぐる風」


 小さく繰り返す。


「悪くないやろ?」


「……覚えやすいです」


「決まり!」


 リナが両手を上げた。


――


 翌朝。厨房にもう一台、ぐる風を置いた。試作機から少し改良したものだ。

柵付き。魔石は内側。回路は簡略化した部分を補った。女将が調理をしている。

ぐる風が回っている。熱気が散る。厨房の空気が、前より流れている。


 昼になった。常連が入ってくる。港帰り。仕事終わり。席に着いて、

飲み物を頼む。その中の一人が、厨房の入り口を見た。


「あれ、動いてるな」


「ぐる風ですよ」


 リナが言った。自然に。


「なんだそれ」


「風が出る道具です。涼しくなります」


「へぇ」


 男は特に驚かなかった。そういうものか、という顔で、また杯を傾けた。

その反応が、メリアには少し意外だった。怖がるでもなく、驚くでもなく、

ただ日常として受け取った。


 別の常連が言った。


「ぐる風、貸してくれねぇか?うちの作業場が暑くてな」


「貸し出しはしてへんけど」


 リナが答える。


「作ってもらえるか」


「……メリアちゃんに聞いとく」


 リナが振り返ると、メリアがすでに話を聞いていた。


「材料費と工賃は必要」


「いくらだ」


 値段を言った。男は少し考えて、頷いた。


「頼む」


 リナが小さく声を上げた。


「初受注や!」


「……ですね」


 メリアは少しだけ、表情がやわらかくなった。照れているのか、驚いて

いるのか。自分でもよくわからない顔で、試作機を見た。ぐる風は変わらず

回っている。光っている。風が出ている。呪物と呼ばれた最初の夜から、

ずいぶん遠くまで来た気がした。


――


 夜になった。裏庭のぐる風は、まだ回っていた。日が落ちて、空が暗く

なると、柵の隙間から漏れる光がよく見える。青白い。一定のリズムで

脈動している。でも、最初の夜のような不気味さはなかった。柵があるから。

光が内側に収まっているから。なんとなく、落ち着いた光だった。


 リナが縁側に腰を下ろして、ぐる風を眺めていた。


「最初は呪物やったのにな」


「呪物じゃない」


「見た目の話や」


 メリアも縁側に座った。並んで、ぐる風を見る。


 回っている。静かに。一定に。風が出ている。裏庭の空気が、ゆっくりと

流れている。洗濯物が、夜の中でかすかに揺れていた。


「進化した」


 メリアが言った。


「ほんまやな」


 リナが頷く。


 しばらく、二人とも黙っていた。


 ぐる風が回る。風が流れる。秋の夜の空気が、やわらかく動いていた。


 最初は洗濯物を乾かしたかっただけだった。それだけのことが、こうなった。

名前がついて、柵がついて、受注が入った。どこからどこまでが計画で、

どこから偶然なのか、よくわからない。


 ただ、風は続いている。


(記録完了)


 れもんの声が、静かに来た。


 メリアは小さく頷いた。秋の夜の裏庭で、ぐる風だけが、変わらず回り

続けていた。

挿絵(By みてみん)

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