冷やすなや!
店の扉を開けると、鈴が鳴った。前に来たときと同じ音。同じ店。棚に
魔道具が並んでいる。陣紙に魔石。小さな器具。整然と。朝の光が斜めに
差して、棚の端に細い影を作っている。
店主が奥から顔を上げた。
眼鏡越しに、こちらを見る。メリアを見る。その脇のリナを見る。そして
メリアが両腕で抱えているものを見た。木製の羽根。四枚。中心に軸。表面に
びっしりと刻まれた回路。
一拍の間があった。
「……物騒だね」
店主が言った。
「せやろ!?」
リナが即座に反応する。待ってましたとばかりに。
「危なくない。改良に来た」
メリアが言った。
「改良前がこれ」
「ふむ」
店主は眼鏡の位置を直した。立ち上がって、カウンターを回ってくる。
試作機の前に立つ。羽根を覗き込む。回路を目で追う。刻まれた線を、
指でなぞりそうにして、やめた。
「式が粗いさね」
「わかってる」
「刻み直す気かい?」
「魔石を先に」
店主が顔を上げた。
「これ、魔石で動かすつもりかい?」
「風属性の小型のものがあれば」
しばらく間があった。店主は試作機を見て、メリアを見て、また試作機を
見た。
「……持続させる気かい?」
「それが目的です」
「止め方は?」
「魔力を引けば止まる」
「他人でも止められるかい?」
メリアは少し考えた。
「……改良する」
「そういうのは先に言いな」
店主は棚の奥に引っ込んで、小さな木箱を持ってきた。蓋を開ける。
中に、親指の爪ほどの石が並んでいる。薄く青みがかっている。
「風属性の小型。これが一番安定するね」
値段を聞いて、メリアは硬貨を数えた。リナがこっそり財布を出しかけ、
メリアに止められた。
――
作業はその場で始まった。店主がカウンターの端を貸した。何も言わずに
空けた。メリアは試作機を置いて、中心部を開ける。軸の根元。そこに
小さな空洞を彫る。魔石を収める大きさに。慎重に。削りすぎない。
「手伝うかい?」
店主が聞いた。
「大丈夫」
「そうかい」
それだけ言って、店主は自分の仕事に戻った。魔道具の在庫を確認して
いる。でも、時おり視線をこちらに向けていた。
魔石を収める。固定する。回路と接続する。細い線で、魔石から羽根の
式へ。丁寧に。一本ずつ。
リナが覗き込む。
「……もっとびっしりなってへん?」
「魔石との接続線を追加した」
「余計こわなってるやん」
メリアは気にしない。刻み終わる。回路を確認する。接続を確認する。
軸を指で押す。
回る。ぶぉ……前より低い音。安定している。魔石が光る。青白く。
薄く。羽根の回路に光が流れる。回転が上がる。
ぶぉぉぉ……
「おぉ!」
リナが声を上げた。
「前より速い!安定してる!」
「魔石駆動」
風が出ている。前より強い。持続している。止まらない。
店主が顔を上げた。試作機を見る。少し目を細める。
「……回るね」
「回る」
メリアはまだ手を動かしていた。今度は中心部に、小さな式を一つ追加で
刻んでいる。
「何を足す気?」
「少しだけ、熱を引く」
――
「は?」
リナと店主が、ほぼ同時に言った。
「気化熱対策」
「乾かすんやろ!?なんで冷やすねん!!」
「冷やしません。摩擦熱を、気化熱で相殺するだけ」
「同じやろ!」
メリアは手を止めずに言った。
「羽根が高速回転すると、摩擦で熱が出る。何もしなければ、
周りの温度が上がっていく」
「……それが普通やろ」
「でも、そこに水分があれば気化が進む。気化するとき、
水は周りから熱を奪う」
「……つまり」
「摩擦で出た熱を、気化熱で相殺する。温度は上がらない。
むしろ、気化が進む分だけ乾きが速くなる」
リナが額を押さえた。
「ややこしいねん!」
(気化熱でちゃんと相殺できてる。乾燥効率は、たぶん一・四倍くらい)
れもんの声が、メリアの耳の奥に届いた。
「わかった」
「誰と話しとんねん!」
店主が腕を組んで、試作機を眺めていた。回転している羽根を。流れて
いる回路を。
「……理屈は通っているさ」
静かに言った。
「摩擦熱で湿度が上がるのは本当のこと。回転機構の欠点の一つ」
「知ってたの?」
「魔道具屋だから。回転式の魔具は扱いが面倒で廃れたんだよ。
そこが理由の一つ」
メリアは顔を上げた。
「廃れた?」
「昔はあったさ。今はほとんど見ない」
「なぜ廃れたの?」
「うるさい。怖い。止め方がわかりにくい」
店主は眼鏡の奥で、どこか面白そうな目をしていた。
「あんたのそれも、同じ問題を抱えているさね」
「……改良します」
「そうしな」
刻み終わる。接続する。確認する。メリアが魔力を流した。
――
ぶぉぉぉぉ……
音が変わった。前より低く、落ち着いている。回転が安定している。
光が流れる。青白い輪が、羽根の回路を走る。風が出た。前より強い。
持続している。
「……なんか、ひんやりする」
リナが手をかざした。
「なんで冷たいねん!?洗濯物乾かすのに冷たい風いらんやろ!」
「ひんやりするのは、気化が進んで周りの熱が持っていかれてるから。
洗濯物への風は適温」
「信用できへん!」
メリアは小さく頷いた。
(湿度、下がってきてる。想定の範囲内)
「……やっぱり誰かおるやろ!」
リナが食い気味に来た。メリアは気にしない。
店主がカウンターに肘をついて、試作機を眺めていた。
「効くのかい?」
「効く」
「証明できるかい?」
「実践で証明する」
店主は少し黙ってから、頷いた。
――
月兎亭の裏庭に戻ったのは、昼前だった。試作機を物干しロープの前に
置く。起動する。
ぶぉぉぉ……
回る。光る。風が出る。女将が縁側から見ていた。
「……また回り始めましたな」
「改良した」
「怖さは、変わってへんけど」
「効率は上がった」
女将は洗濯物を見た。風が当たっている。布の端が揺れている。前より
しっかりと。持続している。
しばらく経った。
「……あら」
女将が洗濯物に近づいた。端を手で触る。
「軽うなってる」
「乾いてきた」
「早いわ」
女将は少し目を丸くした。それから静かに微笑んだ。
「楽になりましたわ。ほんまに」
リナが腕を組んで、試作機を見ていた。
「見た目は怖いけどな!」
「慣れます」
「慣れへんわ!」
次に厨房の前にも一台置いた。夏は終わっているが、窯の前は秋でも
暑い。調理中の熱気がこもる。試作機を起動する。回る。風が流れる。
熱気が散る。
「……あ」
リナが厨房の入り口で止まった。
「なんか、楽」
「気流が改善された」
「汗、減ってる」
「熱がこもらない」
リナはしばらく厨房の中に立っていた。風を感じている。顔が少し
ほぐれた。
「……まぁ」
言いにくそうに。
「ええかもしれへん」
「ありがとうございます」
「褒めてへんからな!」
――
夕方。
裏庭の試作機は、まだ回っていた。日が落ちてくる。空が橙になる。
試作機の回路が青白く光る。魔石が中心で脈動する。一定のリズムで。
光って、少し落ちて、また光る。
羽根の回路に光が流れる。四枚の羽根を、途切れなく巡る。円環の
ように。
路地の向こうから、子どもの声がした。
「あっ」
泣き声ではなかった。
「ひかってる!」
子どもが裏庭の入り口から顔を覗かせていた。目が丸い。怖がっていない。
むしろ、目が輝いている。
「光っとるな!」
リナが叫んだ。
「怖くないの!?」
「きれい!」
「きれいじゃないやん!呪物やろ!」
「ひかってる!まわってる!」
子どもは入ってきそうな勢いだった。リナが慌てて止める。
メリアは試作機を見ていた。
「効率は上がりました」
(改良余地は、まだある)
れもんが静かに言った。
「わかっている」
回転は止まらない。光は流れる。風は続く。洗濯物はもう、ほとんど
乾いていた。




