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焼き立てと不思議な踊り

第16話 焼き立てと不思議な踊り


 夜の酒場は、赤く光っていた。窯の奥で火が回っている。ドームの内側に

沿って、静かに流れている。昼とは違う。今は、火も音も、すべてが場に

溶けていた。


「今日は祝いだ!」


 ガドが笑う。


「食ってけ!」


 テーブルは埋まっていた。常連が何人か。レオンとリナもいる。皿が並び、

酒が置かれ、焼きたての熱が漂っている。


 メリアは壁際にいた。座って、見ている。賑やかな場所は得意ではない。

でも、悪くはなかった。


     ⸻


 焼き立てが運ばれた。皿に乗る。香りが立つ。チーズが伸びる。レオンが

一口食べた。少しだけ間があった。


「……これは売れる」


 短く言った。


 リナが笑う。


「うち、毎日食べるわ!」


「食いすぎるなよ」


「無理や!」


 ガドが笑う。


「だろ?」


 皿が空になる。早い。もう一枚が運ばれる。また空になる。それも早い。

酒場の空気がほぐれていく。声が重なり、笑いが重なる。


 メリアは壁際から、その様子を見ていた。


     ⸻


 ふと。テーブルの中央、誰も触れていない皿が、少しずつ軽くなっていた。

わずかに。まるで浮いたように見えて、消える。


 メリアの視線だけが横へ動いた。れもんだった。もぐもぐしている。表情は

変わらない。尻尾がゆっくりと揺れていた。


「……それ」


 メリアは小さく言う。


「れもんのじゃない」


(共有資源)


「違う」


(取得順、最適化)


「盗ってる」


(取得)


「同じ」


 外からは、ただの独り言だった。


 リナが笑う。


「また一人で喋ってるわ」


 レオンが肩をすくめる。


「ほっとけ」


 皿がまた軽くなる。誰も触れていない。でも減る。


 ガドが眉をひそめた。


「……減り、早くねぇか?」


 リナが手を止める。


「うち、そんな食べてへんで?」


「俺もだ」


 その隙に、もう一切れ消えた。ガドが笑った。


「まあいい!うまけりゃ減る!」


 手を振った。誰も深く考えなかった。


     ⸻


「祝いだ!何かやれ!」


 常連の一人が言った。酒が入っている。声が大きい。


 リナが身を乗り出す。


「メリアちゃん、何かやって!」


 メリアは少しだけ遠くを見た。前世の断片が浮かんでくる。人が集まる

場所。音楽。揺れる人の輪。画面の前で誰かが倍速で踊っていた記憶。

あれは何だったか。腕を上げて、左右に揺れて、何かを叫ぶやつだ。


「……こういうの、あった気がします」


 立ち上がった。


 両腕を上げる。肘を曲げて、手のひらを頭の横に揃える。そのまま、

身体ごと左右へ。


 ぶん……ぶん……。


 わずかにズレる。揺れ幅も一定じゃない。口から、音が出た。意味と

いうより音で、前世でよく聞いた何かの断片だ。


「オッオッ……オアオア」


(原型動作一致率、六十九パーセント)


 れもんの声が、頭の中で響いた。


「問題ない」


 外からは独り言。もう一度。ぶん、ぶん。今度は速い。速すぎる。肩が

先に動いて、腰が遅れる。リズムが崩れる。


「オア……オア?」


(一致率、四十三パーセントに低下)


「うるさい」


 レオンが吹き出した。


「誰に言ってんの?」


「独り言」


 即答。


 リナが首を傾げた。


「それ、何なん?」


 メリアは少し考えた。前世の記憶を探る。確か、名前があった。


「チャラメルデンセン」


 自信満々に言った。


(違う)


 れもんの声が、即座に来た。


「……」


 メリアは少し止まった。


(名称、不正確)


「……チャラメル、ではない?」


(チャラメルではない)


 それ以上の訂正は来なかった。


「……何かのダンス」


 メリアは言い直した。リナが笑った。


「何かのダンスて!」


「前世で見た」


「前世て、また昔の話や」


     ⸻


 その横で、れもんが動いた。両腕を上げる。角度が揃う。


 ぶん。ぶん。ぶん。ぶん。


 速い。均一。正確。身体全体が同じ周期で揺れる。妙に完成度が高い。

メリアにしか見えないところで、それは続いていた。


(原型動作一致率、九十二パーセント)


「……速い」


(最適化済み)


 メリアはもう一度やった。今度は遅くしてみた。


 ぶん。


 間が空く。


 ぶん。


「オ……アオア」


(一致率、三十一パーセント)


「うるさい」


 リナが腹を抱えた。


「どんどん下手になってへん!?」


「誤差」


「誤差ちゃう!」


     ⸻


 リナが真似した。両手を上げる。ぶん、ぶん。


「オッオッオアオア!」


 常連が続く。ぶん、ぶん。誰も正解を知らない。でも揃う。四拍子。左右。

反復。知らない動きなのに、なぜか身体がついてくる。


 ガドまで両手を上げた。


「なんだこれ、楽しいな!」


 酒場が揺れる。皿が揺れる。灯りが揺れる。


 れもんだけが別だった。速い。正確。均一。ぶん、ぶん、ぶん、ぶん。

もぐもぐしながら揺れている。誰にも見えない場所で、完璧なリズムを

刻んでいた。


 皿がまた軽くなる。誰も触れていない。でも減る。


「……食べすぎ」


 メリアが小さく言う。


(エネルギー要求、増加)


「ほどほどに」


(最適摂取量の範囲内)


「違う」


 リズムはばらばらだ。でも空気は一つだった。酒場の中の熱が、窯の熱と

混ざって、どこへも逃げなかった。


     ⸻


 夜。片付け後の酒場は静かだった。火は落ちている。皿は空。匂いだけが

残っている。窯はまだ少し温かかった。


(楽しい記憶、保存完了)


 れもんの声が、静かに来た。


「うん」


 メリアは頷いた。


 灯りが一つ残っていた。ガドがまだ片付けをしている。レオンとリナは

さっき帰った。常連たちも、笑いながら出ていった。


 今日のことを言葉にしようとして、うまくいかなかった。窯が完成したこと、

ピッツァルクスが生まれたこと、酒場が揺れたこと。そのどれもが、今日

起きたことだった。


 メリアは外へ出た。港の灯りが水面に揺れている。秋の夜風が、頬を撫でた。

明日も、誰かが来るかもしれない。ピッツァルクスを食べに。あの踊りをしに。

それとも、また別の問題を持って。


 それでいい、と思った。


     ⸻


 翌朝。


 港の石畳を、子どもが走っていた。両手を上げる。ぶん、ぶん。


「オッオッオアオア!」


 船乗りが笑った。


「昨日の酒場のやつだ!」


 真似する。揺れる。港通りを行き来する人の間で、それは広がっていく。

ピッツァルクスの匂いと一緒に。誰が始めたのか、もう誰も知らない。ただ

揺れる。ただ笑う。前世の誰かが画面の前でやっていたことが、世界をひとつ

越えて、港町の朝に溶けていた。

挿絵(By みてみん)

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