表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/38

熱の逃げ道

 翌日のギルドは、昼の依頼が重なって少し賑やかだった。声が飛び交い、

足音が石床に響く。掲示板の前に人が集まり、受付に列ができている。秋の

昼の光が窓から差し込んで、埃が浮いて見えた。


 その中で、リシェルが静かに言った。


「建物は、壊さないでくださいね」


 柔らかい声だった。でも、はっきりしている。


 メリアは頷いた。


「壊さない」


 横でガドが笑う。


「壊れねぇよ!俺の酒場だぞ!」


「……念のためです」


 リシェルは少しだけ目を細めた。


「ご無事を、お祈りしています」


 送り出す声は、穏やかだった。


     ⸻


 港通りは、潮の匂いが昨日より強かった。朝方に雨が降ったらしく、

石畳が少し濡れている。荷車が通り過ぎるたびに水が跳ねた。ガドが

先を歩く。歩幅が広い。


「今日は徹底的にやるぞ、嬢ちゃん」


「わかった」


 短い返事。


 ガドは振り返らずに笑った。


「言葉が少ねぇな」


「必要なことは言う」


「まあ、いい」


 酒場の扉を押し開ける。熱気が出迎えた。


     ⸻


 裏手の窯の前に立った。昨日と同じ場所だ。でも今日は、ガドが薪を

追加していた。


「昨日より火を大きくした。足りねぇなら足す、それが料理だ」


 炎が大きくなる。暴れる。揺れる。形が定まらない。窯の奥の方がすでに

黒くなり始めていた。口に近い側はまだ色が薄い。昨日と同じ偏り方だった。


 メリアは手をかざした。陽炎が立つ。目を細める。


(熱滞留率、低値。口からの逃逸、顕著。薪を増やしたことで悪化している)


 れもんの声が、頭の中で響いた。


「上に全部逃げてる」


 メリアが言った。


 ガドが舌打ちする。


「だから逃がすなって言ってんだろ」


「逃げ道がある」


 メリアは窯の口を見た。熱い空気が一直線に抜けていく筋が見える。陽炎の

揺らぎとして、はっきりと見えた。薪を増やしたことで火は大きくなった。

でも熱が留まらなければ、火を大きくするほど余計に逃げていく。


「逃げ道を、なくす」


 メリアは床にしゃがんだ。指で石床に線を描く。


 円。それを半分に割った形。


「蓋じゃない」


「じゃあ何だ」


「丸くする。窯の口を狭めて、上昇した熱が壁にぶつかるようにする。

そこで向きが変わって戻る。回る」


 指がなぞる線を目で追いながら、ガドが腕を組む。


「……窯の中で回るのか?」


「外の冷たい空気も引き込まれにくくなる。熱が溜まる」


(対流循環。口の形を変えることで効率が大きく上がる)


 れもんの補足が来た。メリアはそれを自分の言葉に換えた。


「熱が回れば、どこかが焦げてどこかが生、ということがなくなる」


 ガドはしばらく黙っていた。完全には理解していない。でも、何かは掴んだ

顔だった。


「……回るならいい」


 短く言った。


     ⸻


 石を積み始めた。ガドの手が大きい。石を運ぶ速度が速い。粘土を塗る

手つきは荒いが、迷いがない。材料を選ぶ目が、料理人のそれとは違う

鋭さを持っていた。


「こんな感じか?」


「もう少し丸く。上の曲がりが足りない。もっと内側に」


「どのくらいだ」


「これくらい」


 メリアが手で形を示す。緩やかな弧。


(現状では口の上部で熱が逃げる。もう少し絞る必要がある)


 れもんの声。


「もう少し」


「細けぇな!」


 ガドが笑いながらも、手を止めない。石を一つ取り直す。角度を変える。


「これか」


「いい」


「本当にいいのか」


「いい」


 ガドは鼻を鳴らして続けた。少しずつ形が変わっていく。角ばっていた

縁が丸くなる。上部が内側に向かって閉じていく。熱の逃げ道が、狭まって

いく。汗が落ちた。


 メリアは横から見ていた。修正が必要な時だけ言う。それ以外は黙って

いる。ガドも余計なことを言わない。石が重なっていく音だけが、しばらく

続いた。


「こっちでいいか」


「少し右」


「右か」


「うん」


 ガドは文句を言いながらも、直した。


     ⸻


 形が整った頃には、ガドの服が汗で湿っていた。まだ粗い。継ぎ目に隙間が

ある。粘土が乾いていない。でも、形はできていた。さっきまでとは明らかに

違う。口が絞られて、内側が丸みを帯びている。熱が逃げにくい形になっていた。


「いい感じ」


 メリアが言った。


 ガドが頷く。息を吐いた。腕を伸ばす。それから、真剣な顔になった。


「生地を作る」


「生地?」


「焼くんだよ。こういう形の窯で焼くものがある」


 ガドは厨房の奥に入った。少しして、丸めた生地を持って戻ってくる。

平たく広げる。具材を乗せる。手つきが変わっていた。さっきまでの石工の

手ではなく、料理人の手だった。


「これ、絶対うまい」


 ガドが言う。確信めいた声だった。


 火が入った。炎は、さっきより静かだった。口が絞られて、熱が逃げにくく

なっている。留まる。回る。見えない流れが、窯の内側で形を作っていた。


 ガドは腕を組んで見ていた。メリアは火を見ていた。しばらく、二人とも

何も言わなかった。


 やがて、焼ける匂いがした。焦げではない。何かが熱を受けて変わっていく、

香ばしい匂いだった。


(表面温度、均一。内部対流、発生中。このまま維持できる)


 れもんの声が、静かに来た。


 ガドが鼻を鳴らした。


「いい匂いだ」


「うん」


 メリアは答えた。答えながら、窯を見ていた。昨日、ガドが「また来て

くれ」と言った時、次に来る理由があるとは思っていなかった。でも今、

この窯の前に立って、炎が静かに揺れているのを見ていると、次があっても

悪くないと思った。


 理由は、うまく言葉にならなかった。ただ、熱が逃げずに、ちゃんと

そこに在った。それだけで、十分な気がした。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ