かまどの悲鳴
昼下がりのギルドは、穏やかだった。
秋の陽が窓から差し込んで、石床に長い影を作っている。掲示板の前には
人影がまばらで、午前中の喧騒はない。依頼帰りの冒険者が一人、二人と
報告を済ませて出ていく。
受付の奥で、リシェルが書類を整理していた。羽ペンを走らせる音だけが、
静かに響いている。
「……決まらん」
レオンがぼやいた。
「受けたい依頼の話か?」
隣の冒険者が笑う。
「ちがう、昼飯が決まらん」
「それは自分で決めろ」
笑い声が上がる。そんな、平和な時間だった。
扉が——
勢いよく開いた。
「誰か頭の回るやついねぇか!」
空気が止まる。視線が一斉に入口へ向いた。
大柄な男だった。煤けた服。腕を組んだまま、苛立ったように辺りを見回して
いる。顎に無精髭。目つきは鋭いが、どこか人の好さそうな顔をしていた。
リシェルが顔を上げた。羽ペンを置く。
「当ギルドは、魔物討伐および依頼斡旋を主とした——」
「窯が暴れてんだよ!」
言葉を遮った。ざわめきが広がる。
「……窯、ですか?」
リシェルが一瞬だけ言葉を選ぶ。
「下は炭だ!上は生だ!ふざけてやがる!」
「……炉の、ご相談でしょうか?」
「そうだ!」
即答だった。
リシェルは一瞬だけ目を閉じた。それから、柔らかく言った。
「申し訳ありません。当ギルドは調理の専門機関ではございませんので——」
「じゃあ誰に聞きゃいいんだよ!」
場が少し荒れる。レオンが苦笑しながら席を引いた。
そのとき。
「構造の問題です」
小さな声だった。だが、はっきりと通る。メリアだった。窓際の席に
座ったまま、顔だけを上げている。
リシェルが振り向いた。
「メリア?」
大柄な男が目を細めた。
「構造?」
「窯を見ないと分かりません」
淡々とした声だった。リシェルは少しだけ考えた。視線を落とし、すぐに
上げる。
「……街の困りごとへの対応も、広い意味ではギルドの活動範囲に含まれ
ます。今回は例外として、対応を許可します」
男がにやりと笑った。
「話が早ぇ」
レオンが小さく呟く。
「……行くのか」
メリアは立ち上がった。
「行く」
⸻
港通りは、潮の匂いが濃かった。石畳は少し湿っていて、人の往来が
絶えない。呼び込みの声。荷を運ぶ足音。荷車の軋み。生活の音が重なって、
秋の午後の空気に溶けていた。
「こっちだ!」
男が先を歩く。歩幅が広い。メリアは少し速足で追いかけた。
男が指差した先に、煤けた看板があった。酒場だ。扉を開けると、熱気と
匂いが流れ出てくる。昼の仕込み時間らしく、奥の方から油のじゅうじゅうと
いう音がしていた。
「見りゃ分かる!」
男が奥へ進む。
⸻
裏手に出ると、石造りの窯があった。丸みを帯びた形をしている。口が前に
開いていて、中に薪がくべてある。外壁はそれなりに厚い。職人の手が入った、
悪くない作りだった。
でも、火が揺れていた。不規則に。強くなったり、弱くなったり。炎の形が
定まらない。窯の中を覗く。奥の方はすでに焦げている。入口に近い側はまだ
生だ。均一に熱が回っていない。
「ほら見ろ!」
男が指差す。
「ふざけてんだろ!」
「怒鳴っても直らない」
メリアは静かに言った。男は少しだけ黙った。
メリアは窯に近づいた。何も言わない。手をかざす。
陽炎が立つ。目を細める。
(熱流、奥から口へ一方向。対流発生なし。口付近で急速に外気と混合している)
れもんの声が、頭の中で響いた。メリアは小さく頷いた。
「熱が、留まっていない」
男が眉をひそめる。
「留まってない?」
「口から逃げてる」
窯の口、空気が歪んでいる。熱が抜けていく筋が、陽炎の揺らぎとして
見えた。石の壁は厚いのに、肝心の熱は前から出ていってしまっている。
奥が焦げて、手前が生になる理由が、はっきり見えた。
「火は起こせている。でも窯の中で熱が回る前に、口から出ていってしまう」
「……なんでだ?」
「窯の口が大きすぎる」
メリアは窯の形を見た。作り自体は丁寧だ。ただ、開口部が広い分、外の
冷たい空気が常に引き込まれていた。熱い空気が出て、冷たい空気が入る。
それが繰り返されるから、窯の中に熱が溜まらない。
「口を塞げばいいか?」
「完全には塞げない。薪に空気が要る」
「……じゃあどうする」
男が腕を組む。完全には理解していない。でも、何かは掴んだ顔だった。
⸻
「外から押さえます」
メリアが言った。
「外から?」
「口の周りを、見えない壁で囲う」
手で形を作る。窯の口を半分覆うような、緩やかな曲面。
「外の冷たい空気が入りにくくなる。熱が窯の中に溜まる」
男の目が光った。
「……おもしれぇ」
口元が吊り上がる。
「で、それをどうやって——」
「風で」
メリアは答えた。
「冷たい空気を弾くように、外側から流れを作る。壁は見えないけど、
熱は通さない」
男はしばらく黙っていた。それから、低く笑った。
「嬢ちゃん、面白いこと言うな」
「構造の話をしているだけ」
「俺には十分面白い」
男は腕を組んだまま、窯を見た。
「それで、均一に熱が通るのか?」
「通る。熱が留まれば、窯の中で空気が動く。奥から口へ、口から奥へ」
「……窯が自分でかき混ぜるってことか?」
「近い」
男は少しだけ前に乗り出した。
「嬢ちゃん、料理人か?」
「違う」
「魔法使いか?」
「……一応」
「一応て何だ」
(魔法使いで合っている)
れもんの声が、頭の中でぽつりとした。メリアは小さく頷いた。
「……そう」
⸻
「できるのか?」
男が問う。
メリアは少しだけ考えた。ほんの一瞬。
「できる」
(出力は抑えめに。窯の温度が上がりすぎると石が割れる可能性がある)
れもんの補足が来た。メリアはその言葉を口にした。
「ただし、急に熱くしすぎると石が割れる。少しずつ」
「分かった。焦らなくていい」
男がかまどの前に立った。薪をひとつ足す。それから、メリアに顎を
しゃくった。
「やってみせてくれ」
メリアは手を動かした。
風を整える。細く、窯の口を沿うように外側から流れを作る。冷たい
外気が引き込まれないよう、緩やかに、でも確実に押さえる。
窯の中の様子が変わり始めた。炎の揺れが、落ち着いていく。奥の焦げた
部分も、手前の生の部分も、少しずつ同じ色になっていく。
男が黙って見ていた。腕を組んだまま。でも、目は動いていた。口が、
少し開いていた。
「……落ち着いてる」
「熱が回ってる」
「均一になってきてる」
「窯が仕事をしてる」
男はしばらく窯を見つめた。炎が、今度は静かに揺れていた。乱れて
いない。それだけのことなのに、別の窯のように見えた。
男はゆっくりと笑った。大きな笑い方だった。
「嬢ちゃん」
「なに」
「名前は?」
「メリア」
「俺はガドだ」
ガドは窯を見ながら言った。腕を組んで、どこか満足そうな横顔だった。
「また来てくれ」
「……また?」
「次は別の問題がある」
「何が」
「石窯の底が熱を持ちすぎる。上と下で温度差が出る」
メリアは少し考えた。
「それも熱の流れの問題かもしれない」
「だろうな」
ガドは笑った。
メリアは窯をもう一度見た。炎が静かに揺れている。さっきまでの不規則な
暴れ方がなかった。ただそれだけのことが、この男にとってはずいぶん大事な
ことらしかった。
(次の依頼、受けるの?)
れもんの声が、頭の中で静かに響いた。
メリアはしばらく炎を見ていた。
「……考える」
「何か?」
ガドが振り向く。
「何でもない」
メリアは答えた。
秋の午後の光が、窯の石に斜めに差し込んでいた。炎の色と混ざって、
赤みがかった橙になる。その中で火は静かに揺れ続けていた。
ガドがもう一度、今度は小さく笑った。
「いい仕事だ、メリア」
メリアは何も言わなかった。でも、その言葉を少しだけ聞いていた。




