言わないという選択
翌日のギルドは、いつも通り騒がしかった。
朝の光が窓から差し込み、掲示板の前には何人かの冒険者が集まって
いる。依頼票をめくる音。靴が石床を踏む音。受付の呼び声。
レオンは掲示板の前に立っていた。依頼票を眺めながら、少しだけ
別のことを考えていた。
昨日の食堂。消えた料理。独り言。
「レオン」
声がした。振り向く。メリアが立っていた。銀の髪、白い外套、
セルリアンブルーの瞳。赤くない。普通の目だ。
「依頼、行く?」
短い。レオンは一枚の依頼票を剥がした。
「これ、どう?」
小型魔物の討伐。森の外縁に出る害獣。危険度は低い。メリアは見て、
「それにしよう」
それだけ言った。
⸻
森の外縁は、昨日より浅い場所だった。木々の間隔が広く、昼の光が
十分に差し込んでいる。湿った土の匂い。葉擦れの音。街の喧騒がまだ
遠くに残っていて、森と街の境目にいる感じがした。
しばらく歩いた。メリアは周囲を観察しながら進んでいる。足元を
確かめ、枝の隙間から光の角度を見て、何かを確認するような目を
していた。昨日の森でも同じだったはずだ。ただあの時は、それを
見ている余裕がなかった。
茂みが揺れた。
小型の魔物が飛び出す。犬ほどの大きさの獣で、牙を剥いてこちらへ
向かってくる。赤黒い目が光を反射していた。
「来た!」
レオンが剣を抜いて踏み込んだ。その瞬間、地面が静かに盛り上がった。
土が獣の足を絡め取るように止める。同時に風が走り、獣の体が横へ
転がった。
メリアだった。片手を軽く動かしただけ。表情は変わっていない。瞳も
青いままだ。
魔法は静かだった。昨日の森とは違う。荒れていない。余分なものが
何もない。必要な分だけが動いて、それで終わる。
「終わり」
メリアが言う。レオンは剣を下ろして討伐証明を取った。獣の耳を
切り取り、布袋に入れる。それで終わりだった。
木々の間から風が抜けた。葉が揺れ、光がそれに合わせて揺れる。
森は静かに元の時間に戻っていく。
⸻
帰り道は、二人ともあまり喋らなかった。
レオンは少し考えながら歩いていた。昨日の森のことを思い返す。
あの暴走。制御が利かないまま溢れ出した風。でも今日の魔法は違う。
普通だ。むしろ丁寧なくらい。同じ人間が使っているとは思えない
くらい、落ち着いていた。
聞こうと思えば聞ける。あの目の色のことを。なぜ制御が利かな
かったのかを。あれだけの力がどこから来るのかを。
でも聞かない。
メリアは前を歩いている。いつも通りの歩幅で、いつも通りの速度で。
振り返らない。ただ、時折足元の石畳や遠くの空を見ている。何かを
観察しているのか、ただ歩いているのか、レオンには判断できなかった。
まあ、いい。今は追わない。そう思って、街道の先に目を向けた。
⸻
依頼報告を終えたあと、二人は軽く食事をとった。昨日と同じ食堂だった。
窓際の席。焼いた肉の匂い。夕方の食堂は昼間ほど騒がしくない。
仕事を終えた冒険者たちが、疲れた顔でジョッキを傾けている。
でも今日は、料理は減らない。独り言もない。メリアは普通に食べて
いる。パンをちぎり、スープを飲み、串焼きをフォークで切る。昨日と
同じ速さで、同じくらいの量を。でも何かが違う。
レオンはパンをちぎりながら、その様子をぼんやり見ていた。
昨日の食堂には、何かがあった。メリアの視線が横に動くたびに、料理が
減った。独り言が聞こえた。口元が動いた。あの時のメリアは、今より少し
だけ表情があった気がする。
今日はない。それだけのことだ。でも、少しだけ物足りない気がした。
なぜそう思うのか、自分でもよくわからなかった。
⸻
夕方。街の石畳が橙色に染まる頃、道が分かれる場所で二人は立ち止まった。
夕陽が建物の角に引っかかって、長い影が石畳に伸びている。遠くで誰かが
笑う声がした。市場の片付けが始まる時間で、荷車を引く音が通りの向こうから
届いてくる。
「また明日」
レオンが言う。メリアは頷く。
「はい」
レオンは手を上げた。メリアも軽く手を上げる。それだけだった。
二人はそれぞれの方向へ歩き出す。
少し歩いてから、レオンは振り返った。メリアの背中が、夕陽の中を
遠ざかっていく。銀の髪が橙色の光を受けて、少しだけ金に近い色に
見えた。
⸻
空を見上げた。雲がゆっくり流れている。
疑問はある。昨日のこと。あの魔法。あの目の色。でも今は追わない。
守れるようになればいい。それだけだ。
夕焼けが街を染めていた。メリアの背中は、もう見えなくなっていた。




