消える料理
しばらく、二人は黙っていた。
食堂のざわめきが続いている。隣のテーブルでは誰かが大声で笑い、
椅子が引かれる音がした。皿の触れ合う音、酒の匂い、木椅子の軋み。
メルの話が終わったあとの空気は、少し重かった。
そこへ、新しい皿が運ばれてきた。腸詰、スープ、追加のパン。食堂の
匂いが濃くなる。メリアはすぐにフォークを持った。腸詰を切り、口に運ぶ。
レオンはその様子を見て、少し肩の力が抜けた。
「……ほんとに燃費悪いんだな」
「仕様」
「さっきも聞いた」
「仕様は変わらない」
レオンは苦笑した。重かった空気が、少しだけ緩む。メリアはスープに
手をつけた。スプーンでひとすくい、少し冷ましてから飲む。
「……普通」
「感想か、それ」
「感想」
即答だった。レオンはジョッキを持ち上げて一口飲んだ。窓の外はもう
暗い。食堂の灯りが石の壁に反射して、橙色の空気が漂っていた。
レオンが話し始めた。装備の話。剣の手入れが面倒だという話。グリップを
巻き直す金がないという話。
その最中だった。
メリアの目が、ほんの少しだけ横へ動いた。
テーブルの上、鳥の串焼きの皿。さっきまで三本あった串が、いつの間にか
二本になっている。メリアは串を見て、それから視線を少し横に向けた。
れもんが満足そうに口を動かしていた。もぐもぐ。
「……それは私の」
小声だった。
「え?」
「独り言」
「いや今なんか言った——」
「独り言」
即答。フォークは止まっていない。レオンは少し首を傾げたが、話を続けた。
その間に、パンが一切れ減った。メリアが視線を向けると、れもんがパンを
前足で押さえてむしゃむしゃと食べている。満足そうだった。
「……返して」
「え、何が?」
「独り言」
「また——」
「独り言」
メリアはれもんを見た。れもんはメリアを見た。ぱち、と目が合う。尻尾が
ゆっくり揺れた。
「……それはあなたのじゃない」
小さく、しかし真剣な声で言う。れもんは少し間を置いてから、パンを
そっと皿に戻した。半分だけ。
メリアは半分戻ったパンを見つめた。
「……半分」
「演算コスト」とれもんが言う。メリアにしか聞こえない声で。「さっきより
消費が多かった」
「食べすぎ」
「必要経費」
メリアはため息をついた。
レオンがジョッキを置いた。
「メリア」
「なに?」
「豆の皿、さっきより減ってない?」
見ると、確かに減っている。れもんが豆を数粒、器用に前足で転がして
食べていた。
「……蒸発」
「蒸発?」
「豆が?」
「豆は蒸発しない」
「する」
「する?」
「たまに」
レオンはしばらく黙った。それからジョッキを持ち上げた。まあ、そういう
ことにしておくか、という顔だった。
その間にも、スープのスプーンが一本、静かに動いた。
メリアは小声でれもんに言った。
「……もう食べない」
れもんは少し考えるように首を傾ける。
「ゲージが」
「ダメ」
「でも」
「ダメ」
れもんは尻尾を一度振って、大人しく座った。
メリアはスープを飲んだ。しばらくして、れもんがテーブルの端を前足で
ちょんと叩いた。メリアを見上げる。丸い目。尻尾がゆっくり揺れている。
メリアは少し目を細めた。……仕方ない。スープをスプーンで一杯すくって、
テーブルの端に置いた。れもんは顔を近づけて、ちびちびと飲み始めた。
その様子を見ていたら、口元が少し動いた。本当に、少しだけ。
楽しかった。
レオンはその顔を見ていた。さっきまでメルの話をしている時のメリアは
静かだった。表情が動かない。ただ聞いている。今は違う。何かと話して
いるような目をして、視線が少し横にある。口元が緩んでいる。同一人物
なのに、全然違う顔だった。
レオンはジョッキを持ったまま、少し黙った。あんな顔もするんだ、
と思いながら。
食事が終わりに近づいた頃、レオンは最後のパンを手に取った。
「さっき」と何気なく言う。「誰と喧嘩してたんだ?」
メリアはほんの少しだけ止まった。視線が横に流れる。れもんを見る。
れもんは知らない顔で座っている。尻尾だけがゆっくり揺れていた。
「……独り言」
レオンはそれ以上聞かなかった。「そっか」とパンを食べた。
食堂のざわめきは変わらない。灯りが揺れる。遠くで誰かが笑う声がした。
レオンの頭のどこかに、小さな違和感が残った。独り言。本当に、そう
だったんだろうか。
⸻
店を出ると、夜の空気が少し冷たかった。
ギルドの灯りが背中に残る。石畳の上を、二人は並んで歩いた。どちらも
特に話すでもなく、方向が同じだから並んでいる、それだけの距離感だった。
荷馬車がそばを通り過ぎ、遠くで波の音がした。港町の夜はいつも、どこかで
海の気配がある。
少し歩いてから、レオンが言った。
「俺、強くなりたいんだ」
独り言みたいな声だった。さっきの話の続きでもあり、そうでもない。ただ、
声に出したかった。それだけだ。
メリアが少し止まった。振り返らない。少し考える。それから…
「……なれる」
根拠は言わない。理由もない。ただ言い切る。
レオンは目を瞬いた。
「……ほんと?」
メリアは歩き出す。「うん」
レオンは少し笑った。何がそう思わせたのか、自分でも分からない。根拠の
ない言葉だと分かっている。それでも、胸の奥の何かが、少し軽くなった気が
した。
灯りが石畳に落ちて、影が伸びる。二人の足音が夜の街に続いていく。
レオンはもう一度、さっきのメリアの言葉を思い出した。なれる。それだけ
だった。でも、それで十分だった。




