運河の舟
橋を降りると、すぐに運河の縁へ続く石の階段があった。その下に小さな
舟が一艘浮かんでいる。船頭がこちらを見上げていた。
「舟どうだい!」
少し掠れた声だ。メリアは運河を覗き込む。ゆっくりと水が流れ、舟は軽く
揺れていた。
リシェルが船頭に尋ねる。
「二人ですが、いくらですか?」
船頭は指を二本立てた。
「渡し賃でいいさ」
普通の料金だった。観光舟というより、街の足のようなものらしい。
リシェルが頷く。
「ではお願いします」
舟が岸に寄せられ、リシェルが先に乗る。それからメリア。舟底がわずかに
揺れた。
「……不思議な感じです」
陸とは違う揺れだった。船頭が竿を押すと舟が岸を離れ、水面が静かに
波紋を広げる。すぐに橋が近づいてきた。石のアーチの影の下へ舟が入り、
ひんやりした空気が流れる。そして橋を抜けると、視界が開けた。
運河だった。石造りの家々が両側に並び、壁は水際まで続いている。窓の
下には小さな船着き場、洗濯物が張られたロープが通りの上を渡っていた。
メリアはゆっくりと周囲を見回した。
「……街を下から見るのは、初めてです」
「そうでしょうね。ポルタ=ルクスは水路の街ですから」
舟は静かに進む。竿が水を押す音だけが聞こえる。前方から荷舟がやって
来た。木箱が山のように積まれている。船頭同士が軽く手を上げて挨拶を
交わした。
「運河は、街の道なんですね」
「はい。荷物も人も、全部ここを通ります」
舟はまた小さな橋をくぐる。橋の上では子供たちが身を乗り出して下を
覗いていた。
「おーい!」
「落ちんなよ!」
船頭が笑い、子供たちが笑う。メリアはその光景をじっと見ていた。
「……賑やかな街ですね」
「港町ですから」
そのとき、船頭がふと振り返った。
「嬢ちゃん、初めてかい?」
「初めてです」
「そりゃ驚くだろうな」
竿を押しながら続ける。
「この街、橋が多いだろ」
「はい」
「数えたことはないがな。まあ、たくさんある」
リシェルが苦笑する。
「正確な数は誰も知りませんね」
「だろうな。橋も増えるし、壊れるし」
舟はまた水路を曲がった。細い運河で、建物の壁がすぐ近くに迫っている。
「昔はな、この運河、荷舟ばっかりだったんだ」
「そうなんですか」
「ああ。今でも多いけどな」
ちょうどそのとき、横の水路を大きな荷舟が通り過ぎた。木箱、樽、
布の束。メリアは静かにそれを見ていた。街が水で動いている、そんな
印象だった。
舟はやがて広めの水路に出る。水面がゆるやかに揺れていた。メリアは
水を見下ろした。透明で、底まで見える。小さな魚が泳いでいる。
「……きれいですね」
「リュクス河の水だからな」
「リュクス河?」
「この街の水源さ。山の方から流れてくる」
リシェルが頷く。
「聖峰アルケシオンの方ですね」
メリアは水面を見つめた。澄んだ水が、静かに流れている。
「……なるほど」
観察するような目だった。
やがて舟は岸に近づき、石の階段の前で止まった。
「ここだ」
リシェルが先に立ち上がる。
「ありがとうございました」
料金を渡すと、船頭は帽子を軽く上げた。
「また乗りな」
メリアも舟を降り、石の階段を上がる。通りへ出ると、少し落ち着いた
雰囲気だった。市場の喧騒はもう聞こえない。
「この先に、いいお店があるんです」
「お店?」
「はい。少し休憩しましょう」
ふたりは運河沿いの通りを歩き始めた。水の街の散歩は、まだ続いていた。




