デートではありません!
夕方の冒険者ギルドは、昼間の熱を少しずつ失い始めていた。依頼掲示板の
前にいた人影もまばらになり、報告窓口に並ぶ列も短い。昼間なら飛び交って
いる怒鳴り声や笑い声も、今は木造の広い空間にほどよく散って、どこか落ち
着いた響きになっていた。
メリアは報告書の控えを受け取りながら、小さく周囲を見回した。
「この時間は、人が少ないですね」
受付の奥で帳簿を閉じかけていたリシェルが、顔を上げる。
「夕方は落ち着くんです。朝と昼は出発する人と帰ってくる人が重なるので、
どうしても騒がしくなってしまって」
「なるほど……」
メリアは素直に頷いた。夕方のギルドは昼間より少しだけ表情が見えやすい。
冒険者たちは武器を背負ったままでもどこか気が緩んでいて、受付嬢たちも
ようやく呼吸を整えられる時間なのだと分かる。
リシェルは書類を揃え、控えめに微笑んだ。
「こういう時間の方が、私は好きです。ちゃんと一人ずつ話せるので」
「……リシェルさんらしいです」
「そうですか?」
「はい。急いでる感じが、あまり似合わないので」
リシェルは少しだけ目を丸くして、それから困ったように笑った。
「褒められているのか、のんびりしていると言われているのか、少し悩みますね」
「たぶん、両方です」
メリアが真顔で答えると、リシェルは小さく吹き出した。
笑ったあと、ほんの少しだけ沈黙が落ちる。帳簿の角を指先で揃えながら、
リシェルは何かを考えているようだった。視線が一度だけ泳ぐ。言うかどうか、
迷っている時の顔だと、メリアにも分かった。
「あの……」
「はい」
「明日、休みなんです」
「そうなんですね」
「それで……もし予定がなければ、街を案内しようかなって」
メリアは少しだけ首を傾げた。
「街を」
「はい。まだ、全部は見ていないでしょう?市場とか、服屋さんとか、
お菓子屋さんとか……その、観光向きの場所もありますし」
「なるほど」
メリアは考える。案内、休み、ふたり。
「……デート?」
「違います!」
返答が速かった。周囲にいた別の受付嬢が、ちらっとこちらを見た気がした。
リシェルは耳まで赤くして、慌てて声を落とす。
「違います。街案内です。普通の、健全な、案内です」
「健全なんですね」
「はい!」
「分かりました。じゃあ、街案内で」
「……はい。街案内です」
リシェルは自分に言い聞かせるみたいに、もう一度繰り返した。
⸻
夜、仕事を終えて自室に戻ったリシェルは、扉を閉めたあとでようやく
長い息を吐いた。
「……何を言ってるんでしょう、私は」
誰もいない部屋で呟く。けれど一度口にしてしまった以上、もう後には
引けない。
クローゼットを開く。服が数着、丁寧に掛けられている。その中から、
一着の服に視線が止まった。淡い青のワンピース。少し前にサイズが合わなく
なって着なくなったものだ。捨てるには惜しくて、けれど自分で着ることは
もうないと思っていた。
リシェルはそれを取り出し、両手で広げてみる。
「……あの子、青が似合うと思うんだけど……」
銀の髪に、セルリアンブルーの瞳。たぶん、似合う。いや、きっと似合う。
しばらく迷ったあと、リシェルはワンピースをやわらかい布袋に入れた。
その仕草だけが、言葉よりずっと正直だった。
⸻
翌朝、月兎亭の前には少しだけ緊張した顔のリシェルが立っていた。手には
布袋。宿の扉が開き、先に顔を出したのはリナだった。
「おっ、来た来た。朝からえらい気合い入ってるやん」
「おはようございます、リナさん」
「おはよ。……って、ほんまに来たんやなあ」
にやにやしている。その視線の意味は分かっているので、リシェルは聞こえない
ふりをした。
少しして、メリアが階段を下りてくる。いつもの冒険者服だった。白と青を
基調にした装備は彼女によく似合っている。けれど今日の目的を思うと、
少しだけ硬い。
リシェルは一瞬迷って、それから布袋を差し出した。
「その服だと、歩きにくいですよね」
「そうでしょうか?」
「市場の方まで行くと、人も多いですし……その。お古なんですけど、
よかったら、どうかなって」
メリアは袋を受け取り、中を見る。淡い青のワンピース。
「……きれい」
その一言に、リシェルの肩から少し力が抜けた。
「サイズもたぶん大丈夫だと思うので。嫌じゃなければ……」
「嫌じゃないです。着てみます」
そのやり取りを見ていたリナが、ぱっと笑う。
「ええやん!完全にデートやん!」
「違います!」
今日も速い。リシェルの否定にかぶせるように、メリアが静かに言った。
「デートですよね?」
「違います!」
「二回言いました」
「大事なことなので!」
リナはお腹を抱えて笑う。
「もー、朝からおもろすぎるやろ。ほな、メリアちゃん、
着替えておいでや。ウチも見る」
⸻
ワンピースに着替えたメリアが、そっと扉を開けて出てくる。リナが先に見て、
目を丸くした。
「ええやん!めっちゃええやん!何やこれ、普通にお嬢さんやん!」
思わず拍手する。メリアは自分の袖を見下ろした。
「……動きやすい」
「そこなんや」
リナが笑う。そこへ、リシェルが視線を上げた。そして、固まった。
淡い青のワンピースは、思っていた以上にメリアによく似合っていた。銀の髪が
光を含んで、涼しげな色味と溶け合っている。冒険者の装いの時よりもずっと
年相応で、やわらかく見えた。
「……似合ってます」
ようやく出た声は、小さかった。
「ありがとうございます」
メリアは素直に礼を言う。リナがにやっとする。
「ほらなあ。やっぱデートやん」
「違います!」
「分かりました。街案内です」
メリアが真面目に頷くと、リシェルは少しだけ肩を落とした。
「そうです。街案内です」
「でも、楽しみです」
メリアのその一言に、リシェルは一瞬だけ目を見開く。それから、やわらかく笑った。
「……私もです」
リナが両手を振る。
「ほな、楽しんできぃや!」
「行ってきます」
宿の扉が開く。朝の光が差し込む。青いワンピースの裾が揺れ、リシェルの
スカートの端がそれに並ぶ。
ふたりは並んで、月兎亭の前の石畳へ足を踏み出した。まだ少しぎこちない
距離のまま。でも確かに、昨日までより少しだけ近い距離で。




