第51話「Sランクへの電話と、準備の朝」
朝の光がリビングに差し込んでいる。
コーヒーメーカーのランプが緑に変わるのを確認してから、スマホを手に取った。
やることは昨夜の段取り通りに決まっており、まずは烈に短く打って送る。
『Sランクに行く。段取りを教えてほしい』
送信し、コーヒーをマグカップに注いで一口飲んだ。
飲み終わる前に返信が来た。
『わかった』
三文字だけで段取りの内容が何も書かれていなかったため、追撃で送ろうとしたらすぐに続きが届いた。
『霧島に連絡させる』
なるほど、実務は副長に丸投げするスタイルらしい。
Sランクのやり方なのかこの人が特殊なのかは判断がつかないが、動いてくれるなら問題ないだろう。
次に天城凛に電話をかけると、呼び出し音が二回鳴ったところで繋がった。
「朝倉くん。おはよう」
声に驚いた様子はまったくないように聞こえた。
「おはようございます。Sランクに挑戦する方向で動くことにしました。報告しておこうと思って」
「そう」
一拍の間があり、凛が言葉を続ける。
「来ると思ってたわ。欠片、あと一個でしょ」
どこで知ったんだと思ったが、聞くのは野暮な気がして黙った。
「タイミングを見てたのよ。あなたたちがどこで動き出すか」
「……見てたんですか」
「Sランクに送り込もうとしてる以上、把握しておく義務があるわ。客分のエンブレム、使い道は分かってる?」
「把握してます。試験の特例申請に必要な推薦という理解ですが……烈さんに頼もうと思っています」
「そうね、それが正解」
天城凛が静かに続けた。
「私のエンブレムは別の形で使ってもらうことになると思う。Sランクダンジョンに入った先の話よ。今はまだ言わなくていい。ただ、覚えておいて」
意味深なことを言ってそれ以上は説明しないのは、彼女のいつものやり方だ。
「分かりました」
「気をつけて。本当の意味で、ね」
通話が切れ、コーヒーを一口飲む。
最後の一言の重さを反芻しながら次の連絡先を開き、つむぎへのテキストは短く済ませるつもりで打った。
『近いうちにSランク素材を持ち帰る予定で動いています。準備をお願いできますか』
送信してコーヒーを飲み切ると、思ったより早く返信が来た。
『ほんとですか!!!!
Sランクの素材!!!!
待ってます待ってます絶対来てください
素体の準備始めます今から始めます
朝倉さんとの合成のことをずっと考えてたので
構想だけなら三パターンあって
もしよければ優先順位を』
感嘆符の数がいつもの三倍あり、興奮が完全に文体を壊している。
続けて『すみません 取り乱しました お待ちしています』と追撃が来た。
今頃工房で顔を赤くして深呼吸しているのだろうと想像したら、少し笑えた。
◇
コーヒーカップをシンクに置いて振り返ると、リビングの入口に立っている栞と目が合った。
いつから聞いていたのかは分からないが、全部聞いていたような顔をしている。
「終わった?」
「ひとまずは」
「烈さん、何て言ってた」
「三文字」
「三文字」
「わかった、って」
「……あの人らしいわね」
栞がソファに腰を下ろして脚を組む。
「なんか、段取りが多いな」
俺が言うと、栞は一瞬だけ目線を上げた。
「当然でしょ。あなたが今まで保留にしてきた人たちが全部、同時に動き出してるのよ」
ちょっと刺さった。
「……保留にしてたつもりはなかったけど」
「してたわよ。烈さんにも、天城さんにも、つむぎさんにも。『今は別にいい』って顔でずっと先送りにしてきたでしょ。それが全部、今日の朝に一斉に動き出してる」
全部その通りだったので、反論しようとしてできなかった。
「……まあ」
「素直に認めなさい」
「……そうだな」
栞が小さく鼻を鳴らし、タブレットを膝の上に置いた。
「ギルドの申請手続き、今日中に確認しに行くわよ。デュオ受験特例の条件が変わってないか確かめる」
「ああ」
「推薦状は烈さんから取る予定なんでしょ」
「そのつもりだ」
「じゃあ段取りはそれほど複雑じゃないはず。申請を出して、推薦状を添えて、試験日を確定させる」
栞の頭の中では既に手順が組まれており、俺より先に整理が終わっていた。
「頼りにしてる」
「……知ってるわよ」
いつも通りの返し方でいつも通り顔を背けたが、今日は背けたまま、少し間を置いてから言った。
「行くわよ。池袋」
◇
平日の昼前にしては人が多い池袋ギルドのロビーで受付カウンターへ向かうと、顔なじみの受付嬢が俺たちを認めてすぐに立ち上がった。
最近はこれがデフォルトになっている。
「朝倉様、神城様。本日はどのようなご用件でしょうか」
「Sランク昇格試験の申請手続きを確認したいんですが」
受付嬢の顔が笑顔のまま一瞬だけ止まり、再起動に一秒かかった。
「……Sランク、ですか」
「はい」
「朝倉様と、神城様の、お二人で」
「そのつもりです」
受付嬢は端末に視線を落とし、画面を操作しながら慎重に口を開いた。
「Sランク昇格試験のデュオ受験特例ですが……Bランクの時と同様、実績が突出している場合に限り二名での申請を認める規定があります。朝倉様方の実績であれば、その条件は十分満たしています」
「他に必要なものは」
受付嬢が一度だけ息を吸う。
「推薦状が必要です。Sランク探索者、もしくはSランク認定を受けたクランのクランマスターからのものに限ります」
隣で栞が俺を見たので、俺も栞を見た。
「心当たりはございますか」
「一人います」
「……どちら様でしょうか」
「神崎烈さんです」
受付嬢の表情が、今度は少し違う止まり方をした。
「……蒼穹の刃のクランマスターの、神崎烈様、ですか」
「はい」
「……承知しました」
プロとしての判断なのだろう、彼女はそれ以上何も言わなかった。
◇
ギルドを出るとスマホに霧島からの着信が入っており、電話に出ると落ち着いた声が届いた。
「朝倉様、霧島です。クランマスターから話は聞いております。今、お時間はありますか」
「あります」
「ではクランハウスまでお越しいただけますか。クランマスターも待っております」
池袋から徒歩十分ほどの場所にある蒼穹の刃のクランハウスは、雑居ビルでも隠れ家でもなく、ビジネス街の一角に構えたそれなりに大きなビルだった。
入口で待っていた霧島が深く頭を下げてから案内してくれた先は応接室ではなく、窓が大きく池袋の街が一望できる会議室だ。
烈は書類も端末も何も持たず、ただテーブルの端の椅子に座っていた。
「来たか」
まったく驚いた様子はない。
「お待たせしました」
「待っていない。今来た」
霧島がわずかに苦笑して椅子を引いてくれ、俺と栞が向かいに座ると、烈は短く言った。
「推薦状を書く。それだけでいいか」
「はい。助かります」
「礼はいらない。俺が書きたいから書く」
端的すぎて返す言葉が見つからず、隣で栞が小さく息を吐いた気配があった。
霧島が取り出して烈の前に置いた封筒へ向かい、烈は万年筆を手に取って一度も止まらずに三分もかからず書き終えた。
「……早いですね」
「書く内容は決まっていた」
封をしてこちらへ渡してきたのを受け取ると、霧島が口を開く。
「朝倉様。クランマスターが推薦状を書いたのは、これが初めてです」
静かに事実としてだけ告げる霧島に対し、烈は特に反応もコメントするつもりもないらしい。
俺は封筒を見て一秒だけ迷い、それから顔を上げた。
「ありがとうございます」
「ああ」
立ち上がった烈を見て話は終わりらしいと思ったが、扉へ向かいかけた足が一度だけ止まった。
「朝倉」
「はい」
「最深部は、今まで潜ったどこよりも濃い。覚悟しておけ」
振り返らずに言ってそのまま出ていった烈を見送り、霧島が深く頭を下げて俺たちを玄関まで送り届けてくれた。
◇
池袋の街へ出ると昼の日差しが眩しく、封筒をダミーリュックに仕舞って歩き出す。
しばらく黙って隣を歩いていた栞が口を開いた。
「世話になりっぱなしじゃない」
「……ご恩は素材で返す」
「最低な返し方ね」
でも否定はせず、そこから少し歩いて栞が続けた。
「霧島さんの言い方、聞いた?」
「聞いた」
「初めてって」
「ああ」
「……あの人、あなたに本気で期待してるのよ。古参アピールなんかじゃなくて」
俺は何も言わなかった。
言葉にするより、黙って受け取る方が正しい気がしたからだ。
◇
タワマンに戻ったのは夕方で、一通り装備を確認する。
翠嵐の刃、黒淵の紅刃、強化レザーアーマー、消耗品の残量。
今の俺たちが持てるものは全部揃っており、問題はない。
収納の奥で道標の石が静かに脈を打っている。
焦りを急かすような熱ではなく、最後の目的地を知っていてただそこへ向かって待っているような鼓動だ。
ステータスボードを開いた。
『夢の扉まで:残り1』
『最後の鍵の在処:S級指定領域以上の魔力を検知』
残り一個。
Sランクダンジョンの最深部という、今まで潜ったどこよりも濃い場所。
画面を閉じると、向かいのソファで栞がタブレットを閉じ、膝の上で手を組んで何も言わずにただこちらを見ていた。
「行くか」
「ええ」
それだけでよかった。
道標の石は収納の奥で、静かに、確かに脈を打ち続けていた。




