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寝落ちで無双〜理不尽にクビにされた社畜が、睡眠スキルで最強の探索者になった件〜  作者:


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第49話 地下水道、二度目

 朝から、道標の石が落ち着かない。

 収納の奥でじわじわと熱を持ち続けているが、これはいつもの欠片のガイドではない。

 ボスが近くにいる時の脈打つような感触とも違い、もっと静かで明確な方向性を持って新宿の方角を指していた。


 タワマンのリビングで、栞がタブレットを持ったまま呆れたように俺の顔を見た。

「また地下水道ね」

「……たぶんそうなるな」

「前より奥に行けると思う?」

「封印が安定してるからな。前は結晶片が引っ張るのに引きずられて判断が鈍ったが、今日はそれがない」


 栞がタブレットの画面をスクロールし、前回の潜入記録を見ていた指が止まる。

「撤退したポイントより先ね」

「ああ、そこに反応がある」

「……分かったわ。行きましょう」


 ◇


 新宿地下水道・深層の入口は、来るたびに嫌な気持ちになる最悪の場所だ。

 湿った空気が肺に入り、鉄錆と下水の匂いが混じり、足元の濁った水がぴちゃぴちゃと不快な音を立てて気分を底辺まで落としてくれる。

 おまけに天井から水滴が落ちてきて首元に当たり、俺は思わず悪態をついた。


「何度来ても最悪だな、ここ。QoLの対極だ」

「同感よ。でもダンジョンに文句を言っても意味がないわ」

「分かってるよ。ただ言いたかっただけだ」


 ドローンを起動すると、さっそくコメント欄に文字が流れ込んでくる。


『また地下水道来た!』

『前回ノイズで全部消えたやつだ』

『今日はちゃんと見られる?』

『あの変異ガーゴイルいた場所だよな』


 俺たちは道中の魔物をいつものベルトコンベア作業で処理しながら進んだ。

 眠って、選んで、起きて、拾う。

 コメント欄の流れる速度が少し速くなる。


『さっさと進んでるな』

『今日は目的地があるっぽい』

『あ、目閉じた。また寝た』

『戦闘3秒で終わった……』


 ◇


 しばらく進むと、壁際に黄色と黒のラインが入った金属杭が見えた。

 前回も見た蒼穹の刃の撤退マーカーで、数本が等間隔に打ち込まれていてここから先を区切っているが、まだ抜かれていないらしい。


『あのマーカー、まだ残ってる』

『蒼穹の刃の調査隊が引いた場所じゃないか?』

『ここより先に行くの?』


 俺はマーカーを一瞥し、ためらうことなく通り過ぎた。

「前回はここで引いたが、今日はここより先だ」

 その一言だけ言って足を止めずに進むと、マーカーを越えた途端にコメント欄に変化が出た。

 画面が少しだけ暗くなり、文字の輪郭がぼやけ始める。


『あ、画面暗くなった』

『ノイズ入り始めてる?』

『ドローンの調子悪い?』

『前回もここらへんから変になってたな』


 今回は完全には止まらず、断続的にちらつきながらも映像は続いている。

 前回より状態が良いのは封印が安定しているせいか、それとも別の何かのせいかは分からない。


 ◇


 収納の奥で、道標の石の熱が一段上がった。

 明確な欠片の反応であり、かなり近い。

 通路の角を曲がると、水が膝丈まで溜まった天井の高い広い空間に出た。

 前回この辺りで変異ガーゴイルが現れたが、今日はどうやら違うお出迎えらしい。


 水面が大きく揺れた。

 濁った水の中から浮かび上がってきたのは、全身が青黒く鉄板のように硬そうな鱗で覆われた、大型の水棲魔物だった。

 四本の長い腕が水面を叩くたびに波紋が広がり、六つある目がすべて俺たちを睨みつけている。


「水場のボスね」

 栞が骨杖を構えながら冷静に分析する。

「水の反射で動きが読みにくいから、影の位置で予測するわ」

「任せる」

 俺は泥水の中に立っている不快感を無視して、静かに目を閉じた。


 ◇


 真っ黒な空間に移行し、栞の気配が隣にある。


『六眼水棲獣 が あらわれた!』


「水面の波紋で先を読むわ。左から来るから翠嵐で速度を殺して、黒淵で決めて」

「合わせる。速度アップ最大と防御ダウン大を同時に入れてくれ」

 ポン、ポンと電子音が鳴る。


 ◇


 水棲獣の四本腕が、水しぶきを上げながら一斉に迫ってきた。

 だが俺の肉体は視覚に頼らず、水面に伝わる波紋だけを頼りに完璧に動いていた。

 左腕が来る直前に半歩右へ避け、右腕が来る直前に身を沈め、水中に足を取られながらもぬかるんだ底を正確に踏んで体勢を保つ。


 栞のバフが全身に走り、翠嵐の刃が鱗の継ぎ目を走った。

 硬い。

 弾かれはしないが深く入らず、何度か削らなければ通らない面倒な相手だ。

 俺は一歩引き、水面が揺れてまた腕が来るのを波紋を読んで躱し、再び削りに行く。

 コメント欄がノイズの合間からちらちらと流れていた。


『水面の動きで避けてる!?』

『波紋で予測してるのか』

『栞さんのバフのタイミングが神すぎる』

『あの鱗、かなり硬そうだけど削れてる』


 四度目の踏み込みで、翠嵐の刃が鱗の継ぎ目を十分に削り取った。

「今よ」

 栞の声と同時に、黒淵の紅刃がその一点に叩き込まれる。

 深く重い音が鳴り、水面下の魔力核を断ち切る感触が手に伝わった。

 六つの目が一斉に光を失い、巨体が水の中に沈んでいって光の粒子が水面に漂う。


『倒した!』

『四撃で鱗割って核まで届かせた』

『地下水道でこの動きは意味わからん』


 ◇


 パチリと目を開けた。

 膝まで冷たくて臭い水に浸かったまま、光の粒子の中に欠片が沈んでいくのが見えた。

 急いで拾い上げると、不快な水の中でも指先に確かな鼓動が伝わってくる。


「これで十七個目だな」

 収納へ放り込むと道標の石の熱がいったん落ち着いたが、すぐに同じ方向のもっと奥から別の反応が始まった。

「もう一個、この先にあるみたいだ」

 俺が言うと、栞が濁った水を踏みしめながら前を向く。

「今日中に取りに行くの?」

「行ける。まだSPは十分にあるし、これ以上この下水に長居したくないからな」

「……分かったわ。行きましょう」


 ◇


 奥に進むほど、地下水道の構造が明らかに変わっていった。

 コンクリートの壁がいつの間にか削り出したような石の壁に変わっており、接合部も錆びた配管も蛍光灯の残骸も消え、代わりに天井を這う苔が続いている。


「……ここ、おかしいな」

 俺は思わず足を止めた。

「新宿の地下に、こんな石造りの遺跡みたいな構造があるのか?」

「ないわよ、普通は」

 栞が壁に触れながら眉をひそめる。

「石の質が違うわ。コンクリートを打ち込んだんじゃなくて、最初からここにあったか、ダンジョンの構造が地表の建築物を取り込んだかよ」

「どっちだと思う?」

「最初からここにあった方だと思うわ。接合の不自然な跡がないもの」


 足元の水が少しずつ引いていき、乾いた石畳が現れた。

 完全に地下水道ではなくなり、石造りの通路になっている。

 空気が変わり、下水の湿った不快な重さが消えた代わりに、別の嫌な重さが出てきた。

 夢の世界に近い場所で感じるあの独特の気配で、息を吸うと喉の奥に眠気に似た感触が引っかかる。


「……夢の気配がするな」

「私も感じる。かなり濃くなってきてるわ」

 道標の石がまた熱を上げ始め、今度はさっきよりもずっと近い。

 コメント欄がちらつき文字が崩れ、完全には止まらないものの流れが激しく乱れている。


『石造りになった?』

『地下水道じゃないじゃん』

『どこまで行くつもりだ』

『なんか画面ぼやけてる』


 ◇


 石畳の通路の先に、天井の高い広間があった。

 地下水道の区画とは比べ物にならない広さで、壁面には言語なのか装飾なのか分からない細かい文様が刻まれており、道標の石の文様に少し似ている。

 そして広間の中央に、それがいた。


 岩でできたというより、岩そのものが立ち上がったような異形の存在だ。

 人型に近いが輪郭が定まらず、表面の石が絶えず剥がれてはまた形を作り、全身からかすかに夢の気配が漏れ出している。

「岩と夢が混じってるわね」

 栞が骨杖を構えながら静かに言う。

「変異ガーゴイルとは別の系統よ。夢の世界の何かが、現実の石に憑いてるんだわ」

「倒せるか」

「倒せる。でも——」


 栞が少し間を置いた。

「『以心伝心』の接続が安定するか分からないわ。ここは夢の気配が濃すぎて夢の空間との境界が薄くなってるから、逆にシステムに干渉する可能性がある」

「……通信障害みたいなもんか。試してみるしかないな」

 俺は覚悟を決めて目を閉じた。


 ◇


 真っ黒な空間に落ちたが、いつもと明らかに違っていた。

 栞の気配が遠い。

 隣にいるはずなのに、声が水の底から聞こえるみたいに深い靄がかかっている。

「……つながり、薄いわね」

 栞の声が遠くからノイズ混じりで届く。


「聞こえてるか?」

「……聞こえてるわ。でも、はっきりしない」

「作戦だけ決めるぞ。短くいく」

「分かった。あの岩の表面が剥がれた瞬間に内側が露出するからそこに黒淵で入る。翠嵐で剥がしを誘発して——」

「黒淵で核を断ち切るんだな」

「……そう」

 声がまたわずかに遠のき、焦りが募る。

「ここじゃ長く話せないわ。行くわよ」

 ポン。

 電子音が、いつもよりひどく遠くで鳴った気がした。


 ◇


 ドローンの視界が広間を映し、俺の肉体が踏み込む。

 右手の翠嵐の刃が岩の守門者の表面を走り、石が剥がれて内側が露出する一瞬の隙間ができた。

 だが守門者の反応が異常に速く、次の石がすぐに形を作って隙間を塞ごうとする。


 俺は引かずに翠嵐の刃をもう一度走らせ、再生の最中を削って塞ごうとする石の動きをもう一枚剥がした。

 栞の骨杖から防御ダウン大が走り、接続が薄い中でもバフの精度は完璧に保たれている。

 内側の光が大きく露出し、左手の黒淵の紅刃がそこへ叩き込まれた。


 深くて重い音が響き、岩の守門者が一瞬だけ静止する。

 それからゆっくりと崩れ始め、剥がれた石が床に落ちて夢の気配が霧散した。

 岩の塊が砂のように分解され、最後に光の粒子だけが残る。

 ファンファーレが鳴ったが、やはりいつもより少し遠くで聞こえた気がした。


 ◇


 パチリと目を開けると、守門者がいなくなったせいか広間の空気が少し軽くなり、夢の気配が薄れていた。

 床に転がった欠片を拾い上げると、指先に今までで一番穏やかな鼓動が伝わってくる。


「これで十八個目だ」

 俺が言うと、栞が隣で息を整えながら頷いた。

「……さっきの空間、接続が薄かったわね」

「ああ、お前の声が遠くて正直焦ったよ」

「Sランクダンジョンの深部がこういう場所なら、『以心伝心』が使えない場面が出てくるかもしれないわ」

 俺は収納へ欠片を入れながら、栞の不吉な言葉を頭の中で転がした。


「通信障害の対策、考えておいた方がいいか」

「ええ。でも今日はいいわ、なんとか持ちこたえたから」

 道標の石の熱が落ち着いた。

 広間の奥を見ると、石造りの通路がもっと奥まで伸びている。

 道標の石は反応していないが、結晶片が封印越しかすかに反応していた。


「ここ、どこに繋がってると思う?」

 栞が少し考えてから答える。

「Sランクのダンジョンは正規の登録された場所にしかないはずだけど、ここはそれとは別の入口みたいに感じるわ」

「夢の世界への直通ルートってことか?」

「正規の道じゃない、裏道みたいなものよ」

 俺は通路の奥を一度だけ見つめ、即座に踵を返した。

「今日の探索はここまでだ」

「ええ、大賛成よ」


 俺たちは石造りの通路を戻り、コンクリートの壁に変わる場所を抜けて濁った水の地下水道へ戻る。

 足元が再びぴちゃぴちゃと不快な音を立て始めたが、命があるだけマシだ。

 コメント欄がノイズから少しずつ復活してきた。


『生きてた!!』

『また消えてたぞ』

『今日二回ノイズ入ったな』

『欠片取ってる!!』

『何があったか誰か解説して』


 初心者マニア ◆fAnAtIc.Yu

『……今日もまた、普通じゃない場所まで行った。残りが少なくなってきている』


 ◇


 地上へ出ると、日が傾きかけていた。

 新宿の街の乾いた空気と人のうるさい声が、地下水道の湿気と比べると信じられないほど心地いい。

「残り二個になったな」

 歩きながら言うと、栞が前を向いたまま答える。

「ええ。いよいよ次が見えてきたわね」


 少し間があった。

「あの石造りの通路のこと、カルーンに聞いてみた方がいいと思うわ」

「俺もそう思ってた。後で夢渡りで繋いでみる」

「今夜?」

「今夜か明日か。とりあえず残りの欠片を取りながら考えるよ」


 道標の石が、収納の奥で静かに冷えていく。

 欠片は十八個になり、残りはたった二個だ。

 俺たちは夕暮れの新宿を二人で並んで歩きながら、帰路についた。

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