第43話 合同調査と、その男
池袋ギルドの受付カウンター。
翌朝いつも通りに向かうと、顔なじみの受付嬢が少し改まった顔で声をかけてきた。
「朝倉様、ちょうどよかったです。本日、ギルド本部から合同調査の募集が出ていまして」
受付嬢がタブレットの画面を見せてくる。
Aランクダンジョン「轟雷の回廊」内の特定エリアで通常では説明のつかない異常な魔力反応が数日前から継続しており、原因の特定と記録のため複数チームによる合同調査を募集するという内容だった。
「参加チームはすでに数組確定しています。Aランク以上の探索者のみが対象です」
受付嬢が続きをスクロールすると、ダミーリュックの奥、収納の中の道標の石がほんの少しだけ熱を持った。
「……参加します」
俺が即答すると、受付嬢が少し驚いた顔をしてから手続きを始めた。
参加チームのリストが表示され、Aランクの精鋭らしい見知らぬ名前が並ぶ中、一行だけ目を引くものがあった。
『蒼穹の刃 神崎烈 他3名』
栞が画面を横から覗き込んで、静かに息を吐いた。
「……本人が来るのね」
「みたいだな。完全に場違いな気がするけど」
◇
集合場所は、轟雷の回廊の入口前だ。
現地に着くとすでに複数のチームが集まっていたが、さすがAランク探索者たちと言うべきか、装備の質も纏っている空気も違い、全員が本物だと一目でわかる。
その中で一か所だけ、周囲の探索者が自然と距離を取っているところがあった。
蒼穹の刃のメンバーだった。
四人全員が動きやすい実戦向きの装備を身につけているが、その中心に一人だけ明らかに空気が違う男がいた。
三十代前半くらいで短く刈り込んだ黒髪の背が高い男は、傷のない顔だがどこか戦場を知っている目をしており、腰に提げた剣が鞘に収まったままでも、そこから漏れる気配だけで本能が近づきたくないと警鐘を鳴らしてくる。
霧島がその男の隣に立っていた。
俺たちが近づいた瞬間、霧島が小声で何か耳打ちすると、男がゆっくりこちらを向く。
「……朝倉優馬か」
値踏みでも歓迎でもなく、ただ確認するような低い声だった。
「はい」
「神崎烈だ」
名刺も握手も余分な言葉も一つもない、それだけの挨拶だった。
だが圧迫感はなく、天城凛のような「怪物の気配」とも違う。
静かで落ち着いているのに、近くにいるだけで空気の密度が変わるような「強者の質量」とでも言うべきものを感じた。
隣で栞が、珍しく少し姿勢を正しているのが分かった。
「二度、断ったと聞いた」
烈が言うと、霧島がわずかに眉を動かす。
「ええ」
「理由は」
「今は動ける状況じゃなかったので」
烈は一瞬だけ俺を見て、それから小さく頷いた。
「そうか」
彼がそれ以上聞かなかったことで纏っている空気が変わり、先ほどまでの値踏みが消えて、同じ探索者として話す目になったのがわかった。
「今日は合同調査だ。各チームで手分けして記録を取る。俺たちは深層寄りを担当する」
烈が全員に向けて言うと、指示を出している感じがしないのに、ただそこにいるだけで全員が従う方向に引き寄せられるような自然な統率力があった。
「朝倉」
「はい」
「お前たちは好きに動いていい。ただ、異常を感じたら俺に報告しろ」
「報告しろ」という命令口調なのに嫌な感じがしない。
烈が部下にどう接しているかその空気だけで分かり、霧島が隣で小さく苦笑した。
「わかりました」
俺が答えると、烈は特に反応せず前を向いた。
◇
各チームが散開する。
俺と栞はいつも通り単独で動き、道中の魔物を処理しながら道標の石の反応を確認して進む。
轟雷の回廊は名前の通り壁に雷属性の魔石が埋め込まれていて空気が常にびりびりと帯電しており、魔物の動きも速く、Bランク帯とは別物の圧力があった。
コメント欄が盛り上がっていた。
『合同調査だ!』
『蒼穹の刃も来てるぞ!』
『烈さんいるじゃないか!』
『寝落ちニキと烈さんが同じ場所にいる これ夢か?』
道中で二度、遭遇戦があった。
一度目は俺たちが先に片付けたが、二度目は違った。
通路の先で蒼穹の刃のメンバーが、電撃を纏った四足歩行の獣というAランク中位の大型の魔物と交戦していた。
俺と栞が足を止め、助太刀に入るべきか一瞬の判断を交わそうとした直前、烈が前に出た。
いや、前に出たように見えただけだ。
抜刀の音すらしなかった。
ただ彼が歩くペースをわずかに変えたと思った次の瞬間、Aランクの獣の巨体が音もなく真っ二つに両断されていた。
魔物が光の粒子に変わっていく光景に、ドローンのコメント欄が静止する。
『……え?』
『何した?』
『抜いた……? いや見えなかった』
『Sランクってこういうことか』
翠嵐の刃を手に入れて速度への認識が変わったはずの俺ですら、刃の軌跡を全く追えず、次元が違いすぎて乾いた笑いが出そうになった。
隣で栞が、信じられないものを見るように目を見開いている。
烈は振り返らずに言った。
「先を急ごう」
剣は、すでに鞘に収まっていた。
◇
深層へ進むほど空気の帯電が強くなり、壁の魔石が青白く明滅して足元の石畳には細かい放電の跡が無数に走っている。
ここまで来ると魔物の質も変わり、反応が鋭く速い。
だが、収納の奥にある道標の石の熱も変わっていた。
欠片のガイドではなく、もっと深いところから何かが引っ張っているような別の感覚があり、じわじわと温度が上がっている。
進んでいくと通路が広くなり、天井が高いドーム状の空間に出た。
床の中央には直径五メートルほどの円形の魔力紋が刻まれており、他のチームの探索者たちがその周囲で観測機器を設置していた。
「ここが異常エリアか」
栞が呟く。
「……そうみたいだな」
道標の石が、火傷しそうなほどではないが脈打つような今まで感じたことのない熱を放ちはじめていた。
床の魔力紋を見た瞬間、収納の奥の石がひときわ強く跳ねる。
「……ここじゃない」
思わず声に出していた。
「え?」
栞が振り向く。
「ここは入口だ。本当の場所は、もっと奥にある」
その言葉に周囲の探索者たちがざわついたが、通路が見当たらないため誰もそこから先へは進んでいない。
俺は道標の石の熱が最大になる魔力紋の端の壁際の一点に近づき、手をかざした。
石畳と同じ素材で変わりはないはずなのに、石が熱い。
「……壁の向こうだ」
「面白いな」
低い声がして振り向くと、いつの間にか気配もなく烈が隣に立っていた。
「いつから」
「さっきから見ていた」
烈が壁に視線を向け、俺の手のひらと壁の接地点を静かに見つめた。
「俺たちには、この魔力紋が終点にしか見えなかった」
自嘲でも悔しさでもなく、ただ事実として淡々と言う。
「君の目には、その先があるのが分かるのか」
「……分かるわけじゃないです。感じるだけで、ただの勘みたいなものですけど」
烈が少しだけ目を細めた。
「感じる、か。……いや、理屈はいい」
烈は壁から視線を外し、俺に向き直った。
「君がそう言うなら、そうなのだろう。今日の調査はここまでだ。この壁の記録を持ち帰る」
全体への指示だったが、間違いなく俺を見ながら言っていた。
◇
帰路。
通路を戻りながら、道標の石の熱がゆっくりと落ち着いていくのを感じた。
あの壁の向こうに何があるのかまだ分からないが、確かに引っ張る何かがあった。
道中で一か所欠片の反応が出たため、道標の石が今度は明確な目的を持って再び熱を帯びる。
ボス部屋の扉を開けると、Aランクの巨大な雷獣が鎮座していた。
「睡眠」
俺と栞が同時に目を閉じ、真っ黒な空間で0.1秒の作戦会議を終えて現実の肉体が動く。
翠嵐の刃が無音で空気を滑る。
速い。
今までなら一拍遅れていた踏み込みが、栞の『迅雷加速』のバフと翠嵐の刃の軽さによって雷獣の反応速度すら上回っていた。
音もなく懐へ潜り込み、左手の黒淵の紅刃が装甲ごと魔力核を両断する。
『ボス を たおした!』
一瞬の蹂躙だった。
目を開けると光の粒子の中に十二個目の欠片が転がっており、収納へ放り込むと道標の石の熱がまた一段落ち着いた。
ボス部屋を出たところで後続の蒼穹の刃のメンバーとすれ違ったが、開け放たれた扉の奥を見て、霧島が絶句して足を止めるのが見えた。
討伐の痕跡が、あまりにも新しすぎたのだろう。
烈だけが、横を通り過ぎる俺たちを静かに見つめていた。
◇
地上へ出ると、各チームが解散していくところだった。
蒼穹の刃のメンバーが霧島を中心にまとまって動いており、烈は少し離れたところに立って霧島と短く何かを話していた。
俺たちがその横を通り過ぎようとした時だった。
「朝倉」
烈が呼び、振り向くと彼は霧島との話を終えてこちらを見ていた。
「またやろう」
命令でも依頼でもお願いでもなく、ただそういうことになるだろうと確信している口調だった。
「……また声をかけてください。断るかもしれませんが」
少しの抵抗のつもりで返すと、烈は特に反応せず歩いていった。
霧島が残って深く頭を下げる。
「本日はお疲れ様でした。クランマスターも、今日は満足していたと思います」
「満足していたって、どうして分かるんですか。顔に出てませんでしたよ」
俺が聞くと、霧島が少しだけ笑った。
「あの人は、つまらない時は何も言わないんです。今日は二回、話しかけました」
そう言って、霧島も去っていった。
◇
池袋の夕暮れ。
帰り道、栞が横を歩きながら言った。
「あの壁の向こう、気になってるでしょ」
「……まあな」
「道標の石があそこまで反応したの、初めてよね」
「ああ」
少し歩いて、栞が続けた。
「神崎烈、どうだった」
「……思ってたのと違った」
「どう違った」
「もっと近づきにくい人だと思ってた。でも、一緒に潜ってみたら案外普通に話せた」
「普通、ね」
栞が少し面白そうに言う。
「Sランクに向かって普通って言える人、あなたくらいよ。無自覚な大物っぷりに呆れるわ」
俺は肩をすくめた。
道標の石が収納の奥でかすかに熱を持っている。
あの壁の向こうへいつか行くことになるのは分かっているが、今はまだ早い。
欠片は十二個。残り八個。
「急ごう」
「ええ」
並んで歩く。
夕闇が迫る街の喧騒が、遠くで心地よく響いていた。




